・新しい疾病理論のための証拠
テキサス大学サンアントニオ健康科学センター
教授 クラウディア・S・ミラー氏
1.はじめに
多種化学物質過敏症や慢性疲労症候群などは、頭痛、呼吸器症状そして鬱といった精神的な症状などを伴う多様な症状を発症するため、さまざまな体調不良として個別に診断が下され、正しい診断ができないのが現状です。
そこで、私は、これらの疾病に対して「毒物による耐性の喪失(TILT:Tocicant-induced Loss of Tolerance)」という新たな疾病理論を提案しています。
この理論によって、体内で起こる一般的発症機序を説明し、疾病理論の新たなパラダイムを目指しています。
2.毒物による寛容の喪失:TILTとは
TILTは、急性または慢性的な化学物質の曝露によって、感受性のある人に本来備わっている化学物質への耐性が、根本的に喪失される病気です。
このTILTは3段階に分けられます。
まず、殺虫剤や新築家屋、家屋のリフォームなどにより、特定の化学物質に大量または慢性的に曝露されることです(初期曝露)。
その結果、ヒトとして根本的に持っている自然免疫機能が弱められてしまいます(第1ステージ)。
その後、免疫機能が弱まった状態で、多様な化学物質の低濃度曝露を受けることによって、構造的に異なる化学物質に対しても体内で無毒なものに代謝できなくなり、MCSが発症します。
ここで引き金となる化学物質は、身近な生活環境にある食品、医薬品、アルコール、カフェイン、香水、洗剤、そしてVOCなどです(第2ステージ)。
さらに続いて、いろいろな化学物質に曝露反応し、離脱することを繰り返します。
1つの化学物質に対して離脱しているときには、別の化学物質に曝露され反応しているため、個々の物質の曝露と離脱状態がオーバーラップして隠されてしまい、そのため、曝露影響の全体像は隠されてしまいます。これをマスキング(Masking)と呼んでいます。
症状として外から判断できることは、氷山の一角に過ぎず、水面下の体内で起っている出来事や原因物質の特定が分からなくなってしまうのです(第3ステージ)。
また、TILTを発症する背景には、人によって化学物質に対する感受性の違いがあるということを念頭に置かなければなりません。
化学物質に影響を受ける度合い、つまり化学物質に対する耐性の度合いは、毒物や薬物代謝の遺伝的な違いによって異なります。
現在までに化学物質への耐性に対してリスクのある4つの遺伝子の関与が示唆されています。
このようなTILTの3段階疾病理論は新しい疾病理論で、上述のように複雑なプロセスをたどります。
ちなみに、細菌による感染症の細菌理論は、細菌曝露により発症する1段階理論です。
シックハウスなどのアレルギーの免疫理論は、最初の曝露からある時間を経て免疫学的耐性の喪失が起り発症する2段階理論です。
3.TILTの認識が広まらない原因
TILTの考え方は、科学や医学の世界で未だ広まっていません。
その原因は、従来の疾病理論とは異なる3段階という複雑なプロセスにあります。
このことが、以下に挙げるようなTILTという疾病の特殊性を明らかにしています。
第1は、TILTの引き金を引く化学物質が化学構造的に関連のない多様な化学物質にわたっていることです。
そのほとんどは、人類の長い歴史の中で人間が遭遇したことがなく、ここ50~60年の間に合成・生産され、現在も増え続けている有機化合物です(図参照)。
第2は、TILTによる症状が余りにも多様で多岐にわたることです。
例えば、皮膚などの臓器あるいは呼吸器系、心臓血管系、脳神経系、臓器系などでも影響が現われ、多臓器不全を起こします。
そのほか、鬱などを含む精神的疾患や注意欠陥多動性障害、自閉症なども含まれます。
第3は、第1、第2とも関連しますが、一般的に医師の診断は症状に基づいて病名を決めるものですが、TILTでは、症状による診断ではなく、病因論からの診断が必要であるということです。
なぜ患者は体調が悪いかを説明して、治療と予防の方法を示すことが必要です。つまり、医師の診断法の転換が求められているのです。
そのほか、病態の定義ができないため動物実験や疫学調査が難しいということや、マスキングなどがTILTの理解を阻んでいます。
4.TILTの予防が重要
TILTには、おそらく初期曝露に依存する複数のメカニズムが関わっていると推測されますが、TILTの発症はまだ解明されていません。しかし、患者から化学物質の曝露を除去できる環境医療設備、あるいは、ミラー博士の開発による「環境曝露と感受性の質問表(QEESI)」によって、TILTの診断を可能にし、また発症機序の解明や治療効果が評価できるようになりつつあります。
TILTは、遺伝子と環境化学物質との相互作用の結果です。個々人の感受性の程度は誰にも分かりません。しかも、全ての曝露を回避できるわけではありません。低濃度の曝露だから大丈夫というわけでもありません。現時点では予防原則の観点から、TILTの予防が最も優先されるべきで、一人ひとりが予防原則に基づいて行動することが最も重要と考えられます。そのためにも、学校教育(中学、高校)でTILTについて学び、化学物質を回避する行動ができるようになることが必要です。
特に子どもは敏感なので親の注意が必要です。さらに、胎児の化学物質への感受性は、胎児と母体の両者の解毒能力によって決定されるため、特に妊娠期には、下表に示されているような行動が必要です。
(報告: 常任幹事 森脇 靖子)