今日も、犬とベッドシェア -142ページ目

今日も、犬とベッドシェア

おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

関わりを持たないようにしてから約2ヶ月、あの人達と関わってると、私の心身は「非常に疲れる」ということがわかってきました。


私は子供のころから「あの人のような人生だけは歩みたくない」と今でも思っています…まぁ、実際は歩んでいませんが。


実は手紙を送った 時にACの自助会のリストを同封したのだけれど、おそらく自助会にも行っていないだろう…パートナーにも恵まれなかった、あの人は結局「宗教」しかこころの拠り所が無いのだ。


そして、そのパートナーは見事に酒に溺れ「自分の親と同じようなつまらない日々」を過ごしている。

毎日臭い線香の臭いを部屋中に漂わせて、毎朝気味の悪い読経をすることで現実逃避をしているのかもしれない。


おそらく自分の人生においても「子供を産んだこと」しか取り柄が無いのだと思う、だから何かに付けて「子育ては大変」といまだに言い続けるのかもしれない。


そして、なによりも「自分が子供のころから全く恵まれていなかった」という事実を受け入れたくないのだろう。


私のように自分自身の事を振り返り、それを整理していこうという気持ちは全くないのだ。


結局あの人たちは本来なら反面教師にするべき「自分たちの親と同じような人生」を歩んでいる、それだけならまだしも、あんなに嫌っていた親の墓参りにはバカ丁寧に毎年行くという私から見たら絶対に信じられない行為をいまだに続けている事だ。


結局、親が死んでも「親の言いなり」から抜け出せていないのだ…これは救いようのないバカだから仕方のないこと知れない。


あの人たちは半ば社会から孤立している…親しい(質のいい)友人もおらず、夫婦関係はすでに破たんしてるようなもので、2人の共通の楽しみがあるわけでもないので私たちのように休日は一緒にどこかに出かけるということもほとんどない。

今私が不安に感じている事は「遺伝的に無駄に長生きすること」である…個人的には遅くとも70歳くらいでサクッと死んで欲しいと思っているのですが、80だの90だのズルズルと長生きされるのは私にとっても社会にとっても非常に迷惑だと感じている。


こうして書き出してみると、この人たちは非常に「かわいそう」だと感じるようになってきた…自分自身の人生にも恵まれずに、それに気付くこともないままに怪しいものにすがって対して自分は幸せだと自分に言い聞かせ続けていないと生きていけないなんて。


途中、どこかで一度でも自分の人生について振り返る機会があれば、私のように「やり直し」をすることも不可能ではなかったはずだ。


ちなみに、かわいそうとは書いてみたけれど…そこに「同情」の気持ちは一切ない事は言わなくてもわかると思います。



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私の生きる道、生きてきた道。

私の生きる道、生きてきた道。

私は子供のころから「凝り性」で「完璧主義」あることは自他共に認めている。


今はその特性を上手く活かせるようになって来たけど、これが変な方向に働くと…例えば、卵焼きやオムレツを作っている時にひっくり返すのに失敗したりすると、多くの人はグチャグチャに混ぜてスクランブルエッグに作り替えるらしいけど私にはそれが出来ない。


基本何かをするときには「完璧である事」を求めてしまうので、適当にと言われるのが一番難しい。


このようなタイプの人は「お菓子作り」には向いているけど、感覚的に作る料理は苦手なタイプが多いと言われている。


お菓子作りは「きちんと計量すること」という絶対に敗れない鉄の掟があるからである。


私が料理を作るときにマメにレシピを調べたりするのは「どの調味料をどれくらい使うのか?」がきちんとわからないと不安になってしまうのもあるし、そもそも「適当に作る」という事が出来ない。


と、前置きが長くなったけど…今週もお話ししてきました。


話した内容の大半は昨日開催したミーティングについてです、具体的な内容は話しませんでしたが(外部に持ち出さないというお約束をしてるので)今後の展望ややってみたいことなどを話してきました。


