あのイチローを育てた監督
中村 豪さん
(愛工大名電、豊田大谷高校野球部
硬式野球部元監督)
人間学を学ぶ月刊誌「致知」の
メルマガに載っていました。
成功者が成功する前は
どんなだったのか・・・。
イチローファンならずとも
凄い!とうなる話です♪
高校時代の恩師だからこその
感動話です♪
少し長いので
何回かに分けて紹介します♪
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■高校時代のイチロー
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愛知工業大学名電高校、豊田大谷高校で
野球部監督を務めた31年間、
部員たちに口酸っぱく言ってきた言葉がある。
「やらされている百発より、やる気の一発」
いくら指導者が熱を入れても、選手側が
「やらされている」という意識で
ダラダラ練習をしていたのでは
何の進歩もない。
やる気の一発は、やらされて
することの百発にも勝る。
そのことを誰に言われずとも実践し、
自らの道を開拓していったのが
高校時代のイチローだった。
彼と初めて出会ったのは昭和63年、
私が46歳の時である。
「監督さん、すげーのがおるぞ」
というОBからの 紹介を受けた私の元へ、
父親とやってきたその若者は、
170センチ、55キロという
ヒョロヒョロの体格をしていた。
こんな体で厳しい練習についてこられるのか、
と感じたのが第一印象だった。
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高校時代のイチローの伝説が
ここから始まります♪
つづく