◆根本裕幸 -47ページ目

◆根本裕幸

恋愛や結婚、性などのパートナーシップ・家族に関する問題からビジネス、対人関係、健康・病気・死など幅広いジャンルを扱う。感情・感覚をフルに使った“目からウロコ”な心理分析や、じんわりと心に響くハートフルな癒しには定評がある。

禁煙するときには様々な心理的な不安が出てきます。

私の場合は「タバコがないとお酒が飲めない」とか「人と話をするときに間が持たない」とか「セミナーの休憩時間が過ごせない」とか、様々な理由がでてきました。
でも、そうした不安を見ていくと、私にとってタバコとは、対人関係を築くコミュニケーションツールの一つとして存在していることが分かってきたんですね。

昔勤めていた会社でも、セミナーでも休憩時間には喫煙コーナーに行って交友を深めてました。タバコを吸う者同士の連帯感ってありますよね?
特に禁煙が盛んに叫ばれるようになった現代では、“同志”という意識で結びつき易くなるようです。

それと同時に、タバコをくわえていること、煙をくねらすことが会話のリズムを整えていたことになります。だから、タバコがないと間が持たないように感じたり、何をしゃべったらいいのか分からなくなるんじゃないかと不安になってたんですね。だから、もしタバコを辞めたら・・・と思った時に、とても楽しみを奪われるようにも感じていたわけです。喫煙コーナーでいつも下らない話をしていた仲間ともおさらばしなければ・・・みたいな変な感覚に捉われた事もあります。だって、タバコを辞めることは彼らを裏切った事になるような気がしましたし、平然と彼らに近付いたら禁煙の意志が潰えてしまいそうにも感じたからです。いわば、友達を無くす、みたいな感じですね。そして、もう一つ、タバコを吸うことでリラックスできていたし、自分だけの時間、間を作れていたのにそれが無くなってしまうのは重大な不安事項でありました。喫茶店に行って一服付けて、というのはとてもいいリラックスタイムでした。なんともいえない安堵感やすっきりした気分になれたので、思い切り息を吐き出せる“愛煙家歓迎”の店によく行っていました。そうすると必然的にお酒が飲めるバーなどはとてもいい場所で、出張先では特に足繁く出かけてましたね。また、こうして文章を書く際にもタバコは一定のリズムを作ってくれていました。よくアイデアをひねり出すときにタバコが必要・・・という意見がありましたけれど、私がまさしくそれで、タバコを吸いながら仕事をするのが癖になってましたから、タバコを辞めることで文章が書けなくなるんじゃないか?アイデアが浮かばなくなるんじゃないか?ということはとっても大きな不安でした。●タバコを辞めて、その不安はどうなったのか?で、結果的にタバコを辞めてどうなったかというと、まず喫煙ルームでの友達関係は始めは変わりましたけれど、やがては普通に戻りました。よくよく思えば、タバコを吸うから友達、吸わないから話さない、というのはあり得ないわけで、禁煙当初こそ、リバウンドしないように意識的に喫煙スペースには足を向けませんでしたけれど、そうでない場面では普通に話をしてたりしました。だた、やはりタバコを吸う者同士の連帯感からは外れてしまった訳で、ちょっと寂しくはありますね。一番懸念材料だったセミナーの休憩時間、打ち上げの席での振舞いについては、ほんと慣れるのに時間がかかりました。居場所がないというか、定位置を奪われてしまったというか・・・。とはいえ、その一方で煙に惑わされなくてもいい安堵感もありました。タバコを辞めてからはより一層匂いが気になるようになりましたから。長いこと、タバコに依存しながらコミュニケーションを取っていた事を改めて思い知らされましたね。でも、やっぱり人が好きというか、人と話さなければ生きていけないというか、タバコがなくなれば無くなったで、それなりの人間関係構築術を学ぶようになるんですね。そして、私がタバコを吸ってたことを知らない人と知り合っていくのも途中からは面白くなっていきます。「そっか、この人は僕がタバコ吸ってたこと知らないんだな」と。それから喫茶店やバーに行く回数はかなり減りました。タバコを吸うために足を向けていたんだな、ということが良く分かるくらい。でも、一方で、味にはとてもうるさくなりました(笑)喫茶店でも飲みに行くのでも、質には異様にこだわるようになりましたね。珈琲もかなりマニアックにウマイ、マズイを意識するようになりましたし、お酒に至ってはかなり質を求めるようになっていました。