-3:化学物質の健康影響をどう考えるか―社会医学の見地から | 化学物質過敏症 runのブログ

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・食品と化学物質
遠山 そうですね。ネオニコ系農薬だけではなく、化学物質の影響に関しては、花粉症とある意味で同じで、実は個人差が極めて大きくて、化学物質過敏症などと同じ範疇で考えるべき問題じゃないかなと思っています。敏感な人は花粉症と同様、極めて微量で反応するので、これまでの量・反応関係の範疇からは外れてしまうことになります。
 食品安全委員会が食品中の残留農薬リスク評価を行っています。ネオニコ系農薬8種類のうちの半分についてはすでに評価書が出ており、残りの4つは今まさに検討中です。しかし、すでに発表されているリスク評価報告書は極めて不十分です。普通は、リスク評価は有害性があるか、用量・反応関係があるか、人が日常的にどの程度体内に摂取するかどうかの3つの情報を基に、どのくらいのリスクがあるかというとこで耐容一日摂取量(TDI)や一日摂取許容量(ADI)を決めるわけです。ところが、この農薬のリスク評価書では、ばく露の部分について付録で農水省関係の農産物中の農薬の調査データが付いているだけで、それについてのコメントがほとんどありません。

中下 ネオニコ系農薬の発達神経毒性はどのように評価されているのでしょうか。

遠山 評価書では、発達神経毒性そのものをまともに評価しているものはないのです。アセタミプリドについては、欧州食品安全機関(EFSA)の動向についての記載がありますが、他は体重の増減などを見ているだけで発達神経とは全く関係ありません。それなのになぜか発達神経毒性という項目を立てて、そこに記載されています。この農薬は化学構造の点からも中枢神経系への影響が懸念されるわけですから、一般毒性の項目よりも発達神経毒性に重点をおき、先ほど触れたOECD の毒性試験ガイドライン(TG426)を参考に、独自の試験を行うことが必要と思います。

中下 発達神経毒性を見ていないのに、見ましたという風に言っているのですね。

遠山 そうです。発達神経毒性を適切に見ていないから、影響があるかないかわからないだけです。先ほどお話ししたように、今の毒性ガイドラインは、仮説なしに、あらゆる化学物質についてあらゆる種類の毒性試験を網羅的に行うということになっています。しかし、これには手間と時間がかかるので、発達神経毒性をさらに加えるというのは現実的とは思いません。神経毒性を有することが想定される化学物質の場合には、仮説を立てて、若干でもリサーチマインドを取り入れた試験をする必要があると考えています。そうでなければ、発達神経毒性を「見過ごさない」「見逃さない」ということは難しいのです。
 もう一つ、極めて大事な問題は、データを開示するという点です。農薬登録に際しては独立行政法人農林水産消費安全技術センター(FAMIC)という農水省の外郭団体が担当しています。ここに農薬の毒性試験データも出すことになっています。食品安全委員会で評価に用いるデータも、ここの毒性試験データとほぼ同様のものです。リスク評価書を見ると、こうした試験データの多くは農薬メーカーが自ら行ったデータが多いこと、そしてそれらが企業秘密ということで非公開となっているのです。昨今、科学データの信憑性はじめ、信頼性を損なう事例に事欠きませんが、特許とは直接関係がないと思われるデータまでが非公開なのは、異常な状況だと僕は思います。

中下 残留基準値の設定にも問題があります。最近、ネオニコ系農薬について食品残留基準値が大幅に緩和されてきています。例えば、ほうれん草のクロチアニジンの基準値は従来の3ppm から40ppm へ大幅緩和されてしまいました。ほうれん草は栄養価が高く、特に子どもには多く食べさせたい食品ですが、これでは危なくてとても食べさせられないのではと思います。私はほうれん草を自然農法で作っていますが、アクが強いのでそんなに虫は来ません。
なぜ40ppm までクロチアニジンの残留基準をあげなければならないのか、理由が本当にわかりません。

遠山 先ほどお話ししたように、食品安全委員会のばく露評価に関する部分の付録のデータを仔細にみると、小松菜やほうれん草といった重要な菜っ葉類の濃度が桁違いに高いことが示されています。測定値が3ppm を超える場合が往々にしてあることが示されていることと、大幅緩和との間に何らかの関係があるのかもしれませんね。消費者の立場からは気になるところです。
 

日本の環境や消費者保護政策を変えるために

中下 最後にそういう食品だけに限らず日本の環境や消費者保護の規制というのは欧米の規制の後追いがほとんどで、日本からの発信や日本特有のものはありません。このような情けない状況を克服するにはどうすればよいでしょうか。

立川 選挙での投票だけでなく、買い物でもサービスを利用する時にも毎回意思表示ができます。つまり安全なものを売っている会社の製品を買って応援するとか、怪しげなものを売っており金儲けばっかりの会社の製品は買わないというように、お金を使う場面で意思表示をできます。ただそのような判断をするためには情報が必要ですが、最近のメディアは酷いので、よいメディアをどう育てていくか、あるいはつくっていくかということが一つのカギになると思います。

遠山 二つの点について述べたいと思います。まずは、日本独自の問題についての対応の必要性です。僕は専門委員として、国内外のリスク評価に関係してきました。日本は常に米国、EU 辺りで決めたことを後追いで決めています。もっと極端なことを言うと、審議会などでは、横文字の報告書を事務局が翻訳して、それを委員が少し手直ししているというのも多いのではないかと思います。自分たちが労少なくして、他の人の成果に乗っかっていれば、独自性がないことをバカにされることはあるにしても、まあ大きな間違いは犯さないということでしょう。しかしながら、食品中のヒ素、カドミウム、メチル水銀、ダイオキシンなどは、日本独自の規制をしなくてはいけません。欧米の、特に白人とは食習慣をはじめとしたライフスタイルが違いますから。こうした問題は、日本の行政も研究者も意識的に意見を言わなければいけないと思います。
 もう一つは化学物質の規制に関しての学会の在り方です。米国小児科学会は、子どもの健康を守るためというポリシーステートメントを出しましたよね。そうした動きが日本に欠けています。少なくとも有志でもいいから、意見を出せるようになるとよいと思っています。

立川 一般に欧米の学者は、文系・理系に関係なく政治・社会的問題に関心が深く、様々なやり方で社会とのコンタクトを試みています。日本では、私が環境問題を始めたころは、学者の活動の場は学会であって社会ではないという雰囲気でした。最近は状況が変わりはじめ、現行の政治を代弁するような学会研究者さえもいるようになりました。
それも当然のことかもしれません。多様性は生態学にとどまらず社会的にも重要な概念です。これからの日本の教育が問われています。