あんなにグループ設立に対して反対されていたのですが、実際に開催してみたらそこまで反対されませんでした。


それどころか、自分の特性をグループ運営に上手く活かせているのでは?とも言われました。


前置きに書いた「凝り性の完璧主義」というのが運営に対して良い方向に働いている状態だと、今までこの特性については否定ばかりされてきたのでこれを褒められたのは初めてかもしれないですね。


これはおばぁちゃんに言われた事ですが「過集中」も上手く使えば決して悪い事ではないと言っていたのを思い出しました…使い方とその対象が問題なのだと。

他にも、最近周囲の人に対する考え方も変わってきていると言われました…確かに8月末にはこんな事を言っていた けど、グループの大きな方針として「当事者と社会が歩み寄れる活動をしたい」という事を話したからかもしれない(詳しい事はグループブログで書いています)。


おそらく、私が既存の当事者会を離れて自分のグループを立ち上げてからパートナーが今まで以上に協力的になってくれたせいもあるかもしれません、昨日も4.5Kgのお茶を会場まで運んでくれました。


昔と言ってもほんの数年前までは…周囲の人が自分のことをどう思っているかわからなかったので、なぜか「闘争本能」むき出しで生きていましたが、最近になってから周囲の人はそこまで私を嫌っていないのかもしれないと思えるようになってきたこともあり、そこまで周囲を敵対視することは少なくなってきました。


「相手の言動や全体の反応を見るといい」と教えてもらったのを日常の中でも少しずつ実践していこうと思っています。


薬の副作用から来る「体の揺れ」などについても話してきましたが、それは水曜日に相談するように言われました…私の場合、薬(特に強い薬)に対して過敏なところがあるので。本当に必要な時以外は安易に強い薬を飲むべきではないという結論を2人で出してきました。


そういえば、咳が出る時の薬も最近は飲み薬や吸引薬ではなくホクナリンテープ という貼るタイプの薬を処方されることが多いです。


昨日もお風呂に入っている時に「足が勝手に動いて止まらない」という非常に気持ち悪い状態に悩まされて、いつもだと長風呂なんですが気持ち悪くて早めに上がってしまいました。


病院から帰るときも、電車を待っている間体が前後に揺れて止まらなかったですね…メジャーの副作用って飲まなくなっても続くものなんですね。



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私の生きる道、生きてきた道。


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まだ、体がモゾモゾしています…大きく揺れたりするのはだいぶ治まってきたけど、まだ完全におさまった状態とは言えないです。


飲んでいた期間は2ヶ月、量は0.5㎎と短期間の超少量でしたが、こんなにも強く副作用が出るとは思いもよりませんでした。


青い薬とか、おぼぁちゃんが処方権限を敢えてもっていないあの薬とか実際に飲んだらとんでもない副作用が待ち受けいているのかもしれない…どうも私の体は投薬治療には向いていないところがあるので特性を薬でどうにかしようという考え自体が間違っているのかもしれない。


副作用はしんどいですね…実は、ここ数日ネットを観ていると「青い薬」の製薬会社のバナーが出ていたのがなんだかとても気になって月曜日に「薬を飲まないとよくならないのか?」という事も話した。


「それは製薬会社は薬を売りたいからそういうバナーやホームページを作っているだけで、必ずしも薬を飲まないといけないわけではない」と言われた。


そもそもあのおばゃちゃんは大人には薬は出さない主義だから、試してみたいと思っても実質不可能なんですがね。


薬の副作用というのは薬を止めてからどれくらいで治まるのでしょうか?


飲んでいた期間と同じくらいの時間がかかるのだろうか…体の病気の薬はやめるとすぐに副作用も消えるけど、メンタル系の薬でメジャーなので当分は治まらないだろうか?


でも、こういう薬で明らかに副作用が出ても処方を中止したがらない人もいるらしいので潔く「もう飲むな」と言ってくれたのは良かったかもしれません。



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