運命や宿命について考えてみます。

-江原啓之 スピリチュアルメッセージより引用(一部改)-

「運命の法則」とは、「人生には運命と宿命があり、運命は自分自身で作っていくもの」という法則です。

貴方の運命は、決して1つに定められているものではありません。

「波長の法則」や「因果の法則」からも分かるように、人の人生の流れは、その人自信が作り出すものなのです。

これが「運命の法則」です。

今あなたに起きていることは、今までのあなた自身が作り出した現実であり、今後のあなたの人生を作り出していくのも、すべてあなたの自由意志です。

自由に人生を作り出していけることこそが、生まれてきた意味であり、生きることの喜びでもあります。

一方で、人生には変えることのできない要素もあります。

生まれた時代や国、家庭などの環境、性別や容姿や体格などがそれです。

自由に作っていける「運命」に対し、これらは「宿命」です。

しかし霊的視点に立てば、「宿命」さえも、生まれる前に、あなた自身の魂や、あなたの類魂が決めた事なのです。

あなたがこの世で少しでも多くのことを学び、魂を浄化向上させるためには、魂の濁った部分を徹底的に磨ける環境が、人生の設定として必要だからです。


-引用(一部改)おわり-


僕なりの運命、宿命解釈はこうです。

図示しました。

$惟神(かんながら)を噛みながら

左が生、つまり産まれた時。

右が死。

ピンクの丸が宿命。

青い三角形が運命。

黄色が人生です。


まず産まれた時は、ほぼ宿命通りです。

これは江原さんが書かれている通り「生まれた時代や国、家庭などの環境、性別や容姿や体格など」が宿命だと思います。

この瞬間においては、選択肢はありません。

そこから人生が動き始めます。

人は自由意志において、人生を歩いていきます。

1日生きてるだけでも、何度も選択肢がありますし、それらを自由に選べます。

自由に選べないと思っているなら、それは思い込みです。

「こうしてはいけない」「こうあるべきだ」というヤツ。

そんなもの、いますぐ捨てた方が楽になりますよ。


そうしてジグザクと人生を歩いていきますが、決して運命の青い三角形からは出られません。

神は人に自由を与えていますが、運命というロープの外までは出られないのです。

それでもまず、このロープを越えるほどの選択肢を重ねる人はいません。

どんなにジグザグ生きても、まず越えません。

もし越えたとしてもご安心下さい、ちゃんと警備員が来てロープ内に引き戻されますから。

そういう意味で、人生ってきっちり決まってるけど、決まってません。

大枠は決まっていても、その枠内では極めて自由なのです。

つまり観音様の手のひらの上、ということです。

あるいは歩行者天国、ということです。


ただし、一生を生きていく中で、産まれた瞬間とは別に宿命的な部分があります。

自由に生きていいんだけど、ここははずせませんよというイベント。

イベントが近付いてくると、時には自然と、時には強引に、時には運命的に、人生が動きます。

ここに神を感じる人は多いでしょう。

こういったイベントは宿命で強制力はあるけど、自由度もあると思うのです。

ある程度の幅でそうなるといった感じ。

大枠ではないけど、小枠はある。

さらにイベントによって自由度が異なっていて、小枠だったり中枠だったり、あるいは極小枠だったり。

きっと極小枠の宿命に対して、かなり離れた人生を歩んでいれば、それこそ強引に引き戻される。

大枠の宿命に対して、ほぼ進路変更なしでOKな人生を歩んでいれば、自然とイベントが発生する。

僕なりの運命・宿命論概念でした。

人生ロードマップと名付けます。
1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。

知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。

「―を受ける」「新入社員を―する」「英才―」

2 学校教育によって身につけた成果。「―のある人」

by 大辞泉

教育とはそういう定義なのですが。

読んで字の如く、教えて、育てる。

そんな解釈も成り立ちそうですが。

僕の認識は違っていて、教育とは、

基本を教えることで、自分で(勝手に)育つようになる

ことだと思っています。


敢えて大辞泉にケチつけてみるなら、まず、「人間を望ましい姿に変化」ってなんじゃ?

教える側が「望ましい姿」を決めているのかな。

それでは可能性が限定されていないか?。

個々人それは違うのではないか?

人に無限の可能性があるなら、望ましい姿ってなに?

それはズバリ「自立」だと思います。


教育って、いかに「教えないか」だ。

教えることが少ないのが、良い教育だ。

教えれば教えるほど、依存心が生まれやすくなる。

じっとしてれば、座っていれば、適切に与えてもらえる。

与えてもらってる間は、なんだか成長できてる気がする。

与えてもらってる間は、賢くなっているように錯覚する。

与えてもらってる間は、「できない」「わからない」を体験せずにすむ。


一通り「教育」が終わり、「はい、あとは自分でやってね」。

こういった「教育」のせいなのか、単に自分のせいなのか、高校卒業してえらい苦労しました。

中高一貫で勉強ばかりしてきて、大学に入学して気づいた。

自分は何もできない。

自分は何も知らない。

自分は一体ナニモノ?

