私が子供を持ちたいとただの1度も思わなかった理由 | 今日も、犬とベッドシェア

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おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
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あまり漫画は読まないタイプなんですが…最近、これを全部読みました。

 

 

 

NHKでドラマ化されましたね…あっちから先に見たんですが、原作も気になって電子版全巻購入して読破しました。

 

ドラマの方も1クールくらいで観たかったけど、映像化するにはあまりにも重すぎる話が多すぎる…このデフォルメされた絵柄だから読めるのだと思いました、実写だと心身に影響をきたす人がかなり存在するものと思われる。

 

感想を述べると…作者のフラットな視点、出産を必要以上に美化・神聖化したり中絶する人やした人を否定したり責めることもなくそれぞれの選択を否定も肯定もしないというのは結構難しいことなんだけど、それが一貫していた。

 

そういうフラットな視点の中に全ての選択をありのままに受け止める作者の優しさを感じる事が多々あった。

 

自分が見聞きしたことや体験したことをただ、淡々と描かれているので読み手側も自分の想像や考え方を巡らせることが出来る余白が充分に取られていて、性別や子供の有無に関係なく色々な立場の人が読める作品だと思ったと同時に、立場が違うとまた違った感想を持つのかな?と思いました。

 

最終巻で作者自身が子供を持たなかった理由が書かれていましたが、なんとなく作者が感じた事と重なるところがある。

 

私も子供の頃から子供が嫌いだったし、なんとなく将来子供を産んで…といった姿は全く想像できなかった。

 

そして、高校1年の時に部活の顧問だった先生が死産(もしくは出生直後に亡くなった?)を経験したり、授業で出産ビデオを見せられたことや性感染症や中期中絶の話をや児童虐待の話やそういう話題を扱ったテレビ番組を録画したやつを見せられたりした結果…私も心のどこかで

 

「こんなん、自分には絶対ムリだ…到底出来るとは思えない」

 

と思うようになっていた…部活の顧問だった先生は元々主に2年生の担当だったが、担任から「Tomokoさんは関わりがあるから」という理由で教えられた「〇〇先生、赤ちゃんダメだったの…」と言われた時は正直どう反応していいか分からなかったし、本人に対しても何も言えなかったような…いや、この事についてはなんとなく触れてはいけないと思った。

 

その他の事は2年になってからだったけど、この時の先生も出産を必要以上に美化することもなくかと言って中絶を否定することもなく、虐待に関しては「自分だったらどう思うか?」などの感想を書かせる事があったくらいだ。

 

こういう影響を受けてか?今も個人的には中絶は特に悪いこととは思わず、むしろ自分で選んだことなら”女性の権利”じゃね?と思うほどで初期なら本人の希望だけで出来るようにするべし…と思うし、経口薬の適用になる時期ならもっと費用を抑えるべきだと思ってるくらい(必要以上に罪悪感を抱かせたり、わざと痛めつけるような処置をする病院が理解できない)。

 

虐待に関してはこの時、私は何を書いたかは結構覚えていて

 

「虐待は誰しもが加害者になる可能性がある。加害者を責めるだけでなく、加害が起こらないようにするべきであって、そのためには親子がある程度”離れられるような環境”を整備していく事や加害者(と予備軍)へのケアをする必要があるのでは?」

 

と書いたような気がする…これを書いた当時は確か90年代後半、あれから数十年経つが個人的にはこういう環境は全く整備されていないように感じる。

 

幸い、私は周囲の人間から「産めハラ」をされた事はないのだが…何故か20代前半の頃は婦人科の医者に「将来的には1人くらいは~」と散々言われることが度々あったので

 

「私は痛いのが嫌なんです…だから、無意識下で全く痛みを感じないように取り出してくれるなら前向きに検討します」

 

と、返したら…それ以降は何も言わなくなった(現在の医療技術では無意識下での出産は不可能)。

 

確か「無痛分娩は全く痛くないわけじゃない」と教えてくれたのはこの人だったかもしれない。

 

その後、パートナーと暮らすようになっても子供が欲しいとは微塵も思うこと無く、むしろ

 

「今住んでる場所では公立の学校には絶対通わせたくない、下手したら幼稚園も越境入園か受験をさせないとダメかも?(うちの地域は幼稚園より保育園の方が圧倒的に多い)」

とか

「仮に子供が産まれたとして、同性だったら受け入れられるかもしれないけど異性だったら嫌だな…」

とか

「万が一、障害児だったら絶対に受け入れられない(軽度のADHDくらいだったらなんとかなりそうな気がするけど…それ以外は絶対無理)、親権の放棄を本気で考える」

 

「そもそも、日本で良しとされる育児法が自分の性格や生活スタイルに合わないんだよな」

 

などのネガティブなことが頭をグルグルとまわった…そして、何よりも懸念事項だったのは

 

「…なんとなく、自分は性格的に虐待加害者とか毒親になりそうな気がする」

 

と思うことが度々あった。

 

要は「負えるかどうかわからない責任なら、はじめから負わないほうが良い」と思っていた。

 

産んでみたらやっぱり無理だった…が不可能だからこそ、真剣に考えた結果が選択的子無しというわけだ。

 

だから、そのためにも避妊だけはかなり徹底的にしていた…出来るなら避妊手術を受けたかったのだが、現行では女性の場合はすでに子供が数人いないと受けられないとのことで諦めざるおえなかった。

 

その代わり、30代の終わりまでピルをずっと飲み続けていたし、ピルが飲めなくなってからは妊娠するような行為は一切していない。

 

ニュースとか観ていると、今の日本では万が一望まない妊娠をしてしまった場合…ほぼ誰も助けてくれないと感じる。

 

本来なら助けなければいけない立場の人たちが余計当事者を追い詰めているようにさえ思う。

 

40歳をちょっと超えた今、私は選択的子無しを貫いたことに対して全く後悔はしていない