2)裁定の要旨
本裁定の要旨は以下の通りである。
①本件中継所周辺の大気の環境負荷要因としては、本件中継所から排出される空気のほかに、自動車排出ガス、井草森公園の防腐剤、残留農薬、汚染土壌などが考えられるが、いずれも平成8 年4 月以降に新たな負荷を及ぼしたという状況は認められない。
②本件中継所においては大気環境が汚染されるのを防止するため、排気系においては、活性炭処理を施して排気するシステムを採っていたが、換気系においては、このような保全措置は採られなかった(換気系に活性炭フィルターが設置されたのは平成9 年3月であった。)
③杉並区が行った調査の結果、健康不調を訴えた者の数は、平成11 年末までで121 人に上っており、平成8 年4 月から8 月までに発症したと訴えた者は、本件中継所周辺に集中し、その数は、毎月7 人から12 人で合計45 人に達しているが、同年9 月以降の状況は、時の経過とともに地理的には分散するようになり、平成8 年4 月から同年8 月までの発症状況とは明らかに異なるものと認められる。
申請人らが平成8 年4 月から同年8 月ころに生じた健康不調の内容は、一部の者を除き、上記周辺住民の健康不調と同質のものであったと認められる。
④周辺住民や③で認められた申請人らの健康不調の発生が本件中継所の周辺に集中し、しかも、その時期が本件中継所の試運転を含む操業の時期と一致しているという事実からみれば、他に特段の事情が認められない限り、③で認められた申請人らの被害については、本件中継所が原因施設であり、その操業に伴って排出された化学物質がその原因であったと推認するほかはない。
そして、この推定を覆すに足りる証拠がない場合、この因果関係は肯定されるものと解すべきである。
⑤専門委員調査報告書によれば、本件中継所排気から周辺大気環境に影響を及ぼすほど高濃度の化学物質は排出されていないことが認められるが、この調査は平成8 年7 月30日以降の測定結果について評価したものであり、換気系に活性炭フィルターが設置されていなかったのであるから、この間に健康に影響を及ぼす化学物質が排出されていなかったと認めることはできず、④の推定を覆す特段の事情があったとはいえないない。
換気系に活性炭フィルターが設置されていなかったことを軽視することはできないというべきである。
⑥被申請人は、同様の処理をする他の中継所の職員や周辺住民、本件中継所の職員に健康被害が生じていないこと等を理由に、本件中継所排気は住民の健康不調の原因ではない旨主張するが、現に本件中継所周辺の住民に健康不調が発生したのであるから、④の推定を覆す事情には当たらない。
⑦本件中継所の操業開始から平成8 年7 月中旬ころまでの床排水を直接放流していた期間は、未処理の排水に含まれていた硫化水素等が住宅内の配管や道路上の雨水桝から放出されたものと推認でき、これは④の推定の裏付けとなり得るものである。
ただし申請人らの症状は硫化水素の毒性だけで説明できないものがあるから、硫化水素だけに原因を限定できないことはいうまでもない。
⑧杉並区が平成11 年5月7 日実施したアンケート調査は、疫学調査としての限界はあるものの、その結果からは、調査時以前1年以上3年未満(平成8 年5月から平成10 年5月)の間に本件中継所付近で健康に影響を与える何らかの状況が発生したことが明らかであり、この事実は前記④の推定に沿うものといえる。
⑨平成8 年9 月以降の発症状況及び大気環境については、区アンケート調査においても改善傾向がみられ、新たな訴えは著しく減少している。
また、床排水や換気系においても新たな設備が施されたのであるから、大気環境は改善されたものというべきである。
⑩申請人らは症状の継続を主張し、これらの症状は、低濃度であっても化学物質に暴露されることによって引き起こされる化学物質過敏症や広義の化学物質アレルギーによるものである旨主張するが、化学物質過敏症については、国内外において、症名の共通の定義や診断基準はなく、あっても客観的な基準でないため、正確な把握ができず、現時点ではその病態生理と発生機序は未だ仮説の段階にあり確証に乏しいことが認められることから、現時点における科学的知見のもとでは、申請人らの症状の病因をこれらの疾患概念等によって説明することは困難である。
したがって、申請人らの平成8 年9 月以降の健康不調については、その原因が本件中継所の操業に伴って排出された化学物質によるものか否か不明というほかはない。
⑪したがって、上記③で認定された申請人について、平成8 年4 月から同年8 月ころに生じた被害の原因は、本件中継所の操業に伴って排出された化学物質によるものと認められ、その余の申請及びそれ以外の申請人の申請は、いずれも理由がないから棄却する。
⑫当委員会の意見を述べる。
化学物質の数は2 千数百万にも達し、その圧倒的多数の物質については、毒性をはじめとする特性は未知の状態にあるといわれている。
このような状況のもとにおいて、健康被害が特定の化学物質によるとの主張、立証を厳格に求めるとすれば、それは不可能を強いることになるといわざるを得ない。
本裁定は、原因物質の特定ができないケースにおいても因果関係を肯定することができる場合があるとしたものであるが、今後、化学物質の解明が進展し、これが被害の救済に繋がることを強く期待するものである。