パートナーさんが亡くなってから早5年…正直、もうそんなに経つのか?というのが正直な感想。
当時も記事にはしていますが、詳しい状況などはあえて書きませんでした…でも、今回は記事にしてみようと思います。
実はパートナーさんは自ら命を絶ちました。
元々、数年前から職場の人間関係のトラブルが原因でうつ病を患っていて障害者手帳を取得してました。
前職を休職中にB型作業所に通い(工賃は所得としてみとめられていない)つつ、転職活動をして晩年は特例子会社で働いていました。
2人でグアムへ旅行に行って、帰ってきてから少しして一気に具合が悪くなり2度めの休職をしてさぁ。復帰しようとなった矢先に…「産業医と面談しないと復帰出来ない」と会社から言われたことがよほどショックだったのか?一気に状態が悪くなり、ある日の午後、私(実はこの頃私も2度めの休職中でした)が寝ている間にスッと姿を消してしまいました。
夕方になっても、夜になっても待てど暮せど帰って来ない…連絡しようにも携帯を置いて行ってしまったので連絡できない、大人だったので「そのうち帰ってくるだろう」と思って待っていても一向に帰って来ない。
もしかして、実家に行ったのかも?と本人の携帯から(私の携帯でかけても電話に出ないから)電話するも「来ていない」とのこと。
その夜、家に訪問者があったのですが…「知らない人が来た時はインターホン越しでも応対してはダメ」と言われていたのでスルーしていましたがどうも嫌な予感がするようなしないような。
その日はそんな状態のまま眠りにつき、翌朝かなり早い時間にまた来客が…なんと警察の人でした。
「パートナーさんの遺体を安置してるので確認してほしい」
とのこと、実は前日の夜にも来たらしいのですが私が居留守を使ってたのでメモを入れていたとのことでした。
その時の私が真っ先に思ったことは
「この家のローン、どうしよ…」
でした…まさに頭が真っ白になるとはこういうことか。
携帯は置いて出ていってしまったようですが、なぜか近所の病院の診察券だけは持っていたようでそれを見てすぐに身元を特定できたみたい。
実際に本人を見せられ、間違いないですか?と聞かれても感情はずっと平坦なままで
「あぁ、本人で間違いないです」
とつぶやいた後に警察の人から今後の流れを…というか、要はさっさと葬儀社を見つけて引き取れということを言われた。
幸い?葬儀社にはあてがあったのでネットで電話番号を調べてすぐ電話、ちなみにこういうケースの時は司法解剖まではせずとも検死はやらないとダメらしい。
その後、色々事情を聞かれたり(事件性の有無を確認したかったみたい)して数時間後検死の結果を聞かされたんですが…ざっくり言うと「突発的に行動に移した」とのこと。
うつ病で自殺する人の多くはほとんどが衝動的に行動に移すパターンが多く、事前に準備する人の方が少ないとか?
そこから当時書いた喪主になった話の記事などにつながります…
正直、この時は感情の起伏が激しくなるとか一切なくて
「あぁ、死んじゃった」
くらいにしか思っていなかったんですが、葬式が終わって一段落した時にワッと気持ちがこみ上げてきて…役所の手続きの時に事情を知った市役所の人が各相談ダイヤルの案内をプリントにして渡してくれていたのを思い出して、なかなか繋がらないのを必死で何度も電話をかけてやっと繋がった人に30分くらい話を聞いてもらってなんとか落ち着きました。
何度か記事にしているように私は実家とは完全に縁を切ってますし、当時はリアルの友人もいませんでしたので(いたところで夜中にいきなり電話するようなことは出来ない)…あの時私の話を聞いてくれた相談員の方には本当に感謝しています。
この件については私のことを知っている人の一部以外にこうして不特定多数に向けて語るのは初めてです。
いつか、折を見て書きたいとは思っていましたが…ちょうど5年という節目に記事にしてみました。
この話を知っている人からこんな事を言われました。
「この事はパートナーさんなりのTomokoさんに対する”優しさ”なんだよ」
と…2人で路頭に迷うよりも、自分が犠牲になることでTomokoさんに色々残してあげたかったんだよと言われました。
思えば、今の家に住み始める直前に「もし、自分が死んだら住宅ローンは保険に入ってるから支払いはなくなるから心配いらない」「家は残してあげられるから、後は自分で生きていけ」って言ってたな。
私とパートナーさんは年がかなり離れていたから、死ぬならパートナーさんが先なんだろうな…とは思っていたけど、まさかこんな早くに死ぬなんて思いもよらなかった。
パートナーさんは死んじゃったけど、パピヨンさんとの関係はさらに深まったし他の人との出会いが増えたり、今の職場に転職したりといろいろな縁があった…トータルで考えたらプラスになるかもしれない。
でも、実は「自分のせいで死んでしまったのでは?」と思うこともあった…というか、そういう風に責められるのでは?という不安感はあった。
実際にはそんな事はなかったけど。
私はこの経験を通して、今まで出来なかった事に色々チャレンジできるようになった。
一人で海外旅行なんて、興味はあったけどまさか本当に行ってしまうなんて思ってもいなかった…これも「常に前向き、チャレンジ精神を忘れない」をモットーに生きてきたパートナーさんの影響を少なからず受けてるのかもしれない。
あまり多くは語らなかったが、苦労の多い人生だったように伺える…それでも負けずに立ち向かってきたような人だ。
私はそんなパートナーさんに対して「好き」とか恋愛感情的な物ではなく「人として尊敬できる」ところに惹かれていたのかもしれない。
私たちはお互い相手に求める理想像とはあまりにもかけ離れていた存在だったかもしれない…それでも、10年も一緒に暮らし続けてこられたのは私のパートナーさんに対する「リスペクト」の気持ちと実は私の目の前では出さなかったらしい「寛容さ」と「愛情」があったからかもしれない。
一時は「このまま40代くらいで死ぬのもアリだったのでは?」なんて考えていた事もあったけど、パートナーさんが生きられなかった残りの人生、あとどれくらいかわからないけどその分を私が生きていかなければいけないような気がしている。
10年間…本当にありがとございました。