よくYouTubeに上がってる昔の曲のMVとか昔(主に昭和~平成初期ごろ)流行った玩具やグッズを紹介&解説してる動画のコメント欄に「この頃に戻りたい」とか「あの頃は良かった」的な書き込み、それもなぜかポエムチックに書かれてることが多い…をよく見かけるけど、みんなそんなに子供の頃とか昔が良いんですか?
私は正直なところ、子供の頃は「しんどかった」という記憶しかないから、戻りたいとか微塵も思ったことない。
当時はなんでなのか?言語化することができなかったけど、今なら出来る…それは「子供らしさ」とは対極にある存在だったから。
子供だからといって感情や本能をむき出しにするタイプじゃなかったし、自分と同い年の周囲の子供に対しても「こいつらバカだな」とどこか冷めた目で見ていた。
端的に言えば「子供らしくない」子供だったわけです、世間の思う子供らしさのイメージである「素直さ」とか「無邪気さ」「元気いっぱい」的なものは昔も今も一切持ち合わせておりません。
よほどのことがない限り感情をあらわにすることもないですし、何かを指示されたときには「筋の通った正当な理由」を求めていましたし、”お友達”とみんなで仲良く外で遊ぶよりも一人で何かを作ったり本でも読んでるが面白いと感じるタイプですので…例えばおままごとするよりはままごと道具の造形とか眺めたり、人形用哺乳瓶で人形にミルクを飲ませて「お世話遊び」するよりも人形用哺乳瓶の傾けると中身がなくなる仕組みの方が気になるタイプだった。
これは覚えていないのですが、私は3歳くらいの時点ですでに「牛乳を飲まない生活」を送っていたようで、給食で出された牛乳を人目を盗んでしれっと流しに捨てていたらしい…それがバレて後に監視下に置かれていたとか?それくらい「押し付けられることが嫌いで、自分で考えて納得しないとやらない」タイプだったのかもしれません。
箇条書きで説明すると
- おとなしい
- みんなで遊ぶより1人でいることを好む
- 不満やストレスが一定数蓄積されると”爆発”する
- 行動に移すには「論理的な理由」が必要
- 子供扱いされることが嫌
といった感じだろうか?子供の頃から、子供ではなく「1人の人間、むしろ小さい大人として扱ってくれても構わない」と思っていた。
相手が親だろうが先生だろうが「対等な関係」を求めていたと思う…幼稚園の時はある程度、こちら側を「1人の人間」として尊重されていたように感じたが、義務教育期間中は常に何かに押さえつけられてるような窮屈感が酷かったし、そもそも人として扱ってもらえていないようにすら感じて、それまで保たれていた尊厳をズタズタに切り刻まれたと思った。
これは最近思うことですが、もしもの話…幼稚園じゃなくて保育園に入れられていたら子供ながらに詰んでいたかも?ということを考えるようになった。
私自身、保育園という場所がどんなところかはよくわからないけど(知ってるのは厚労省管轄の福祉施設ということくらい)、去年解散した例のグループの中に保育園で保育補助の仕事をしている人がいて、その人から「保育園とはこんな感じの場所」なんだという話を何度か聞いていた事がある。
園によって差はあるだろうけど、保育園という場所は「子供は子供として扱う」というの鉄則が存在するそうで…そうなると「小さい大人」扱いは当然ないし先取り的な「少しお姉ちゃん」扱いもしてくれないだろう。
あと、私は子供の頃から雑多な騒がしい環境が苦手なところがあるので幅広い年齢の子供がいる保育園は環境的にも合わないと思う…それと、こういうところは昔から障害児の受け入れとかやってたりするので「明らかに変な子」と一緒にさせられるのもしんどいかも?
と、子供の頃は生きづらさ指数がものすごく高かったけど年を取るたびにそれが軽減されてきた自分としては「子供の頃に戻りたい」とか「あの頃は良かった」という思考そのものが理解できないのだ。
私と同じような性格タイプだと、時代背景とか関係なく子供時代はしんどいんだろうなと思います。
親が心理学系に知的好奇心強くてエニアグラムとか16タイプ性格診断とかに興味を持って自分の子供のタイプを調べようとしたりしない限り私のようなタイプ(INTJ、タイプ5)というのはどこに行っても理解してもらえなかったり、下手したら「発達障害じゃないの?」とあらぬ誤解をされるかもしれない…この性格タイプと発達障害の特性はかなり重なるところがある。
特に最近の子供の発達障害は過剰診断も問題になっていたりするのでそこの見極め間違えると取り返しのつかないことになってしまうわけです。
特に日本は子供は子供として扱う風潮が強いので、私と同じ性格タイプの子供たちも強く生きていきましょう。