でも、私のお勧めカフェシリーズを見ていただければ分かるように、相変わらず喫茶店(カフェ)は大好きな場所ですし、お酒を飲むのもこれまた大好きなので、禁煙して2年経てば回数こそ減ったものの、実情はほとんど変わっていないということでしょうか。逆に言えば、タバコを辞めても、喫茶店にもバーにも今までどおり行けるようになる、ということです。ただし、本当に珈琲なりお酒なりを求めているのであれば、ね。もし、タバコを吸う場所として喫茶店を認知してるとすれば、禁煙したら、その珈琲代はまるまる浮く事になるでしょう。また、タバコを吸うことで得られていたリラックス感なのですけれど、禁煙してしばらくの間は常に変な緊張感が心を支配していました。後にも出てきますが、頭はボーっとして、心はちょっと緊張している、そんな不自然な状態が1,2ヶ月は続いていました。いわば、タバコからの離脱症状のようなものだと思うんですけど、リラックスからは程遠い状態だったことは確かです。でも、その一方で「自分はノンスモーカー」ということで得られる安堵感もいっぱいあったんですね。人と話すときに口臭を意識しなくなりました。娘を抱っこするときに遠慮がなくなりました。店でも禁煙席に座ることで一つの達成感がありました。タバコを吸う場所を探さなくても済むようになりました。意外にこの効能は大きかったですね。食事するにも飲むにも何かをするのに場所を選ばなくてもいい、というのは、とても心理的に大きな影響を与えてくれました。さて、実はタバコを辞める前に不安に感じていた事で、思っていたよりもしんどかったのが、文章やアイデアをひねり出すことでした。タバコを辞めて1,2ヶ月の間、頭のどこかが常にボーっとしているようで、気持ちが入らないというか、ギアが入らない状態になってしまったんです。今でもその時の焦りや不安を覚えているくらい大変でした。ほんとガーッと行くものがなくなって、文章にしても浮かばない、集中できない、書けない、と書き物の締め切りが近付くに連れて焦る日々でした。僕がバイブルとしてた「禁煙セラピー」に、“タバコを吸うのは頭を壁に打ち付けるようなもの”という記述がありました。どうも私は頭を壁や机に打ちつけながら文章やアイデアをひねり出していたようです。言われてみればなるほどで、考える時にはタバコが常に傍にあって、アイデアが浮かばない時にはいつも以上にチェーンスモーカーになっていました。そして、禁煙した後はニコチンが頭を巡らなくなったためか、あるいは精神的なものかは分かりませんが、ほんとしばらくの間は頭がボーっとして何に対しても身が入りにくかったですね。今から思えば好転反応なんだろうと思いますが、でも、当時はそのボーっとしていることを自堕落なことと捉えて、また吸い出す理由にしたがっていました。心は弱いもので、何かうまくないことが起こると、すぐに禁煙をその理由にして、タバコを吸い始めたがるんですよね。この辺はほんと職業柄(?)とても巧みで、言い訳がたくさん出てきました。ほんとこの1,2ヶ月、いや、ほんとうはもうちょっと長くて半年くらいは、なかなか以前のようには文章が書けなくて本当に苦労しました。それはちょうど今までは手書き原稿だった作家がワープロを使い始めたら同じようなことを感じるかもしれません。でも、今もこうして文章を書けてるわけで、どこかでそのしんどさからは抜け出せたんです。じゃあ、どこで?と言われると、徐々に、気が付けば、としか言いようが無いんですが、やはり書きたい、書かなくては、という意識が徐々にタバコなしでもアイデアを浮かばせる脳構造を作ってくれたようです。ただ、「タバコが無ければ文章が書けない」というのも思い込みや癖にあたるものなので、しばらくタバコがない状態で悪戦苦闘すれば自然と改善していくものなんですよね。やはりタバコは一種の補助ツールであって、決してペンではない、というところがポイントかもしれません。でも、やはりそうしたタバコを辞めることの代償を払ってまでも辞めたい理由があったことが、禁煙への成功の道だったかもしれません。皆さんなりにもリスクは少なからずあろうかと思うんですね。でも、そのリスクは多くの場合何とかなります。正しくは、自分自身が何とかします。それはもっと自分自身を信じてあげて良いことだと思うのです。問題は、そのリスクを負うだけの理由があるかどうか、それだけのニンジンがぶら下がっているかどうか、が一番のポイントなんだろうと思います・・・。
<リクエスト>

