正直なところ…あのグループから離れた事は、私に正解だったと思っています。
あのグループに滞在していたからこそ「自分が本当にやりたいグループ」というのを考えることが出来ました。
私にとって12ステップは「やりたくない事」のひとつになっていたからというのもあるけど、グループを離れたことによってカウンセリングに専念できるようになったし、今年の3月に発達障害の診断を受けたことによって「自分の生きづらさの根本的な原因のひとつ」がわかった事も大きいと思います。
自分自身の気持ちときちんと向かい合う事で、今まで書いてきたアダルトチルドレンの問題はグループで使われていた霊的な病気という考えを完全に捨て「自分の問題」として取り組んでいくことで、本当の意味での「回復」が得られるのではないかと考えるようになりました。
ここだけの話…日本には「12ステップ」を取り入れているAC自助の団体は4つもある。
どこのホームページもリンクに対してかなりうるさいので具体的な団体名は伏せます…海外に本部のある団体、日本で発足された団体、同じものを使っているのに4つもグループがあるのはなぜだろうか?日本はそんなにACの問題を抱えている人が多いのだろうか?
どうもACの問題を抱える人は「どうでもいい事」で争いになるケースが多いようだ。
私の参加していたグループだってしょっちゅう「アノミニティ(匿名性)」について口論までは行かないけど、解釈の違いで言い争いをしていた。
要は「ミーティングの中でどこまで固有名詞や地名を出すか?」という事をずっと平行線で交わる事の無い不毛な争いをしていたのだ。
私の意見として「非常にどうでもいい問題だし、そこまで匿名性にこだわると何も話せなくなる状態になるだけではないか?」と提言をしたことがあるが…これが賛同を得られなかった。
あの人達にとっては「非常に重要な問題」だったらしいのだ。
この問題を抱える人の特徴として「どうでもいいことにこだわる」という傾向があるらしい(これは広汎性発達障害にもあるけど)…そして頑なにルールを守ろうとするがゆえにこのような問題を起こしやすいとか?
私はくだらない争いに巻き込まれるのも嫌だったし、それ以上に「霊的な~」とか「神が~」という考え方をする時点で生理的に受け付けなかったのである。
これらの考え方は私の考え方の基本となるものとは対極に位置しているものであるし、感覚とか概念という漠然としたものが理解できない私には全く合わないという事を痛烈なまでに体感したのだ。
グループ内の人間関係の悪さにも辟易していた、ミーティングでは細かいルールがあるのに一歩外に出れば無法地帯と言っても過言ではないくらいの噂話や悪口で盛り上がっていること自体が非常に苦痛だった。
それ以外にもグループの運営方法にもいささか疑問を感じることは多々あった。
参加費は取らないと言いつつ「献金」と称して半強制的に金銭を徴収することや(お金を取るのなら初めから会費制にすればいいのでは?)、書籍を購入しないといけないという雰囲気…元々「欲しい」と思えるものでもない物に1000円も出せません。
当時、参加したての頃は休職中だったこともあり気軽に出せる金額ではなかったのです。
しかも、ある程度参加し続けると「なんで本買わないの?」みたいな視線で見てくるんです、特に古参メンバーが…この手のグループが自治体の市民ボランティア活動支援などに加入しないのは、伝統にある「独立」ではなく、書籍を販売することが「営利目的」と捉えられているのでは?と勘ぐってしまう。
大抵の自治体は団体登録に関して「政治・宗教・営利目的」での活動を条例や規約で禁止しているのだ。
あそこになじんでいる人たちはミーティングだけがこころの拠り所であり、物理的な居場所でもあったのだ。
病院に通っていない、カウンセリングを受けていても担当の先生との関係が上手く築けない、パートナーのいないシングル…ミーティング外での人間関係が希薄か、上手く行っていない人が多いように感じる。
過度にのめり込むと、ミーティングが生活の中心になってしまう…ミーティングに合わせた働き方や生活パターンになってしまう、その結果満足な収入を得られなかったり、パートナーのいる人は家庭内に居場所がなくなってしまうこともないとは言い切れない。
あれ…これ「自助会の皮をかぶった宗教団体 」と同じやり口ではないだろうか?
この2者の違いは「新興宗教」か「スピリチュアル」かの違いだけである、どちらも「回復には一つの方法しかない」と断言しているところは共通点だと思う。
私は声を大にして言いたい…
「回復のための手段はひとつだけではない」
ということだけである。
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