20240513 KPIは追いかけられる指標であるべき #3,665-6 | 人生に新たな選択肢を!~運用と言語化が貢献できること~

人生に新たな選択肢を!~運用と言語化が貢献できること~

結果につながるプロセスはコントロールできるはず。
そのツールとしての「言語化」「マネバラ」の思考記録です。

KPIとは
追いかけられる指標でなければならないと思います。

とは、当たり前のことを言っているのでしょう。

ですが、
今さらそんなふうに思うのは、
今一度確かめておかないといけない画面に
出くわすことがあるからです。

例えば、
KPIとして労働生産性を掲げましたという場合、
その労働生産性が
例えば、利益に人件費や償却を足し返したものを分子とし、
総労働時間を分母として導いた結果だとします。

そして、
その結果が改善していた、
あるいは悪くなっていたとして、
何か手を打てるでしょうか。

悪化しているのはわかる。

ですが、
結果である数字が何を意味しているのか、
そこからさらに分析しないといけないのではないか。

ROEも同様でしょう。

純利益と自己資本という単純な式でありながら、
その構成要素はあまりにも複雑です。

利益を増やせば改善するとわかっていても、
その利益が何によって決まるのかがわかっていなければ、
手の打ちようがありません。

この場合、
KPIとはROEではなくて、
何によって利益が決まるのか、そちらではないでしょうか。

そんな意味において、
KPIとはわかりやすくならなければならないし、
コントロールできるものでなければならないし、
さらには手触りもあってほしいのです。

ここを変えれば全体が変わるといったように
具体的な活動が見えるものであってほしいのです。

何より、
働く人が労働生産性を上げよう、
ROEを改善しようと言って気持ちが上がるでしょうか。

改善には1人1人の取り組みが不可欠です。

その取り組みがどのようにKPIの改善に繋がるのか。

であるならば、
現場の取り組みとして追いかけられる指標をこそ
KPIとして扱うべきなのではないか、
そんなことを思うわけです。