第二次堺大戦当時のビルマ(現ミャンマー)は
日本軍の諜報機関がアウンサン将軍たちを支援し
イギリス植民地政府からの独立開放を果たしました。
アウンサンスーチーは、自分が2歳の時に暗殺された、
祖国建国のカリスマ的リーダーである、
父親のアウンサン将軍のことを学びたくて、
1985年から1986年に日本に滞在していました。
京都を拠点にして、多くの日本人に会ったようです。
この時点では、それに関わった元日本軍人や軍属の方が、
まだたくさんご存命でした。
父親のことを教えてくださる、この方たちの立ち居振る舞いや語りに、
彼女は憧れていた日本人の姿を見たようでした。
しかし、この85年から86年の日本はバブルの前兆が出始めた時、
そして学校崩壊が起こった時でもあります。
この滞在期間中に、大阪の高校での講演で小さな事件が起こります。
彼女がお話をしようとしても、生徒たちは無視してしゃべり続けるという、
学園ドラマで観るような状態だったようです。
ミャンマーの人たちは長幼の序という概念がしっかりしていて、
先生や年長者の話を聞かない態度というのは、ありえないことです。
年配の方の毅然とした態度と、高校生の不遜な態度の対比が
西洋文明に毒されるアジアの将来像を垣間見たと思います。
ここのところを表現したくて、アウンサンスーチーをモデルにしたスイートに
「今の日本は、経済が優先で、大人が礼儀や自然を尊ぶ心を教えていない。
日本人の良さを、若い人にも受け継いでいってほしい。」
と語ってもらいました。
この時点では、まだ祖国の民主化運動という政治活動をする予定ではありませんでしたが
お母さんの病気で国に戻ったことから、時代のうねりが
彼女を女性民主化リーダーとして巻き込んでいきます。
いよいよ、舞台は民主化運動に揺れるミャンマーへと移ります。
つづく