こんにちは。いつも読ませていただいています。
パートナーシップに於いて、無意識的につながっているとありますが、どのようなところがつながっているのでしょうか?
例えば「今日は何か不安だな」と思うと、それが的中してしまうようなことでしょうか?

(まなままさん)
<根本からの回答>不安を感じる時は、より一層パートナーを愛するとき。的中してしまう、という意味では半分半分といったところかもしれません。例えば、虫の知らせのように「もしかしたら、うちの旦那、他の女と浮気してるかも」と不安になったとします。一方、その旦那は翌週とても大事な商談を控えて周りからのプレッシャーもきつく、とても不安を抱えていたとします。そうすると、「今日は何か不安だな」という気持ちで繋がって、奥さんには「今日は何となく不安だな」と感じられることがあります。でも、その原因並びに状況は自分が思っているのとは違ったりするんですね。だから、繋がっているからと言って「あんた、今日、女と浮気してたでしょ!」と詰め寄ってしまうと、とんでもない問題を引き起こしてしまいます。思い込みには要注意というところです。そういうときは「何か不安なことある?」と聞いてみるといいです。相手が素直に「来週の商談、けっこう厳しくてさ」と正直に言ってくれるかどうかは分かりませんが、なぜか知らないけれど気持ちは分かってくれている、と相手を安心させてあげることができます。ただ、“女の勘”ってのありますよね?そういうのは正しいことも多いんです。だから、“ピン”と来たときには的中していることも少なくないかもしれません。*さて、パートナーは心理的にとても近い存在なので自分を映し出す鏡と言えます。パートナーに対して感じるものは自分の潜在意識・無意識にある感情であることも多いですし、またお互いの感情が共鳴しあうことも少なくありません。だから、パートナーシップというのは自分を見つめ、学ばせてくれるわけです。そういう意味では愛情を感じることはもちろん、怒りを感じたり、寂しさを感じたり、哀しくなったり、不安になったりすることもすべて意味があり、大事なことなんですよね。不安になって相手を疑ってケンカすることもいいんです。そうすることで、自分や相手を見つめ直すことができますからね。例えば、パートナーに対して何となく不安を感じたとしましょう。そうして、相手が自分にとって良からぬ事をしている、とか、事故やトラブルに巻き込まれてる、とか、そんな思いが頭を駆け巡ったとします。そこで“女の勘”は別として、「きっとあいつ、また女と遊んでるんだわ」と判断するのはとても危険。だから、そこでお勧めしたいのは「何で自分はそう思うんだろう?」ということなんです。過去にそういう経験があった、とか、男はみんな浮気するものと思い込んでる、とか、自分程度の女なんて愛されるわけがないと思ってる、とか、きっと、その何となく浮かんだ不安は、自分自身の内面を教えてくれはしませんか?そして、その不安というのは過去のトラウマが引き起こしているものかもしれないし、あるいは自分の自信の無さが原因になっているのかもしれません。例えば、前者であれば、心の痛みをまだ引きずっていることを受け入れる必要があります。そして、今現在のパートナーや周りの人たちの愛情を受け取ることで、その痛みを癒していくことができます。