バウムテスト

バウムテストをやってみました。

たしか2週間ほど前に絵は描いていて、リンク先で判定してみました。

とにかく大変です。

項目が多すぎ!

オススメはしませんけど、興味ある方はどうぞということで。

僕が書いた絵です。

10-15分ほどかかりました。


$惟神(かんながら)を噛みながら
自分の中の嫌いなところ

自分の中の好きなところ

本当の自分はいったいどっちで

嫌いな自分はどうやって扱えばいいのか

そんな悩みを抱えながら生きているけど

嫌いな自分も

好きな自分も

どっちも自分

特別扱いなんてしないんだ

全面肯定

そのままでいい!


変わるつもりがないとか

怠慢だってことじゃなくて

否定している限り

変わることなんて出来やしないから

そういう自分だって認めること

そういう自分だと受け入れること

見て見ぬフリはやめにしよう

どんな状況だって、見て見ぬフリは役にたたないことだ

自分全部を抱きしめること


まずは自分に対してこれができる

それが第一歩になる

この第一歩はとてつもなく高いハードルだけど

これが出来てないのに、他人のためなんて絵空事

まずは自分だ

心の底から他人のために何かしてあげたいと思うのは

自分が既に満腹で満足な時、状況、事柄だけだから

自分の人生を満腹で満足にすること

自分の心を満腹で満足にすること

人生においてこれ以上に最優先課題はない!


「誰かのため」なんて言葉はいらない

「誰かのため」と言いながら自分のためだから

自分の事で精一杯なら、そんな言葉は口先だけ

自分らしく生きて

自分を目一杯表現して

思いを、理想を、夢を、次々と現実に変えている

そんな人にまずなること

そんな人生を謳歌すrこと

その後の余生で、心から

「誰かのため」を生きてみたい


$惟神(かんながら)を噛みながら
世の中には正しいこと、間違ってることの2つがある。

そう思っていたが、高い視点から見たら正しいとか間違ってるは「ない」ってこと。

あー確かにそうだな。

何が「正しい」なんて人間が決めることだから、人によって違う。

さらに時代や環境、性別や年齢などによっても違う。

その時にその人が「正しい」と思うことはあるけど、共通認識として、あるいは神様だって認めるほど「正しい」ことって「ない」。

数年前にそう気づいた。

自分はそれをわかってる思っていた。

でもわかってないことが判明した。

とんだ勘違い。


自分の心のどこかで思っていたこと。

「正しいこと」「間違ってないこと」をしていれば、自ずと道はひらける。

「心が清らか」「みんなのために」と思ってやったことなら、悪いようには転ばない。

こんな勘違い。


「正しいこと」「間違ってないこと」はないんだ。

だから道がひらけるためには、開かれるためのアクションが必要。

あるいは必要な知識、強い決意、揺るがない信念が不可欠。

「正しい」「間違ってない」から開けるなんて。

とんだ怠慢。


「心が清らか」「みんなのために」と思ってやったことって。

いったい何と比べて清らかなんだ?

どうやって比べたんだ?

「みんなのために」と思って、その「みんな」は本当に喜んでくれたのかい?

「心が清らか」なら人生が常に好転するなら、じっと座って心を汚さなければいい。

こんな依存。



そもそも「正しい」「間違ってない」「心が清らか」「みんなのために」と無理に思う必要はない。

誰かに何かを言われ、お前は間違っているとレッテルを貼られ。

そんな心ない行為に傷つかないための、生体防御機構だから。

例え世界中から間違ってると言われても、本気で自分らしく生きた結果なら、後悔の必要はない。

人生のうち何時間、自分らしさを貫けるか。

そして自分らしく生きて、生きて抜いて、いつしか「自分らしく」なんて肩肘張らなくなったら本物だ。


若い頃は自分らしく生きると思っていたが、ありゃー一体何だったかのぅ。

死ぬ前にこう思いたいものだ。