1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。

知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。

「―を受ける」「新入社員を―する」「英才―」

2 学校教育によって身につけた成果。「―のある人」

by 大辞泉

教育とはそういう定義なのですが。

読んで字の如く、教えて、育てる。

そんな解釈も成り立ちそうですが。

僕の認識は違っていて、教育とは、

基本を教えることで、自分で(勝手に)育つようになる

ことだと思っています。


敢えて大辞泉にケチつけてみるなら、まず、「人間を望ましい姿に変化」ってなんじゃ?

教える側が「望ましい姿」を決めているのかな。

それでは可能性が限定されていないか?。

個々人それは違うのではないか?

人に無限の可能性があるなら、望ましい姿ってなに?

それはズバリ「自立」だと思います。


教育って、いかに「教えないか」だ。

教えることが少ないのが、良い教育だ。

教えれば教えるほど、依存心が生まれやすくなる。

じっとしてれば、座っていれば、適切に与えてもらえる。

与えてもらってる間は、なんだか成長できてる気がする。

与えてもらってる間は、賢くなっているように錯覚する。

与えてもらってる間は、「できない」「わからない」を体験せずにすむ。


一通り「教育」が終わり、「はい、あとは自分でやってね」。

こういった「教育」のせいなのか、単に自分のせいなのか、高校卒業してえらい苦労しました。

中高一貫で勉強ばかりしてきて、大学に入学して気づいた。

自分は何もできない。

自分は何も知らない。

自分は一体ナニモノ?

長所は素直、短所も素直、そんな自分もようやく気づいてきた。

素直なままでいいから、自分のことは自分で決めようと。


助手席に乗っていても、決して道順を覚えません。

調理を側で見ていても、決してすぐには料理を作れません。

ゴルフ番組大好きでコースマネージメントがわかっていても、練習なしに100切れません。

できなくてもいいからやってみる、やらせてみる。

できないことはダメじゃなくて、できるようになるために最も有効なステップ。

そして「できない」をフォローするのが、教育だと思うのです。

「できない」「わからない」を指導することだと。


結論。

僕の教育論は、

自立を促すため、自分でやらせて、できない部分をフォローする。

難しいですが、そんな感じで子育てしています。