3)特徴と射程
本裁定は化学物質過敏症やシックハウス症候群が社会問題化しつつあるなかで、原因物質及び健康被害との因果関係が不明なケースを取扱ったものとして注目された。
前節で検討した訴訟群及び次節で検討する寝屋川判決との関連では、以下の点が特徴として挙げられる。
まず健康被害の認定について、健康不調者が集中した平成8 年4 月から8 月までと、地理的に分散し始めた同年9 月以降とを区別して判断しており、前者についてのみ本件中継施設との因果関係を認め、後者については申請を棄却した。
棄却された申請人らは化学物質過敏症への罹患を主張したが、裁定はこれについて否定的な見解を示し、健康不調の原因を不明とした(要旨⑨⑩)。
しかし、第1 節2)でみたように、同時期に出された判決では、「化学物質過敏症」と考えられる症状を否定することはなく、医学的に未解明な点が多いことは損害の事実認定を妨げるものではないとしている。
化学物質過敏症の一形態であるシックハウス症候群の原因物質について指針値の設定や規制が始まったのも同時期であることに鑑みると、本裁定のこの部分については検討が不十分であるといわざるを得ない。
ただし、他覚的所見を伴わない非特異的自覚症状を中心とした症状を主張する申請人の健康不調も中継所を原因とする健康被害と認めている点は評価される。
そして、最も重要なのが因果関係の推認をしている箇所である。
本裁定においては、他に原因と考えられる施設はあるものの平成8 年4 月から突然環境負荷が増大したとは考えられないこと(要旨①)や本件施設の換気系に活性炭フィルターが設置されていなかったこと(要旨②)、施設が試験操業を開始した直後に施設周辺で健康不調者が集中したこと(要旨③)などから、本件施設と申請人らの健康不調につき因果関係の推認(事実上の推定)がなされた(要旨④)。
場所的・時間的集中という要素は従来も因果関係の認定において重要な要素であったが、これをもって因果関係の推認を行ったことは本裁定の一番の特徴である50。
そして、高濃度の化学物質が排出されていないこと(要旨⑤)や、施設職員に健康被害が生じていないこと(要旨⑥)は推定を覆す事実足り得ず、硫化水素を含む排水が未処理で直接放流されていたこと(要旨⑦)や、疫学調査としては不十分な点のあるアンケート調査(要旨⑧)は推定を補強する事実とされているのである。
これらの要素を抽出すると、原因物質が特定できなくても、①被害の時間的・場所的集中、②他原因が大きな負荷を加えていないこと、③設備や対策の不備、などがあれば因果関係の推認が行えるとの判断枠組みを示したものといえる。
また学説においては、本裁定により化学物質過敏症及びシックハウス症候群における因果関係判断の基本的なスキームが明らかになったとするものがある51。
それによれば、具体的な化学物質の種類やその量を特定することはできないものの、対象物件の使用の態様・経緯、統計資料・データ等から、人体にとってその性質上有害性のある多種類かつ相当多量の化学物質の暴露を受けたことを推認することができる場合があり、化学物質の発生源として他の機器・物件等が考えられるとしても、この推認がされる場合には、被告の側で他の原因を特定して立証活動を行うべきである、とされる52。
本件はあくまでも公害等調整委員会の原因裁定であることから、今後訴訟においてそのままの形でこの判断枠組みが利用できるかは検討の余地がある。
しかし、委員会の意見として述べているように、本裁定は化学物質による健康被害の証明をめぐる難しさを適切に捉え、開放系環境において化学物質による健康被害が生じた場合に因果関係を推認するための一定の枠組みを示したことは評価されるべきであると考える。
なお、被申請人の側でも早期に操業の一時停止をしていれば、本件中継所が原因でないことが証明できたのであり、化学物質の解明が進展していない現在、できるだけ早期の段階で、原因を疑われる施設の操業を一時停止することが、原因の究明と被害者救済のために必要であるということも指摘されている53。
以上のような本裁定の到達点を踏まえたうえで、次節では寝屋川廃プラ施設操業差止訴訟を検討する。