また、自信の無さについてはすぐにはどうしようもないと感じられるかもしれませんが、見方を変えれば自分がもっと魅力的になる、あるいは、もっと愛される女(男)になれるチャンスと解釈することもできます。そうすることでその何となく感じる不安も、自分にとって前向きなテーマへと解釈していくこともできるんですね。そして、多くの場合、不安を感じるときは、より一層相手を愛しなさい、というメッセージであることが少なくないようです。なぜならば、愛情が不足するときに私達は不安を感じるからなんです。繋がりを感じ、信頼関係があり、十分な愛情で満たされているときは、どんな状態であれ不安は感じません。だからといって不安は愛されることで解消するよりも、愛することで解消するほうが遥かに効果的です。不安な時は不信感などの感情も引き起こし易いので、なかなか愛情を受け取れなくなってしまっているんです。だから、そこは一歩前にでて、パートナーをより深く愛してみると、そうした不安も解消していきます。愛する、というと難しいことに思われるかもしれませんが、ちょっと頑張って相手の喜ぶことをしてあげる、と思ってみてください。=お勧め!エクササイズ=【パートナーがいらっしゃる方へ】パートナーの好物を一つ、買ってあげましょう。(愛する実習/与える実習)【パートナーがいらっしゃらない方へ】今日は誰かを褒めてあげましょう。(愛する実習/与える実習)
男と女の心理学
始まりだからって力を入れて達成できない目標を立てる必要はないと思います。
1年の計は・・・と言われるくらいですから、ちょっとテンション高めで目標を定め易いからなんです。
でも、「今年は何かを成し遂げたい!」という気持ちの場合は1月いっぱいかけて決めるくらいがちょうど良いかもしれません。寝かす時間、練り直す時間、じっくり推敲する時間も必要なんです。(むしろ、その方が大事)
だから、何かの目標を立てるのであれば、それをまずは1月中くらいは毎日眺めて必要ならば書き直し、思いを新たにする方が良いでしょう。
そうすると心にもしっかり浸透していきます。
逆に1ヶ月間見つめられない程度であれば、それは達成した目標なのかは疑わしいところではないでしょうか。
そして、その目標ですが、できれば“楽しいもの”“わくわくするもの”を必ず入れておきたいですね。眺めたときに重たくなるものだったり、プレッシャーを感じるものだったりすると非常に重たい気分になってしまいます。楽しく、面白くなれるもの・・・それはひとえにあなたの好きなものなんですね。そこで、ぜひ考えてみて欲しいのは「この1年、私をどう楽しませ、喜ばせてあげようか?」ということ。自分を楽しませる・・・という発想は、人に気を使いやすい人ほど効果的。で、これは簡単にできる!という方は、逆に「この1年、私は誰をどんな風に喜ばせてあげたいか?」を考えてみてはいかがでしょう?自分を楽しませることができて、次に人を楽しませることもできます。でも、普段周りに気を使いすぎる人は、「自分」を忘れてしまうんですね。それが犠牲だったり、我慢だったりして、ストレスになってしまいます。いつも自分のことばかり考えてしまう人は他人が意識の中から消え易いので、今年は「楽しませる」という観点から見つめてみるといいですね。特に「ダイエット」とか「資格取得」とか「営業ノルマ完全制覇」とか「年収1.5倍達成」とか、ストイックな目標を立て易い方こそ、この“楽しみ”の要素を入れておくといいんです。そうすると、あなたが今年の目標リストを眺めたときに、湧き上がるエネルギーを与えてくれるでしょう。で、今、何か問題を抱えてカウンセリングに通っていたり、あるいはカウンセリングを受けようかどうか迷っている方にこそ、お勧めしたいんです。これは「希望」という一筋の光を投げかけてくれます。どんな目標でも構いませんから、自分が楽しめる、または、誰かを楽しませる目標を考えてみませんか?
