・7.3. 高齢者施設の課題
わが国では、医療・保健水準の向上や社会福祉制度の整備などを背景に、平均寿命の上昇と出生率の低下が進行しており、高齢化と少子化への安定的かつ効率的な対応が健全な社会の構築と運営に欠かせなくなっています。
なかでも多様化し増大が予想される高齢者への福祉サービス需要を受けとめることができる、体制と環境・施設の整備が大きな課題です。
一方、高齢者は免疫力や感受性、環境調整力に個人差が大きくなりがちで、体調不良や日和見感染症などを招き、甚大な健康被害を生じさせる危険があることから、不適切な室内環境や衛生状況を避ける慎重な対応と配慮が望まれています。
7.3.1. 高齢者施設の関連法規とその経緯
戦前の救護法以来、老人福祉法、老人保健法、介護保険法、住生活基本計画と続いてきた施策の積み重ねにより、多様な制度や施設が混在していること、公共性と個人生活、施設運営と療養介護など多様な側面がかかわりあっていることが実態把握や介入を難しくしています。
一方、公共性の高い特定用途・規模を有する建築物については、不特定多数の衛生環境を守ることにより社会防衛を図る観点から制度設計された、建築物における衛生的環境の確保に関する法律(以下、「建築物衛生法」)があります。
「建築基準法」が建設時における品質・性能の水準を作る側から担保するのに対し、使って管理する側からその利用時における水準確保の役割を負っています。
衛生関連業者の自主管理、建物所有者(管理技術者)の自主管理、保健所の監視指導、都道府県・国の指導調整など多重に入念な制度設計の下、1970 年の制定以来、事務所や学校、店舗、ホテルなど、公益性やリスクの高い建築物における環境の衛生性を支えてきました。
しかし、建築物衛生法は社会全体の衛生水準の底上げを意図しているため、ハイリスクな高齢者グループを扱う考え方をとることはなく、規制対象とする「特定建築物」に高齢者等が利用する社会福祉施設等を含んでいません。
浴室など衛生上の課題が多い部分についてはそれぞれ、生活衛生関連法規を適用して保健所の検査・指導の介入が行われていますが、基本的な衛生管理が建築物管理について専門知識・経験を有さない施設管理・運営者にゆだねられていることは懸念されるところです。
なお、かつて社会福祉施設の設置・許認可等は省令によって全国一律に運用されていましたが、2012年に制定された地方分権改革一括法「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法規の整備に関する法律」により、基準等は地方自治体の条例に委任されました。省令には所要室や一人当たり居室面積、避難・消火設備等が規定されていますが、温熱・空気質等の室内環境に関して具体的規定はなく、自治体の条例にもほとんど見あたりません。
ここでは筆者らが実施したアンケートと実測資料を引用しながら、その現状について概観します。
7.3.2. 高齢者施設の衛?管理実態
健常者の場合より衛生や快適に配慮した高品質な環境を提供する必要性は誰も認めるところですが、同様に建築物衛生法の対象外である病院と比べると重篤度・緊急性が低いとみなされ、衛生工学・環境工学からの物理的アプローチが十分綿密に行われていない場合があります。
また、利用者側の特徴としては、
①一般の建築物に比べて任意に長時間・長期間「居住」している場合が多い
②健常者と比べて免疫力や調整力の低い方が多い
③自身の判断で環境調整・整備ができない方が多い(適温・適湿にも個人差が大きい)
一方、施設側の特徴としては、
④環境衛生管理技術者の設置が規定されておらず、管理技術・管理基準も未整備な場合が多い
⑤保健所など第三者機関の監視指導(介入)が少ない
⑥保健・医療に専門知識を有する者がいない場合(時間帯)がある
⑦入居者を集団として扱うことが多く、個人対応は限定されるなどが挙げられます。
これらからそれぞれに固有の課題が示唆されますが、①②③に対しては空調換気設備の自動化・知能化、躯体・開口部の断熱気密性改善による居住環境の快適制御など、建築・設備技術によって対策可能な部分も見受けられます。
一方、④⑤の課題は建築物衛生法の対象となる「特定建築物」の対象外という制度及び、環境管理基準や技術が未整備で普及していないという二点に集約されます。
制度については既にふれたので、以下、④の実態について述べていきます。
・図 7.3.1.は筆者らが東京都内の社会福祉施設のうち、高齢者・障害者等要援護者を対象とする入所型施設 1,507 か所を対象に行った、運営管理実態に関する質問紙調査結果の一部です。
地域的に限定された調査ですが、温湿度及び空気環境の調節に特段の配慮が払われていない施設が多く、感染や微生物制御体制にも課題のある施設が多数ある実態を明らかにしました。
ハイリスクな不特定多数の利用に備え、日頃から自施設のリスクを把握し、的確に対処できる体制とリテラシーを構築・涵養することが必要と考えられました。
また、関東地方の 5 施設における冬期実測では、温度及び CO2濃度は概ね良好で、居室の平均温度は約 21~26℃の範囲内で管理されている一方、施設によって目標管理温度に差があることが明らかとなりました。
全般に感染症対策を考慮して個別加湿器まで持ち込んでの努力が行われていましたが能力が不足しており、いずれの施設においても相対湿度は40%RH に至っていませんでした。
また、全国5,878 施設を対象に行った質問紙調査(回収率 13%)で以下の実態が明らかになりました。
①中央式換気設備が約 2 割、個別換気扇が 7 割以上を占める
②換気基準の設定率は 3~4 割と温湿度基準の場合より低い
③換気基準は夏季より冬季の設定率が高い、寒冷地域がその他の地域より低い
④換気タイミングは「規則的に換気する」より「気づいた・気になったとき」が多い
⑤中央式・個別式空調、熱交換器など換気設備に対する知識不足や認識に問題がある
③は、寒い時期は感染症対策、結露、においなどに対応できる外気導入が難しいことを示唆しています。
また④は、においや温度上昇など空気環境の悪化を認識してからの感覚或いは経験的な対処が多いことを示しています。
⑤は予防保全が機能しませんし、障害が生じた時に最も問題を大きくするパターンです。室内環境管理者への教育・情報提供の徹底、専任者(専門業者)設置など保健衛生管理体制の整備が必要となります。
また、環境衛生に関する専門的知識や技術を持つ職員が少ない社会福祉施設において活用することができるマニュアルの整備が望まれます。8)