4)高感受性集団の存在
発生機序を検討するなかで,一貫した科学的説明が困難な背景の一つとして,「化学物質に対する感受性の個人差」に原因があるという考え方がある。
上記の心身医学的機序のなかで説明したパーソナリティーの関与もその一つである。
そこで,筆者らは,これまで「化学物質に関する代謝経路の違いが感受性要因の一つである」という仮説をたて,化学物質の代謝酵素の遺伝的個体差を解析し,化学物質過敏症の遺伝要因に関する分子疫学的解析を試みてきた。
筆者らの研究結果を含めて,この仮説に関するこれまでの知見を整理する。
筆者らはこれまで,ホルムアルデヒド,アセトアルデヒド,トルエンに代謝に関与し,かつ機能との関連が明らかな遺伝子の遺伝子多型として,glutathioneS-transferase(以下 GST)M1 null,GSTT1 null,GSTP1Ile105Val,aldehyde dehydrogenase 2(ALDH2)rs671,cytochrome P450(以下 CYP)2E1 Rsa I,抗酸化酵素である superoxide dismutase 2(以下 SOD2)rs4880 と芳香族化合物の代謝酵素である N-acetyltransferase 2(以下NAT2)の 3 タイプ(Rapid, intermediate, slow)を候補とし,それぞれの遺伝子多型の割合を比較検討してきた (35)。
研究方法としては,QEESI によるスコアデータ(324 人)を,北条らの設定した 3 種類のカットオフ値を用いて対照群と症例群に分け (23),さらに症例群については,3種類のカットオフ値を超えた項目数に応じて 3 群に分けた。
その結果,カットオフ値 3 項目を超えた症例群において,SOD2 遺伝子多型 Ala allele 保有者が有意に高い割合を示していた。
すなわち,日本人において,活性酸素に対する感受性の個人差が QEESI によって定義した「化学物質高感受性集団」の遺伝的背景の一つであることが示唆された。
2007 年,ドイツの Schnakenberg らは,QEESI を参考に独自の調査票を作成し,521 人の対象者をスコアによって症例群とその対照群に分け,NAT2,GSTM1,GSTT1 と GSTP1 の遺伝子多型との関連について解析している (36)。
その結果,GSTM1 null,GSTT1 null 遺伝子型保有者において,それぞれオッズ比が 2.08,2.80 と統計学的に有意な上昇が認められたと報告している。
また 2010 年,イタリアの De Luca らは,MCS の症例群(226名)と対照群(218 名)に対し,CYP isoform,Uridinediphosphate glucuronosyltransferase 1A1(UGT1A1),GSTM1,GSTT1 と GSTP1 のそれぞれの代表的な遺伝子多型を分析している (37)。しかし,いずれの遺伝子多型も症例群と対照群とのあいだに有意な割合の差は認められなかったと報告している。
2004 年,McKeown-Eyssen らが,MCS に関する症例・対照研究を実施し,NAT2 遺伝子多型との関連を報告した (38)。
対象者は女性コーケイジアン(症例 203 人,対照 162 人)であり,症例は,トロント大学健康調査によって MCS に関する過去 6 つの論文によって提示された症状とリンクした 171 症候と 85 曝露情報,そして9 つの特徴に関する質問票にもとづき定義されている。
その結果,NAT2 Rapid type が,MCS の high risk(OR 4.14:95%CI 1.36?12.64)と有意な関連があったことを報告している。
一方,2008 年,Wiesmuller らがドイツで実施した Self-report によって MCS と診断された症例群と対照群との研究では,NAT2 との有意な関連は認められなかったことを報告している (39)。
筆者らの報告も含め,いずれの報告も化学物質の曝露量の評価は行われておらず,質問票による病態の定義に基づいて研究が実施されている。
これまでの報告を俯瞰すると,遺伝的高感受性要因に関する一貫した結論は得られていない。