心の処方箋
今年も気が付けばあと2日です。
明日から実家巡りの日々なので自室のカレンダーを取り替えようと思ったら、そっか、12月はこんなデザインだったのか?と今更に気付く有様。
今年はJTAのカレンダーを購入していたので、毎月沖縄の美しい写真が眺められて大好きだったんですよ。それなのに与那国の夕景(12月)を見逃すなんて、そんなにも働いてたのかなあ?
さて、カウンセリングは昨日で締め。やはり私の仕事の中でも中心的なものなので、大きな区切りです。ふーっと息をついて気持ちを新しい年に飛ばしてみました。新年は5日からカウンセリングがスタートしますので、それまでの間が、とても重要な日々になるんです。心がけの問題なんですけど、じっくり立ち止まって構想を練る、とか、デザインや構成を考え直す、溜まってるネタのアイデアを形にする、などの“とても大事なことでやりたいことなんだど、緊急性には乏しいので、つい先送りになってしまう物事たち”が私の場合、とっても多いんですね。今年はそれを4日までの休みの間にできるだけチャレンジしてみよう!と思っているのです。なかなか6日間もぽっかり時間があるときって少ないですからね。とはいえ・・・やはり正月ですからねえ・・・ゆっくり風呂(温泉)にも浸かりたいし、昼間から酒も飲みたいし、あとはのんびり本でも読んだり、家族と過ごしたりしたいわけです(^^)全部完ぺきに!というのは無理な相談なので、どんどん楽しもうと思います。ま、どれもしたいことですからね。贅沢で、わくわくします(^^)・・・ということで、今日は妻子を実家に送って行き、一人、カウンセリングサービスのシステムに新しいブログを入れようと悪戦苦闘しておりました。(ここは「根本さん、年末なのにかわいそう・・・」と同情するところではありませんぞ)もともとシステム屋だから、というメリットを生かして、ホームページなどのシステム周りを触っておりましたが、カウンセラーを本業にし、“元システム屋”になって何年も経つ現在、もう現代のテクノロジーにはついていけません。ただひたすら「!」と「?」を繰り返すのみで、なかなか形になりません・・・。でも、あれこれと試してみて発見もたくさんあって勉強になるのと同時に、そういうシステムを考える人、作る人たちのすごさに改めて敬服します。暦を忘れさせてくれる程の仕事量に囲まれた彼らは、きっと今頃もデスクに噛り付いて仕事してるんだろうなあ・・・と思えば、同志のような気持ちがして嬉しくもなる、というものです。*さて、今年も皆様には大変お世話になりました。カウンセリングやワークショップでお会いした皆様、このブログを楽しみに読んでくださってる皆様、ほんとうにありがとうございました。来年もますます“いいもの”をご提供できればと思いますので、どうぞ、宜しくお願いします。良いお年をお迎え下さい。ありがとうございました。
<リクエスト>

