・学校のペンキ塗り替えで重症に
特別支援学級は受け入れられず
ゆう君は4歳のとき、母の実家で衣料用防虫剤がタンスにたっぷり置かれた部屋で寝た翌朝、まぶたが腫れあがり、全身に蕁麻疹が出て救急病院で手当てを受けた。
その後、体調の悪化が続き、やがてMCSになった。
みさこさんが入学前に、MCS児のための特別支援学級(病弱・身体虚弱教室)を設置してほしいと、学校と市の教育委員会に要請したところ「診断書が必要」と言われた。
あちこち探した結果、ようやく入学式当日に高知市の病院の予約が取れた。
母と子は入学式を欠席して、高知市に飛んだ。
診断書を書いてもらって提出したが、要請は聞き入れられなかった。
「堺市では児童一人だけの特別支援学級を認めていない」などの理由だった。
入学後、洗剤・柔軟剤などのニオイに悩まされながら、普通学級で学んでいたが、1年の3学期(昨年1月)に授業で紙粘土(樹脂粘土)を使った影響で、40度もの熱を出し、しばらく微熱が続いた。
春休み中に回復し、新2年生で4月に登校してすぐに、春休み中に塗り替えられた階段のペンキに反応して発熱や体調不良が続くようになった。
京都市のクリニックでSHSとの診察を受け、「入ることのできる教室での個別指導や一時的な転校などの配慮も必要と考える」との意見がついた診断書を提出した。
そこで始まったのが、グラウンドの片隅での個別指導だ。
最初は、スクールサポーターが指導し、先生は時間の空いたときに見てくれるだけ。
担任の先生に1週間も会わないこともあった。
しかもスクールサポーターの派遣は予算の関係で昨年末に打ち切られ、今年1月からいまの態勢になった。
授業参観日のあと登校不能に
引きこもりが1年4ヵ月
南関東のある市の市立小6年の貴(=たかし、仮名、12歳)くんは、香害が原因で学校に行けなくなった。
化学物質に敏感な体質で、両親も軽いMCS症状があり、無垢材と漆喰で新築した自然住宅で、幼稚園年長組のころから暮らしている。
異変が起きたのは小2のときだった。
給食当番が着る給食着のニオイが気になるようになり、給食着がくさくて給食が食べられないこともあった。
給食着は当番の子が週末に持ち帰って洗濯し、翌週の当番に引継ぐのだが、香りが長続きする高残香型柔軟剤を使う家庭が少なくないのだ。
そのころから、帰宅した貴くんの衣服に、柔軟剤臭がべったり残るようになった。
小5になると、体がいつもだるく、朝、なかなか起きられないようになった。
帰宅すると、すぐに横たわってしまう。
そんな体調で迎えた4月下旬の授業参観日。
教室内は子どもたちと参観する父母たちでいっぱいになり、柔軟剤のニオイが立ち込めた。
母の真帆さん(仮名)は活性炭マスクをして参加していたが、頭がくらくらし、壁を支えにやっと立っているほどだった。
貴くんはその日を境に登校できなくなった。
教育委員会の勧めもあり、9月には自宅から車で10分ほどの小規模校に転校したが、間もなく、音楽室で学習中に手足がマヒして動けなくなり、父が迎えに行く騒ぎになった。
以来、その小規模校にもまったく行っていない。
嗅覚過敏が進み、ほとんどのものに反応するようになった。
自宅の周辺は柔軟剤などのニオイがいつも漂っていて、外出もできない。
反応の出ないパジャマを一日中着て自室に閉じこもり、パソコンに向き合う日々がもう1年4ヵ月も続いている。