5.我が国におけるシックハウス症候群の疫学調査
(1)全国に先駆けて 2001 年に行った札幌市でのシックハウス症候群に関する調査
寒冷地にある札幌市では住宅の断熱・気密性はカナダや北欧を凌ぐほど性能が良くなってきている。
室内空気質による健康障害の発生が住宅の換気に関係があることに保健所等では早くから気づき,すでに平成 9(1997)年頃から保健所に「住まいの相談窓口」を作り市民からのシックハウス症候群の相談に乗り,助言や環境測定機関の紹介などを行っていた。
道立あるいは市の衛生研究所では化学物質濃度の測定を行い,室内での化学物質濃度の減衰や季節差などの報告を出してきた。
著者(岸と西條ら)は 2001 年には保健所や道立および市立衛生研究所と協力して,札幌市近郊のハウスメーカー 48 社のうち 24 社から協力が得られ,築年数の浅い住宅 564 軒について調査した結果,症状とカビ・結露といった湿度環境(Dampness)の関連について明らかにした。
そのう ち,96 軒 に つ い て は 室 内 ア ル デ ヒ ド 類,VolatileOrganic Compounds(VOC)類の濃度測定を行い,VOC濃度の上昇が症状に有意に関連していることを報告した。
また湿度悪化の指標は,スコアが高いほど症状が相加的に上昇することがわかった (3)。
欧米では,従来から住宅の湿度環境やダニや真菌などの生物的環境は室内空気環境の重要な因子として捉えられてきたが,日本では一般的には化学物質のみがターゲットと誤解されてきた。
しかしわが国でも化学物質一辺倒のシックハウス対策では,予防対策から見ても,患者さんへの対応から見ても片手落ちになることを指摘する結果であり,我々も保健所住まいの窓口の市民への対応が重要であることを認識させられた (4)。
(2)全国 6 地域で行われた大規模な疫学研究
札幌市での研究が端緒になり,北海道,福島,名古屋,大阪,岡山,北九州の 6 地域で統一プロトコールを用いる全国規模の疫学研究へ発展した (5)。
2003 年度からはベースライン調査として,5 年以内に「建築確認申請」をした戸建住宅の中から無作為に抽出し,対象住宅に質問紙を送付し,2,282 軒の住宅環境と家族の健康に関する調査を行った。
2004 年には 425 住宅について,室内化学物質濃度,真菌同定,ハウスダスト中ダニ抗原定量調査と,全居住者 1,479 人の健康に関する質問紙調査を実施した (6)。
2005 年はさらに追跡調査として,同一住宅内の環境測定を居間と寝室の 2 か所に設定した (7)。
また 2006 年には,世界的にも初めて室内の微生物が産生する微生物由来揮発性有機化合物 Microbial VolatileOrganic Compounds(MVOC)(8),揮発性が低い可塑剤・難燃剤,および殺虫剤の疫学調査も行った (9)。
調査項目に可塑剤や難燃剤として使用されるフタル酸エステル類,リン酸トリエステル類,農薬類を追加し室内のハウスダスト(床塵,棚上塵)および空気中濃度を測定しシックハウス症候群やアレルギーの有訴との関係を検討した (9–11)。
これは世界的にみても,全国的規模であること,しかも縦断研究の形で同一住宅での環境変化と健康との関係について調査を実施した数少ない研究である。
2008 年以降はシックハウス症候群の有訴率が子どもは大人の倍であったことから,小学生を対象に研究を進めた (12)。
この全国 6 地域の疫学調査にはスウェーデンの MM調査票の日本語版が用いられた。
各住宅に「何らかの症状がいつもあり,かつその症状は住宅を離れるとよくなる(SHS1)」居住者がいる割合は全国平均 2.0%(地区別には 0.6 ~ 3.1%),また「何らかの症状がいつも,あるいは時々あり,かつその症状は住宅を離れるとよくなる(SHS2)」は全国平均 3.7%(地区別には 1.4 ~ 5.7%)だった。
ただし,回答率が 41% であったことを考慮し,調査票を回収できなかった住宅には症状がある居住者がいないという可能性を考えた場合は,それぞれの全国平均は0.8%と1.8%だった。
およそ100軒の新築住宅のうち,調査当時は 1 ~ 2 軒で症状があったことになる。
訴えが最も多いのは「鼻がつまる,鼻水がでる,鼻がムズムズする」といった鼻症状で,次いで「頭痛,易疲労感,だるさ,集中力の欠如,不快感,吐き気,嘔吐」などの精神・神経症状,「声がかすれる,喉が乾燥する,咳が出る,深呼吸ができない」などの喉・呼吸器の症状であった (8)。
国内 6 つの地域別に見ると,SHS2 有訴率は北海道と大阪で高く,それぞれ 5.2,5.0% であった一方で,福島と北九州では比較的低く,それぞれ 3.0,2.8% であった。
全国調査の結果でも,築年などの交絡要因で調整しでも,温度環境指標は SHS のオッズ比を上昇させるリスク要因であった。
全国 6 地域 2,228 軒の調査で,湿度環境悪化の指標(結露,カビ,カビ臭さ,風呂場のぬれタオルの乾きにくさ,水漏れ)が増えるほど,シックハウス症候群(SHS)の症状出現のオッズ比が高くなった。
窓と壁の両方に結露のある住宅では,シックハウス症状を訴える者がいる割合が高かった (8)。温度環境がシックハウス症状に影響する機序として,
①高湿度は結露を起こし真菌の成育を生じしやすくする。
微生物自体がMVOC を産生し,マイコトキシンや 1 → 3-β-D-グルカンを産生する。
特に MVOC は,「カビ臭さ」に関連していると考えられる。
②高湿度はダニを増やす。
③湿度環境により,コンクリート床など構造物の化学的変性から2-ethyl-1-hexanol のような化学物質を産生する,と言われる (13)。