研究会の設立から今日まで;毒性学の変遷・医学的観点から | 化学物質過敏症 runのブログ

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研究会の設立から今日まで;毒性学の変遷・医学的観点から
*遠藤 仁1) 2)

1) 杏林大学医学部薬理学教室 2) ジェイファーマ株式会社

公開日 20160808  
 抄録

日本毒性学会は、組織体としては1975年に「毒作用研究会」、1981年に「日本毒科学会」、そして1997年には「日本トキシコロジー学会」、2012年「日本毒性学会」に名称を変更した。

会の名前は、その時代背景にある国内外の社会情勢や科学技術の進歩により変化してきた。
本学会の礎は“官”(国立衛生試験所に「毒性部」が1964に設置)と“学”により組織化された。

“学“は、生命科学系の学際的学術組織として「毒作用研究会」が1973に結成され、1960年代から1970年代は国内外での大学改革の動きが激しく、日本では東大医学部での学生処分に端を発して学生運動が全国に波及した。医学部での最大矛盾を抱えた臨床医学における関係者の動きは不十分であった。

臨床中毒の問題は、サリドマイド薬害、水俣病やイタイイタイ病、スモンやカネミ油症、等多岐に及んだが、結果的に肝心の臨床医学研究者の積極的な動きは図られなかった。
日本と韓国の間では日韓毒科学会が定期的に開催され、これがアジアトキシコロジー学会へと発展的に解消したが、救急医学の関係者による「日本中毒学会」との将来の合体は結実されなかった。
本学会の重要な転機は、組織的な“産”の参入であった。

1980年代後半の日本毒科学会学術年会への参加者は極めて少なく、その継続が危ぶまれた。

この危機を救ったのが日本製薬工業協会基礎研究部会で、その総会の開催場所と開催日を本学会学術年会に合わせ、以降の学会の充実が図られた。これが1986年に東京での第4回国際毒科学会の開催を可能にした。学会の運営は産官学一体となった。
今日は、医薬品開発の国際調和、学会認定トキシコロジスト制度の確立、トキシコロジ事典、文科省の研究費配分枠の確保に加え、Toxicogenomicsの国家研究プロジェクトにも会のメンバーが加わるなど、会の力量は確実に増大した。

runより:日本毒性学会には期待大です。