私は昔から大好きな人と付き合えるようになっても、すぐ飽きて他の人に目移りしてしまいます。前付き合ってた人もそうで、でもその時は相手がなかなか別れてくれなくてだらだら付き合っていました。そして10ヶ月たって相手に好きな人ができて振られました。愛情から嫌悪、そして執着にかわっていたんだと思います。今では悲しくて悲しくて仕方ありません。

(pianoさん)
<根本からの回答>片思い症候群を手放して、愛されることを自分に許しましょう!大好きな人と付き合えるって最高に幸せなことだと思うんですね。pianoさんも、付き合えるようになった時は喜びを感じられていますか?それなのに、すぐ飽きて目移りしてしまう・・・ということは、“片思い症候群”とでも言いましょうか、彼の事を好きでいる、追っかけている、という状態が好きなのかもしれません。(もちろん、そんなつもりは無いかもしれないけれど)それは裏を返せば、愛されることに自信がなく、愛されることが怖い、ということを表しているのかも知れないですよね?だから、大好きな人が振り向いてくれたときに、一目散に逃げてしまう・・・とまあ、そこまではいかないかもしれないんですが、でも、その彼の気持ちが受け取れなくなってしまうんでしょう。怖い時って他に目を向けたくなりますからね。それに一応“彼を落とした!”という実績は積んだわけですし、釣った魚はとっととリリースして、次の獲物に行きましょう・・・という気持ちになってしまうのかもしれないです。(いわば、キャッチ&リリースです)だから、ほんとうにイヤで嫌いになって目移りする、というだけではないと思うんです。すなわち、愛情がある、好きな気持ちもある、でも、好かれるのも怖い、そんなところかな。だから、この前の彼のように10ヶ月粘られた挙句に振られると引きずるんです。すごく悲しくなってしまうんです。それはもちろん、プライドが傷ついた、とか、せっかく付き合ったってたのに何よ!という部分とか、色んな感情が動きますけれど、ほんとうは何処かに好き、という気持ちを隠し持っていたってのもあるかもしれません。でも、どうしてそうなっちゃうのかな・・・?好きになることはOKでも、好きになられるのは怖い・・・好きになられて信頼して、でも、裏切られたことがある・・・実は男性不信である・・・何か背景にあるのかもしれないですね。特に受け取りベタさんなわけですから、ね。セラピー的な見方をすれば、男性に対して心理的に身を委ねていくことを学ぶのが目標なのかな、と思うんです。どうです?そういうの。想像しただけで、ぞぉーっとしたりしません?そうすると、たぶん、よりリアルに癒すべき痛みが現れてくるはず。そのテーマをもって、自分を癒すことで、また新しいプロセス、新しい道が開けてくるのではないでしょうか?男性観を一度見つめなおしてみるといいですね。=お勧め!エクササイズ=【パートナーがいらっしゃる方へ】私から彼にギュッとしてあげよう。#愛情をきちんと与える/受け取るために。【パートナーがいらっしゃらない方へ】「男って○○よ!」の○○に当てはまる言葉を思いつく限り探してみましょう。この○○に当てはまる言葉がネガティブなものだった場合、あなたは心に痛みを持ってるかもしれません。何でそう思うようになったのかな?なんて目で見つめなおしてみると吉です。
男と女の心理学
箕面外院・ダンケ雑誌に載っていたのを見て「三田牛ランチ」が安く食べられ、しかも、珈琲もこだわっていて美味い!という情報を仕入れ、しかも、雰囲気がいい感じのレトロさ、というあらゆる方面から食指を動かされまして行ってまいりました。
箕面の山の手あたりを走りぬけ、きっと冬は寒いんだろうなあ、という感じの裾野の一角に「ダンケ」はありました。とはいえ、この辺は芸能人も多く住むという高級住宅街。
何となく寂れていそうな中にも、オシャレ、あるいは、高そうな店が点在しています。

さて、中に入るとまるでワインカーブのような雰囲気で、しかも、使い込まれて味のある柱や梁がバランス良く、瞬間的に居心地の良さを感じます。テーブルの配置も、椅子のサイズもゆったり作られていて、いつ外国人が訪れてもいいような雰囲気。ゆったり感こそ違いますが、地元・江坂の名店「HIRO珈琲」と相通じるものを感じざるをえません。珈琲豆や淹れ方にプライドを持つのはもちろん、食事メニューにもかなりこだわってらっしゃるところも似ていて、奥さんともすぐに「ここってHIROみたいだよね~」と意見が一致。もちろん、限定食という三田牛ランチもジューシーかつ柔らかな食感がたまらなくて、とても美味しく頂きました。で、食後は珈琲を飲みながらボーっと雑誌を読んだり、本を眺めたりしていたのですが、耳に入ってる会話がほとんど「関東弁」なんですよね。東急村と化している江坂を含め、北摂地域は転勤族が多い土地柄なので、食事をしていても、公園で遊んでいても、関西弁ではないイントネーションがよく耳に届きます(かくいう私もそうなんですけどね)。だから、出張の多い私はつい、ここが大阪なのか、東京なのかが、ふと分からなくなってしまい、とても不思議な感覚にとらわれるのです。因みに写真手前で携帯をいじくってるのが奥様です。(久々登場)
*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

あなたは自分自身に何をプレゼントしてあげますか?
美味しい食事でしょうか?
お気に入りのアイテムでしょうか?
ほっこり癒される時間?
それともパーっと元気になれる時間?