長所は素直、短所も素直、そんな自分もようやく気づいてきた。

素直なままでいいから、自分のことは自分で決めようと。


助手席に乗っていても、決して道順を覚えません。

調理を側で見ていても、決してすぐには料理を作れません。

ゴルフ番組大好きでコースマネージメントがわかっていても、練習なしに100切れません。

できなくてもいいからやってみる、やらせてみる。

できないことはダメじゃなくて、できるようになるために最も有効なステップ。

そして「できない」をフォローするのが、教育だと思うのです。

「できない」「わからない」を指導することだと。


結論。

僕の教育論は、

自立を促すため、自分でやらせて、できない部分をフォローする。

難しいですが、そんな感じで子育てしています。
これまで「自分らしさ」について、多く述べてきた。

最初からテーマとして挙げればよかったと思う。

自分の中ではそのくらいコアな部分だし、これからも書いていくであろう事柄だ。

その「自分らしさ」だが、これを他人に伝えるのって難しい。

これまでも、これからもきっとそうであろう。


理由というか分析だが、

① (物心ついてから)学校の先生も両親もメディアも、反対のことを教えていたから

つまりちゃんと大人の言うことをききなさい、お友達を大事にしなさい、あれもダメこれもダメ、あんたはダメな子ね、どうしていつもそうなの、○○ちゃんは出来るのにね、近頃の子供は危ない!、、、

② 似た言葉が反対の意味を示している、言葉の定義がなされていない

自分らしく、自分第一、自分を大切にする、自己中(心)、エゴ(イスト)、わがまま、利己主義、やりたいように生きる、唯我独尊、己を貫く、、、

③ 「自分らしさ」を伝えるもの、スピリチュアルなもの含めて、似て非なるものがある

④ 身近な例として、単なる エゴイスト=自分らしく生きる人 と思われてしまう


そんな事を考えていて、面白い記事を見つけた。

シンクロかもしれないので紹介します。


まずは北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ有(24歳)の場合。

ダルビッシュ有が松茸をたくさん食べたことをツイッターで報告したところ、年配男性から

「この不況で贅沢できない人は多いです。皆のあこがれのあなたは口に気をつけなければ(中略)どうでもいいか。。。君は(笑)」

とのコメントが寄せられた。それに対してダルビッシュは

「他人と比較しても良い事はほとんどない。こんな事書く時間があるなら自分が成長するための時間に使って欲しい」

と書き、ネットでは「どう考えても、オッサンがダルビッシュに説教されてるだろw」などの声があがった。


あゆ、庄司、ダル…著名人もネットで一般人に反論


いろいろありますが、私なりの結論というか、もし一言で書くなら

他人とか環境とか、世の中の全ては些末なことで

自分の生き様、自分らしさだけは絶対に貫き通す


あ、全然一言じゃねぇ(;^_^A

せっかくなのでまだ書きますが、話の中に他人が、世の中が、誰誰が、と出てきた時点でアウト!

そんなの関係ねぇ

ダルビッシュ投手が言うように、自分の成長!

このために人生があって、このために生きている

自分の成長に繋がらないものは全て無意味!無価値!無駄!

自分の成長が一番大事

他人がこうあるべき、世の中はこうでなくてはならない、なんて事を思い、しかもそれを押しつけてくるなんて、それこそ自己中だろ。

自分の価値観、思いこみ、基準を強要してるのだから。


前述の年配男性の頭の中では、

自分=常識的 ダル=自分のことしか考えていない、やりたいように生きている

となっていると想像します。

「皆のあこがれのあなたは口に気をつけなければ」と思うこの男性は、ダルが松茸を食べたことを妬ましく思っているだけで、言い訳として「この不況で贅沢できない人は多いです」を使っているだけ。

「どうでもいいか。。。君は(笑)」でさらに、自分が上であることをアピールする周到さは、よほどダルを妬ましく思っているのでしょうね。

これほどまでに、自分の卑しさをネットでさらけ出せるのは、自分の汚さ、卑しさに気づいていないから。

その原因は、自分の価値観、思いこみ、基準。

さらにその原因は、学校の先生、両親、メディアに、反対のことを教え込まれてきたし、自分でその矛盾に気づかなかった。

面白いと思うのは、自分が気づいて変われば、その瞬間に全てが変わる。

古き悪しき関係は断ち切られ、新しく良き関係がやってくる。

変わることは苦痛を伴ったり、時間がかかることじゃない。

今すぐ、できる。

なぜなら、今ここで、自分の生き方、考え方、在り方の「舵をきる」だけ。