子供のころから「一匹オオカミ」的な生き方をしたいと思っていた。 | 今日も、犬とベッドシェア

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おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

私は物心ついた時から、いわゆる「集団行動」が苦手なところというか…「好きじゃない」ところはあるなと感じていた…あと、コミュニケ―ションも苦手で時々苦痛に感じます。


聞いた話ですが、私は本当に小さい時から「人の輪に入らない(入れない?)」ところがあったようで、集団で遊ぶよりも一人遊びや絵本を読んでいることの方が多かったらしい…家の近くに図書館がある環境では無かったが、自宅には絵本が沢山あった。


私の文章力はこのころの過ごし方にも影響を受けているのだろうか?


私の親は、とにかく「子供の意思や個性を尊重しない」タイプでしたので、そんな私を無理やり集団に入れようとするんですよ、私は一人でいる方が楽だと思ったのか結局馴染まないわけで(笑)

しかし、この人は集団主義的思想があるというか、ただ単に自分の負担を減らしたかったのかは知らないが家から近いという理由だけで近所の幼稚園にあろうことか「秋入園」させたのだ。


この人たちは「子供の教育方針」というものに対して恐ろしいほど無頓着なところがあるみたいで…あぁ、やっぱり「親は選べないんだな」とこれを書いてて改めて実感しています。


普段から1人で行動することが多かった私が「自分の意に反する」集団行動になじめるわけがない、入ったばかりの頃は脱走の常習で「目印」付けられて常にマークされていたらしい。


話変わって、実は私は子供のころから「牛乳が飲めない」というか、厳密に言うと「飲めなくなった」と言った方が正しいかもしれない…気が付いたら自宅では絶対に飲まなかったし、幼稚園では給食だったのでそれについてくる牛乳は「仕方なく」飲んでいたような記憶がある。

最初の頃は手洗い場に捨てていたらしい…自分、意外と知能犯かもしれない。


とにかく「集団主義」や「管理的教育」という環境は私には合わなかった、友達も「色々な人たくさん」というより「厳選した数人」というのは今も変わらない。


5歳くらいの時からすでに「習い事」なんかしてみたけど「某音楽教室」の集団レッスンにはついていけなかったし、絵画教室にも通っていたことがあるけど「自由作品」の制作にしか興味がなく、課題制作や集団制作にはついていくとか以前に全く興味が無かったみたいでほぼ放棄していたそうだ。

ピアノについてはその後「個人レッスン」の教室に移って、そこの先生との相性が良かったこともあってか20歳くらいまで、約15年間続けていた。


他には英語とか、プールとか書道もやってたけど…今思うと、運動とは無縁な私が「プール」を習っていた事には自分でもなぜなのかわからないです、おそらく「進級」を競ったりするようなガチガチの「スイミングスクール」で無かったことも関係あるのかもしれません。


「他の人と同じ」というのも気に入らない事が多々あります、小学校の入学式でも1人「ピンク色」の服で参加したり…後に20歳で進学した時にも入学式や卒業式にこじゃれたワンピースやパーティドレス(プロにヘアメイクもやってもらった)を着て参加したのは当時のクラス内ではたぶん「伝説」になっている。


先代の主治医にも「あなたは生徒の自主性や主体性を重んじる教育方針の学校に行くべきだった」と言われたほど、私は学校という組織にあまりなじめなかった。


学校、特に義務教育期間中は何かと「集団行動」や「全体主義」というものを押し付けることろがある食べたくもない給食を食べるように強要されたり、遠足や修学旅行では親しくもない人達と行動を共にしなければいけないとか。


その流れに少しでも外れると異端児扱い、私は生来の「コミュニケーション下手」を引きずっていたので友達は多くても3人くらい…クラスの集団とは一線を引いたところにいつもいたような気がする。


そこに「入りたくても入れない」状態だったのか?それとも「自分の意思で入らなかった」のかは自分でもよくわからない…もしかしたらどちらの状態も併せ持っていたのかもしれない。


例によって親はそんな私に対して理解を示すことは無かった…「何かに付けて"普通の子は"~」と言っていたと記憶している、このころからずっと疑問に思っている事がある。


「普通」ってなに?


学年が上がるにつれ、私は常に1人で過ごすことが多くなったような気がする。

なんだか他の同い年の人達の感覚についていけないと思うようになっていった…というか、実際についていけなくなった…これくらいの年齢の女子が興味を持ち始めるような話題「クラスの○○君が好き」だの「タレントの○○のファン」だのそんなの全く興味が無かった。

私は「自分の想像の世界」に生きる方が好きだった。


学校にはかれこれ10年くらい通ったが、一番苦痛だったのは「中学校」だったのは言うまでもない。


中途半端に古い学校ほど「伝統」という言葉にこだわる傾向があるような気がする…自分の意思でそこを選んで入ったわけではないのに、押し付けられる「愛校心」なんて何になるのだろう?


他にも中学、特に部活ににありがちな「先輩・後輩」という理不尽な上下関係にもなじめなかった、私は同い年だけでなく「年齢差の近い人」も合わないところがあるようだ…それは今も変わらない。


今でも思う事がある…「たまたま1年早く生まれただけなのに、なんであんなに偉そうで理不尽な要求を押し付けるのだろう?」と。


1年の時は友達と一緒に上級生のいる部活に入ってみたけど、あまりにも理不尽な待遇や集団主義的思想にに私の不満は募るばかりだった。

私は2年になる前に上級生はおろか、部員数1ケタの部活に移った。

こちらでは自分のペースで活動できるというのもあってか、卒業まで続けることが出来た。


強制的に入らされる部活以前に、私はその学校の生徒であること自体が嫌だった…画一的な管理教育主義や、あらゆる事が「押し付けられ」て「されられている」感がどうにも拭えなかった。


しかも、最悪な事に仲の良かった人と同じクラスになったのは2年生の時の1度だけ。


後は知らない人ばかりのクラスだった、そのクラス内で他の誰かと仲良くなろうとは思わなかったし、それ以前にほとんど交流が無かった気がする。


だから常に「違和感」というか、私がいるべき場所は「ここでは無い」という気持ちはどこかにあった…誰かが「もう無理しなくていいよ」と言ってくれていたら、私は学校に行くことを止めていたかもしれない。


私は半ば無理やり学校に通っていたのだ。


そして、今になっても集団行動は苦手だし人づきあいが苦痛に感じる事はしばしばある。

職場でも常に「話しかけるな」オーラを放っているところがあるかもしれない。


とにかく「群れる」とか「集団主義」というものについていけないのです。


集団から外れるのはいけないことですか?


集団に入らない(入れない)というのは悪いことですか?


「自分らしさ」を押し殺してまで、人に合わせることって本当に必要ですか?




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…I am looking for empty 空っぽの「私」を探して