なぜ「命の授業」にモヤるのか? どうせ教えるなら性教育とかメンタルヘルスの話をしろやい | 今日も、犬とベッドシェア

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おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
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この記事の続きのようなもの…

 

 

誰の思惑か知らないが、最近の学校では義務教育・高校関係なしに「いのちの授業」とか「誕生学(商標登録済)」なるものが流行ってるらしい…私が通っていた高校でやっていたような「鶏を卵から孵化させて最終的に絞める」とか「望まない妊娠の末路とか性感染症になると…とか、避妊の方法を覚えさせられてテストで出題する」みたいなことじゃなくて、調べた限りでは学校に助産師とか妊婦とか子連れがやってきて児童や生徒の前で

 

「命って素晴らしい!!妊娠・出産は神秘的で奇跡で素敵なこと!!生まれてくるってすごいんだぞ!!」

 

っていうような事を声高に語りつつ、妊娠から出産までの流れを説明したり、実際に赤ん坊と触れ合ったり出産の時のエピソード聞いたりすることで「いのち大事、生まれるって素晴らしい」って思ってもらうことが主目的からの最終的に「だから、自分の命を大事にしよう」といったような自己肯定感的な何かを育む…と自称している。

 

ものすごいトゲのある言い方をすると「妊娠や出産を必要以上に美化&神聖化してキラキラした"何か"でこれでもかっ!?」ってほど過剰に装飾した挙げ句、様々な理由で今つらい思いをしている子供を追い詰める…というとても素晴らしい内容の授業だそうです。

 

参照

 

 

松本俊彦氏のブログ記事があったのですが、ブログサービス終了に伴って記事が消えてしまった…この人は依存症に詳しい精神科のお医者さんで有名な人。

 

ん~実に気持ち悪い、個人的には初潮が来ることを「お母さんになる(赤ちゃんを産む)ための準備」と言われるのと同じくらい、いや…それ以上に気持ち悪いし違和感しか無い。

 

過去にどっかで「お母さんになる(赤ちゃんを産む)ための準備」という表現は不適切ではないのか?と異を唱えたことがあるが、この時は「他にわかりやすい表現が思いつかない」とレスをされたことがあるような…今の私だったら「大人の体になっていく途中」とか「体は赤ちゃんを産むための準備そしているけど、将来赤ちゃんを産むかどうかはあなた自身が決めること」と一言付け加えるだろうし、こういう風に言って欲しかったってのもある。

 

私が乳がんが見つかるまで、性行動は横においておいて…とにかく避妊だけは確実に実行するようになったのは、10代半ばのあたりで既に望まない妊娠の末路とそれは「正しい知識があれば防げる」という事を頭に入れていたからかもしれない。

 

この気持ち悪い誕生学とやら…授業を通して「望まない妊娠を防ぐ」とか言ってるけど、妊娠や出産をキラキラゴテゴテに装飾してロマンチックに語ったところで全く持って意味ないと思うんだよねというか完全に無意味。

 

望まない妊娠を防ぐには「どういう避妊法があるのか」特に、女性が主体的に出来る方法…(アフターじゃない方の)ピルの効果やどこに行けば手に入るのか?通いやすい婦人科の探し方なんかを教えた方がよほど実践的だと思うんだけど。

 

そして、妊娠や出産はあくまでも「人生の選択肢の一つ」にしか過ぎないこと、それを選ぶのはあくまでも自分の意思であることで他の人から口出しされることではない。

 

ということを教えるべきだと思うんです…特に女の子にはこれ大事。

 

教える人も、外部から誰か呼ぶなら助産師じゃなくて(直接関わったことがない職種の人だけど、正直…いいイメージがない職業の1つ)婦人科専門の医者がいいと思う(但し、産めハラをしない人限定)。

 

ものすごい偏見だけど…妊娠出産界隈が(似非も含めた)スピリチュアルに汚染されてる原因の1つが助産師の力が大きすぎる気がするんですよね、それに感化された医者も汚染されてくイメージ(こっちは男が多い、有名どころだと胎内記憶のオッサンとか、結構前に死亡した自然なお産の教祖様とか)。

 

確かに感情的に語りかけるほうが簡単かもしれないけど、それって記憶には残るんだろうけど知識としては残りにくいしそもそも感情的に語った内容は総じて知識じゃない。

 

もう一つの理由である「様々理由で今つらい子を追い詰める」については松本俊彦氏のインタビュー記事リンクをご覧ください。

 

とても詳しくわかりやすく解説してくれています。

 

タイトルに書いた「メンタルヘルスの話」は私の経験に基づいています…高校卒業後、さらに自分の専門性を極めようと進学したのですがこれまでと大きく環境が変わったことなど様々な要因が重なり、10代後半で本格的にメンタルをやられたから。

 

当時はネットもまだそこまで普及してなかったので私の主な情報収集源は図書館で借りた本…そこで私は「ストレスの原因と対処法」とか「こころの病気」といった内容の本を借りて読んだり、当時偶然知り合ったカウンセラーやってる人から「神経症っぽいけど、まずは眠れないのをどうにかしないとそのうち心身症に移行するぞ」と言われたのが精神科デビューのきっかけ。

 

実は、その前から駅に出ている「精神科」とか「メンタルクリニック」的な看板がものすごく気になっていて「受診したほうがいいのかも?」と思っていたところもあったのでちょうど背中を押してくれた形だ。

 

私はたまたまあるルートでカウンセラーやってる人と知り合えたけど、これが相手がホストとかだとメンケアと称した支配とか搾取の対象にされたり、不健全なコミュニティにしか居場所がなくなって自滅していく…という未来しか見えない。

 

それ以前に私は人よりも知識欲が強いので「その時の自分に必要な情報を得られる情報源」に容易にアクセスすることができたけど、それが難しい人もいたりする…そもそも「自分は病気」という自覚が持てない病気もある。

 

今はネットの情報がありふれているからこそ、正しい知識や情報が必要な時代だと思う。

 

このような命の授業とか誕生学ってあくまでも「語る側の自己満足を欲求を満たしているだけ」に過ぎないんだよね…あと、この少子化で私が骨折で入院してた病院の産婦人科も開店休業状態だったのに、開業助産院ってなんで潰れないんですか?需要あるの?