今日も、犬とベッドシェア -132ページ目

今日も、犬とベッドシェア

おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

正直なところ…あのグループから離れた事は、私に正解だったと思っています。


あのグループに滞在していたからこそ「自分が本当にやりたいグループ」というのを考えることが出来ました。


私にとって12ステップは「やりたくない事」のひとつになっていたからというのもあるけど、グループを離れたことによってカウンセリングに専念できるようになったし、今年の3月に発達障害の診断を受けたことによって「自分の生きづらさの根本的な原因のひとつ」がわかった事も大きいと思います。


自分自身の気持ちときちんと向かい合う事で、今まで書いてきたアダルトチルドレンの問題はグループで使われていた霊的な病気という考えを完全に捨て「自分の問題」として取り組んでいくことで、本当の意味での「回復」が得られるのではないかと考えるようになりました。


ここだけの話…日本には「12ステップ」を取り入れているAC自助の団体は4つもある。


どこのホームページもリンクに対してかなりうるさいので具体的な団体名は伏せます…海外に本部のある団体、日本で発足された団体、同じものを使っているのに4つもグループがあるのはなぜだろうか?日本はそんなにACの問題を抱えている人が多いのだろうか?


どうもACの問題を抱える人は「どうでもいい事」で争いになるケースが多いようだ。


私の参加していたグループだってしょっちゅう「アノミニティ(匿名性)」について口論までは行かないけど、解釈の違いで言い争いをしていた。


要は「ミーティングの中でどこまで固有名詞や地名を出すか?」という事をずっと平行線で交わる事の無い不毛な争いをしていたのだ。


私の意見として「非常にどうでもいい問題だし、そこまで匿名性にこだわると何も話せなくなる状態になるだけではないか?」と提言をしたことがあるが…これが賛同を得られなかった。


あの人達にとっては「非常に重要な問題」だったらしいのだ。


この問題を抱える人の特徴として「どうでもいいことにこだわる」という傾向があるらしい(これは広汎性発達障害にもあるけど)…そして頑なにルールを守ろうとするがゆえにこのような問題を起こしやすいとか?


私はくだらない争いに巻き込まれるのも嫌だったし、それ以上に「霊的な~」とか「神が~」という考え方をする時点で生理的に受け付けなかったのである。


これらの考え方は私の考え方の基本となるものとは対極に位置しているものであるし、感覚とか概念という漠然としたものが理解できない私には全く合わないという事を痛烈なまでに体感したのだ。


グループ内の人間関係の悪さにも辟易していた、ミーティングでは細かいルールがあるのに一歩外に出れば無法地帯と言っても過言ではないくらいの噂話や悪口で盛り上がっていること自体が非常に苦痛だった。


それ以外にもグループの運営方法にもいささか疑問を感じることは多々あった。


参加費は取らないと言いつつ「献金」と称して半強制的に金銭を徴収することや(お金を取るのなら初めから会費制にすればいいのでは?)、書籍を購入しないといけないという雰囲気…元々「欲しい」と思えるものでもない物に1000円も出せません。


当時、参加したての頃は休職中だったこともあり気軽に出せる金額ではなかったのです。


しかも、ある程度参加し続けると「なんで本買わないの?」みたいな視線で見てくるんです、特に古参メンバーが…この手のグループが自治体の市民ボランティア活動支援などに加入しないのは、伝統にある「独立」ではなく、書籍を販売することが「営利目的」と捉えられているのでは?と勘ぐってしまう。


大抵の自治体は団体登録に関して「政治・宗教・営利目的」での活動を条例や規約で禁止しているのだ。


あそこになじんでいる人たちはミーティングだけがこころの拠り所であり、物理的な居場所でもあったのだ。


病院に通っていない、カウンセリングを受けていても担当の先生との関係が上手く築けない、パートナーのいないシングル…ミーティング外での人間関係が希薄か、上手く行っていない人が多いように感じる。


過度にのめり込むと、ミーティングが生活の中心になってしまう…ミーティングに合わせた働き方や生活パターンになってしまう、その結果満足な収入を得られなかったり、パートナーのいる人は家庭内に居場所がなくなってしまうこともないとは言い切れない。


あれ…これ「自助会の皮をかぶった宗教団体 」と同じやり口ではないだろうか?

