「私らしく生きる」
「ありのままの私でいい」
「私らしさを軸にする」
そんな言葉を見るたびに
「ところで、私らしさって?」
とは思うけれど
そのままにしたくなるときないですか
「たぶんまあ、こんな感じだろうな」
という、
ふんわりぼやけたニュアンス的に
わたしはずぅーっと捉えてたんです
だって~。
それはつまり「あなたは、誰?」
という質問にもなるわけで......
それがわからない、ということは
自分が誰だか自分でわかっていない。
ということでもあり
それって
ものすごーく恥ずかしいことに
感じていたんですものぉ......
そんな自分を隠すために
急いで何者かにならなくっちゃあ!
と、思っていたのかもしれません~
いまは
「頭」ではなく
「心」でもなく
そして「体」でもなくて
わたし(自分)とは
「存在」のことだ、と思っています
つまり
「自分の考える自分」ではなくて
「存在そのもの」のこと
人は
約60兆の細胞からできていて
その細胞の集まりで五臓六腑が
できていて、
皮膚・血液・脳・骨・目・鼻・口
がつくられて......
その集合体が、人の体
そしてその細胞には
一つひとつ意識があって
その全てを統括しているのが
「自分の存在」という意識であり
その統括意識こそが「わたし」
目・鼻・口・肝臓・
胃・足・手・頭などなど
体の各部門には各々リーダーがいて
そのリーダーと頭が連携して
『電気信号の伝達』によって
正常なバランスを保っている
その頂点に君臨するのが「わたし」
だから
わたしのすべてをまとめる
存在であるわたしは......
わたしの「神」なんですよね
どれだけ否定しようとも。
↑
「わたし」=あなたに
置き換えて何度も読んでみてね!
早い人だと一か月くらいで
なんだかよくわからないし
なんの根拠もないのだけれど
私は大丈夫だ!って思えるし
これからも、大丈夫な気がします~
と
うれしそうに言ってくれる人がいて
すごいなあ!ってその度思うんです
知識を勉強したからって
根本的な問題解決になるわけじゃない。
だから難しい話なんか全然しないのに
なぜ、そうなのかわからないまま
「わかる」んだから。
「感じる」んだから。
自分の感覚が「あってる」
って、思えてるんだから。
自分の感覚が「根拠」になってるんだから!
これがわかってしまうと
できるできない、とか
誰がどう言った、とか
関係なくなるんですよね~
そして絶対、今すでにしあわせで豊か♡
「既存のナニカ」に当てはめようとしたり
そのくせ「自分だけは当てはまらない」
としたりの変わらないぐるぐるを起こして
深く深く穴も掘っちゃわなくなる。
これぞ自分が世界の中心で
これぞ自分が神!って感じ