あなたはもし誰かにプレゼントを贈るとしたら、どんなことを考えて選びますか?相手のことをきちんと考えて、贈物を決めますよね。自分本位になってしまわないように、でも、気を使わせないように、そして、何よりも相手に喜んでもらえるように。それを「自分」に当てはめてみてはいかがでしょう?一年の中で誕生日とクリスマスは、いわば堂々とプレゼントを贈り、贈られる日です。自分を喜ばせてあげる・・・なかなか難しいチャレンジかもしれませんが、あなたの感性と趣味を最大限に生かして「自分」という「他人」に贈物をしてみるんです。*そして、今日は私からあなたへ、ささやかなプレゼントを。幸いにして色々な方にお会いしてさせていただいています。その中で気付いた事、学ばせてもらった事、たくさんあります。私達は皆、必要とされています。どんな孤独であったとしても、誰もいないと思っても、実はあなたを必要としている人は必ずいるんです。あなたには数知れないたくさんの魅力を持っています。既に輝いているものもいくつかあります。でも、まだ原石のものもたくさんあります。そして、あなたは誰かに愛されています。それは今生きている人だけとは限りません。会った事がある人だけとは限りません。でも、あなたがここにいるということは、誰かに愛されている、ということなのです。あなたが幸せになることを望み、喜んでくれる人がいます。でも、同時に、傷ついて、落ち込んで、不安でいっぱいであったとしても、そんなあなたを許してくれる存在も必ずあります。だから、落ち込んでも大丈夫なのです。必ず手は差し伸べられます。そして、諦めずに信じ続ければ、それは叶います。どんなにばかげていることに思えたとしても、いや、むしろ、ばかげているように思えるからこそ、叶うのかもしれません。信じる信じないはあなたの選択に委ねます。因みに私はそれを信じています。
心の処方箋
今回の出張は、とてもツイていたんです。

カウンセリングと心理学ワークショップのために天神はいつものホテルに宿泊したのですが、運良くアップグレードしていただき、警固公園のイルミネーションを見下ろす広いお部屋で気持ちよく過ごすことができました。
その後、ヒーリングワークのために博多駅前に移動し、最近オープンしたばかりのホテルに宿泊しました。やはりキレイなところがいい!とここを選んだのですが、実はここ、五反田で最近お気に入りのホテルと同系列だったんです。道理で意匠やコンセプトが似てるはず。だって同じ会社のデザイナーズホテルなんですものね。
とても落ち着くセンスのいいお部屋のため、これからはここを定宿にしよう!と誓ったほどです。

そして、毎晩の豪華な夕食は「腹八分目」なんてクソ食らえの暴飲暴食でして、毎日大好きな鍋を食しました~。博多は何を食べても美味しいんですが、モツ鍋もカレー鍋も素材のうまさが引き立っていて、次から次へと口に運んでしまいます。よくよく思えば、出汁や野菜や肉類のエッセンスが染み込んだ汁は美味な上に栄養満点なはずで、これをじっくり堪能してしまう私は、自ら“脂肪の素”を積極的に摂取しているようなものなのかもしれません。うまいものにありつけた喜びと同時に、しっかり体に肉もツイてます。でも、楽しいですね。いろんな話をしながら、わいわい鍋を突付いたり、ビールをたらふく飲んで気分が良くなったり。トレーナー稼業は結構孤独なものですから、こうした時間にほんとうに救われます。(それが「根本さんはセミナー中と打ち上げでは人格が微妙に変わる」と言われる所以ですかね)さて、その2日間のヒーリングワーク。今年最後で、かつ、クリスマス前ですから、アシスタント達の企画立案によるイベントで盛り上がり、素敵な卒業式(養成コースの上級を卒業された方を祝い、送り出す式。福岡では初)で涙したり、いろんな思い出が残るセミナーになりました。しかも、本編のワーク自体も紆余曲折、アップダウン、ほんと色んなプロセスを経て、無事に終了することができました。ほんと、プロセスって完ぺきなんだな、起こること、流れの全てに意味があり、そして、諦めない事で必ず結果は付いてくるものなんだな、などといったことを強く学ばせていただきました。デッドゾーンの問題を扱うことが多かったかと思いますが、新しい命を吹き込み、ほんとうにもう一度自分の人生を生きる、ということがテーマだったのかもしれません。一時期はいったいこの後どうなっていくんだろう?という疑問や不安も過ぎりましたが、皆さんやプロセスを信頼しつつ乗り越えられたのは私にとっても非常に意義ある経験でした。トレーナーをさせていただくと、本人が一番学びが多いのかもしれません。今回も感情やプロセスは決してコントロールできるものではない。プロセスは完ぺきだし、必然であり、そして流れるべき方向に流れていく。この2点は特にセミナーにおいては今後、とても大切な経験として残っていくような気がします。ともかく、皆様の心が少しでも深く癒され、解放し、そして、そうした思いが明日からのよりよい毎日に繋がっていくと嬉しいです。皆様に出会えましたこと、心から感謝します。そして、また来年、お会いしましょう!
今日、パソコンであれこれと仕事に集中していると、リビングの方から

