7:化学物質過敏症訴訟をめぐる問題点 | 化学物質過敏症 runのブログ

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5)考察—新たな問題点
 損害の発生については、「化学物質過敏症」といわれる症状の存在自体が争われることは少なくなり、もっぱら被害者の症状が「化学物質過敏症」に該当するか否かが争われるようになってきた。

そして次に問題となってきたのが、第3 節で扱う寝屋川廃プラ施設差止訴訟において顕著なように、被害者の主張する症状が他覚的所見を伴わない非特異的自覚症状のみである場合にそれが健康被害と認められない、あるいは因果関係の判断と関連して、当該症状は「加齢」や「心因性の原因」によるものであり、化学物質の暴露と相当因果関係はないと判断されてしまう事案がでてきたことである。
 因果関係については、シックハウスのように閉鎖系の環境における証明については一定の判断枠組み(時間的・場所的集中、他原因の不存在など)が確立してきている。

他方で、次節以降で述べるような開放系の環境においてある施設から排出される化学物質に暴露し化学物質過敏症を発症するような場合には、原因物質の特定や暴露の事実の証明にも難点が多く、因果関係の証明は非常に難しい。

さらに、原因と疑われている物質の有害性が未同定である場合には原告の訴訟活動は困難を極めることとなる。
 この点については、高度に科学的な事柄を扱う従来の訴訟で行われてきたように、化学物質過敏症をめぐる訴訟においても因果関係について原告の立証責任を緩和することが求められる。

近年、原子力発電所建設差止訴訟に代表されるような「予防的科学訴訟」といわれる訴訟群があり、これらの民事差止訴訟においては様々な形で因果関係についての証明責任の軽減等が行われている39。

とりわけ「平穏生活権」の侵害のおそれがあるときには、原告がその相当程度の証明をした場合には、被告には合理的な安全性の確認義務が課されるべきであると主張されている40。

化学物質過敏症訴訟は典型的な「予防的科学訴訟」とはいえないが、それでも科学的に解明しきれていない化学物質や症状について争われていることや、後述の杉並病原因裁定や寝屋川廃プラ施設差止訴訟のように施設の稼働に伴い周辺住民に健康被害が生じているようなケースもある。

このような事案については、因果関係の証明責任について同様の考え方が妥当するのではないだろうか。

上記のような証明責任の軽減・分担は環境法の基本原則である予防原則からも支持されるものである41。
 また、過失については、被告の予見可能性をどこまで遡らせることができるかが課題と指摘されている42。

いつから被害が予見可能であったかという問題については、化学物質過敏症訴訟に限らず、じん肺やアスベスト疾患の被害者が国を相手に対策の遅滞を争う場合に問題となってきた。

そうした判決においては法による規制が始まった時期を予見可能となった時期と認定するものが多い。

泉南アスベスト国賠訴訟第一審判決43 においては、アスベストの吸入により肺がん・中皮腫を発症することについて科学的知見が集積したとされたのは労働安全衛生法や労働安全衛生規則、特定化学物質等障害予防規則によりアスベスト規制が始まった時期であったし、建物吹き付けアスベスト事件差戻控訴審判決においては、建築物の吹付けアスベストの暴露による健康被害の危険性及びアスベストの除去等の対策の必要性が広く世間一般に認識されるようになったのは、環境庁・厚生省が都道府県に対し、吹付けアスベストの危険性を認め、建築物に吹き付けられたアスベスト繊維が飛散する状態にある場合には、適切な処置をする必要があること等を建物所有者に指導するよう求める通知を発した昭和63(1988)年2 月ころ45 である。

これらの判決の趣旨によれば、法による規律や、少なくとも行政指導などが発動されるようになってはじめて科学的知見が成熟したと判断しているように思われるが、そのような判断には疑問もある。

なぜなら法規制が始まるよりずっと以前から学界や専門事業者、そして行政に携わる者の間では相当程度知見の成熟はみられていたはずであるからである。

この点、前掲東京地裁平成21 年10 月1 日判決が改正建築基準法の施行前に専門事業者の予見可能性を認めている点は重要である46。
 また行為者の結果回避義務に関連して、化学物質による人体の健康被害が問題となる局面では、ある特定の具体的結果を事前に予測して、それを回避するための具体的措置を講じることを行為者側に課すというよりは、むしろ、人体への被害発生の危険性が抽象的に疑われる段階で既に、被害の発生・拡大阻止のための予防措置を命令・禁止規範の形で立てることにより化学物質をみずからの支配領域に有している者に対し、事前の配慮、初期段階での予防措置を法的に義務づけるのが望ましいとの主張があり、これは予防原則とその発想の基盤を共有するものであるといわれている47。

たしかに予防原則の考え方からは、危険性について科学的な不確実性が残っている段階でも何らかの対応措置をリスク創出者に課すことが求められる48。

一方で従来の判例は経済的に過度な負担を強いるような結果回避義務は認めておらず、そのような抑制は比例原則の観点からも必要である。

一般的に予防原則に基づく措置も代替原則の観点から抑制されることからすれば、行為者に求められる結果回避措置も経済的期待可能性を考慮したものである必要がある。
 以上のような新しい問題点を踏まえたうえで、従来よりも一歩踏み出した判断を行った杉並病原因裁定を次節で検討し、化学物質過敏症をめぐる訴訟の一つの到達点を確認する。