この2者の違いは「新興宗教」か「スピリチュアル」かの違いだけである、どちらも「回復には一つの方法しかない」と断言しているところは共通点だと思う。


私は声を大にして言いたい…


「回復のための手段はひとつだけではない」


ということだけである。



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私の生きる道、生きてきた道。

私の生きる道、生きてきた道。

なぜなら「大人には処方しないから」…子供向けの容量のカプセルは普通の白やオレンジ色なのだ。


それに私の通っている病院は開業以来ずっと「院外処方」なので、薬の実物を見る機会はほとんどないそうだ。


今日は今月初の診察日でした…「おばぁちゃんに適当にあしらわれている」というのは単に私の思い過ごしであることが判明しました、職場に現状を伝え配慮が必要だと言われた事を伝えたらそれを反映してくれたことやそのおかげで情緒不安定さが治まってきた事を話しました。


しかし…気分が安定してくると「不注意が強くなる」傾向があるみたいで、ここ最近は不注意や集中困難が続いているのはどうにかならないものか?と相談したところ「不注意は生活工夫をしていくしかない、そもそも注意欠陥障害の治療薬はない」とキッパリと言われてしまいました。


そして、普通不注意と言うのは情緒不安定の時に出やすいものだけど…落ちつていいる時に出るのは珍しいと言われてしまいました。


私はどうも一部のメンタル薬に対してとても過敏に反応すると話したら「それはTomokoさんの体質だから仕方ない、実は私も抗うつ剤は全く飲めない。副作用が出にくいと言われている薬でも頭痛やろれつが回らなくなる、ひどいだるさが出てしまい仕事が出来ない…私が飲めるのは漢方薬くらい」と、抗うつ剤の服用経験という意外な事実を教えてくれました(ちなみに自己処方ではなく、同僚に処方してもらったものだそうです)。


抗うつ剤飲んだことあるんですか?と聞いたら、前に一時的に調子が悪くなってしまったことがあったそうだ…それで薬を試したけど、どれも過敏に反応しすぎてダメだったというわけ。


そしてTomokoさんの場合も、まず優先するべきことは「環境調整」であって薬はあくまでも補助的な役割に留めておくべきと言われました。


おばぁちゃんが薬に対してとても慎重なのは過去の自分の経験もあるのかもしれません。


職場に提出するのに診断書を書いてほしいという事を先週の月曜に頼んでいたのですが、まだ作成されてなかったので今日その場で書いてもらいました。


いまどき珍しい複写式の診断書…こういうの使ってる病院ってまだあるのかな?


というわけで、薬は変更なくいつもの4種類。


帰りに受付の人から「自立支援と手帳の更新が完了したから、そのうち受給者証が送られてくるから今度からは新しいのを持ってきてね」といわれました…手帳の申請、ちゃんと通るか不安だったけど通ったらしい。


手帳は直接取りに行かないといけないんですよねと言ったら「プライバシーの問題もあるので基本的には郵送はしない」とのことだった。


いつも通り薬を受け取って、認知療法の事を調べようと思って図書館に寄ったのはいいけれど…認知療法に関する本が無い!!


あったとしても「臨床心理学入門」とか専門家になりたい人や専門家向けの本しかなかった、端末で検索しても「見つかりません」と出る始末…最近は一般向けの心理療法について書かれたものは少ないのでしょうか?


そういえば特定の病気別の本でも薬物治療ありきで、その他の療法について詳しく書かれているものが少ないように感じます…薬の種類が爆発的に増えたから?それとも製薬会社の根回し?


精神分析療法など、日本に広めた人が「もう過去の療法だから」と衰退を認めた療法なら関連の本が少ないのはまだ理解できますが、認知療法って国内外で「効果のある治療法」としてかなりメジャーになっている療法ですよね?


一部の地域では「投薬治療しかしません」なんて宣言をしている病院もあるみたいで、それらの病院は「投薬御三家」と呼ばれているらしい…そういう病院に通っているのは病気を治したいというよりも「薬だけ欲しい、薬さえもらえればそれでいい」という患者。


こういう利害関係が一致している以上、まだまだ投薬治療は幅を利かせるのでしょうか?