「わたしのぉ~~~~、おかかのぉ、まぁえでぇ~~、泣かないでくだしゃいぃ~~~~♪」

という調子っぱずれの声が響いてくる。
しかも、何度も何度も繰り返される。

この「~」は伊達ではない。かなり声を張り上げ、ファルセット(?)よろしく絶叫するのである。
それは私が笑い出すまで決して辞めない!という強い決意を感じさせる演出で、次第にキーを打つ手が震え出し、腹筋が堪えきれずにわなわなと脈打ち始める。ここは父親の権威を持っても決して負けてはいけない。しかし、まず先にキッチンで夕食を作っていた妻が撃沈された。「もぉ、ミズチやめてよぉ~」という声もかなり震えている。もう私は仕事どころではないので、必死に時が過ぎ行くのを耐えるのであるが、娘もやはりその根性を持って、「あのぉ~~~、おおきなぁ~、そ~らをぉ~~~、吹きわたぁっっていましゅ~~~♪」を10回以上もひたすら繰り返すのである。これには参った。もう無理。お腹も痛いし、笑えて仕事が手に付かない。よってこの名場面を映像に抑えるべくビデオカメラを片手にリビングに乱入すると、「おおきなぁ~~~~~~~~~、そ~~~~~らうぉ~~~~~~」を歌い上げる3歳児はテーブルの上のポポちゃん(人形)を相手にリサイタル中であった。妙に無表情である。しかし、歌い上げる声量には見張るものがある。そして、何よりも本人の狙いはパパであった。ここで会ったが百年目の顔をした。幼「ねぇ、おもちちゃん。こうしてお馬さんになって。ミズチ乗るから」父「えぇー。ぱぷぅは仕事があんねんでぇ~」幼「ちょっこだけだから~、ねぇ、ほっぺにぶちゅーしてもいいから」(やはり子どもは親の弱点を良く知っている)父「じゃあ、ちょっとだけね」幼「うん。ちょっこだけね」(四つんばいになり、その上に幼児が上る。俗称「ぱぷぅのぼり」である)幼「ぱぷぅ、そこ動かないでね。あ、動いちゃダメって言ってるでちょ!い、いやー、もう、動いちゃダメって、もぉー、ぱぷぅ、いやよー、手を下に付けてよぉ~。ちやう(違う)、ちやう、そこやないって~。きゃはははは、こしょばいやん。ちやう、床に手をつけて、ね、ね、ね、うん。そー、そー、そこで動かないでね。動かないでねッ。動かないでねっっていやー、きゃはははは。もう一度、もう一度、床にこうなって(お手本に自ら四つんばいになる)、こうなって、いや、ちやう、ミズチが乗るの。ぱぷぅが乗ったらダメやんー。もぉー。離してよぉー」要するに、奴はビビりな3歳児であり、高所恐怖症なのである。腕力から言ってもまったく私にはかないっこないのである。ま、口ほどの奴でもないということだ。
日々のミニコラム