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私の生きる道、生きてきた道。

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最近は20代でも思春期が続くという考え方があるらしい…こういうことを感じる というのもそれほどおかしい事ではないようだ。


昨日はこのことについて話してきた「今の自分の状態がわからない」ことや「どうして自分の状態についてきちんと教えてもらえないのか?」ということについても相談してきました。


自分の状態については「複数の病気や障害(全般性不安障害・広汎性発達障害・注意欠陥障害)が混在していて、しかもそれがほぼ日替わりのような感じでめまぐるしく症状が入れ替わるので説明するのはおばぁちゃんでも難しい」という事だった。


そして、ひと口に「広汎性発達障害」と言っても症状は個人差が激しいものでTomokoさんと全く同じという人はいないし、必ずしもひとつの診断名にこだわる事は無いこと、そもそも自分を構成する「軸」は必ずしも一本である必要は無いとも言われた。


Tomokoさんはどれか一本でないといけないと思っているけど、大抵の人は「色々な軸を持っているもので、それが普通の状態なのだ」とのことでした。


なのでTomkoさんも今言われている診断名全てを「自分の軸」として受け入れて、それらと上手に付き合っていく方がより生きやすくなるのでは?と言われました。


今のような状況になるのは、Tomokoさんを構成する「土台が無い」のが原因ではないのかな?と言われました、それが「診断名に必要以上にこだわる」という現象になってあらわれているのではないのだろうか?と言われました。


言われてみればいわゆる「思春期」と呼ばれる時期が無かったこと、そういう事を考える以前に「当時置かれていた状況があまりにも苦痛すぎて、そういう事を考える余裕が全くなかった。


それが、20代後半あたりから自分自身の事を振り返る事ができたなど、気持ちにある程度余裕が出てきたことによって「自分の問題にきちんと向き合う」という事ができるようになって来たのではないだろうか?Tomokoさんは考え方のクセがあり、それが不安をもたらす原因にもなっているので考え方のクセを修正していく訓練…いわゆる「認知療法」をそろそろ始めても良い時期にあると言われた。


今は自分でもできるワークも出ているし、もし解らない事があればその都度ある程度のアドバイスならできると言われました。


考え方のクセがわかればそれを修正してくことによって、病的な不安感からも抜け出せる可能性は非常に高いとのことでした…時間はかかるかもしれないけど、薬を使わずに自分の気持ちをコントロールできるようになるかもしれないとのこと。


職場でのことについては、私の要望が通り少し明るい展開になってきた事を報告しました。


おばぁちゃんからは転職を視野に入れてもいいと言われましたが、今回の報告をしたところ…仕事を続ける意欲があるなら、今の職場に留まる方が良いと言われました。


前に出入りしていた当事者会で僻みから来る逆差別を受けた事については「Tomokoさんは同じ当事者の中でも環境的には恵まれている方に入るから、僻みの対象にされやすいのだと思う」そういう目にあったのなら離れるのもひとつの選択肢としてありだと思うと言われました。


「Tomokoさんは自分の置かれている環境などについて、良い所を見つけたり、良い方向に考えるのが苦手なところがあるから、自分が思っている以上に恵まれていてもそれに気付かないことが多い」との事で、自分が思っているほど周囲の人は私のことを悪く思っていないし、いつも悲観的に考えることが多いけどそこまで悲観視しなくても大丈夫と言われました。


おばぁちゃんに適当にあしらわれていると感じるのも、それはおばぁちゃんの「細かい事は気にしない」という性格のせいでそういう風に感じるだけかもしれないし、私に対して「考え方を変える練習をした方がいい」と口癖のように言うのは私の性格をきちんと理解した上での発言だと思うと言われました…いわゆる「認知の歪み」に対しては投薬治療ではどうにもならないし、私はメンタル薬に対して過敏に反応するから安易な投薬に走らないのだと言っていた。


確かにリスパダールは一日最低量の4分の1であれだけの副作用を引き起こしたからな…レスリンも一日最低量の3分の1でアカシジアが出た。


抗不安薬の類もレキソタン断薬以降、また処方する気は全くなさそうである。


とりあえず、明日図書館に行って認知療法の本でも借りて読んでみようと思っている…もしかしたらワークを購入するかもしれません。



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私の生きる道、生きてきた道。


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