・出展:ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議
http://kokumin-kaigi.org/
・化学物質の健康影響をどう考えるか―社会医学の見地から
遠山千春氏
(東京大学名誉教授)
立川 涼氏
(国民会議代表)
× 司会:中下裕子事務局長
2016年1月14日、ダイオキシンや環境ホルモンなどの有害化学物質の影響に関する研究の第一人者である
遠山千春氏と立川涼代表に、化学物質の健康影響について社会医学の見地から対談していただきました。
社会医学とは
中下 遠山先生は社会医学の道を志してこられたと伺っておりますが、社会医学とは、どういうものですか。
遠山 医学は、基礎医学、臨床医学、社会医学という3つの分野に分かれています。社会医学は、一般の方々にはあまり聞きなれない言葉かもしれませんが、主に集団を対象として人々が病気にならないように、あるいはその病気を予防するにはどうしたらいいかという研究をする分野です。
中下 どういう経緯から遠山先生は社会医学を志されたのでしょうか。
遠山 僕が大学に入った頃に公害とか薬害とか食品中毒など様々な問題が起きていました。特に四大公害裁判の水俣病訴訟、イタイイタイ病訴訟などの裁判が結審を間近に控えた大詰めの状況で、社会的運動も盛り上がっていました。公害問題などにも関心を持っていて、社会医学の観点から何か寄与することができないかなということで、社会医学、毒性学の分野に進みました。
中下 先生のこれまでのご経歴を簡単にご紹介いただけますか。
遠山 東京大学に1968年に入学したのですが、大学紛争がありまして1年半近く普通の勉強はしないで過ごしていました。その頃は、社会医学あるいは医療に関する自主的なゼミナールのようなものを開催するなど、公害問題について勉強していました。それで毒性学の方向に進み、4年程米国ニューヨーク州にあるロチェスター大学に入って毒性学の博士号を取りました。
その後、1981年に国立公害研究所環境保健部(現在の国立環境研究所)の研究員となりました。当時は、その後長崎大学の学長になられた齋藤寛先生がカドミウムの土壌汚染地域の疫学調査をなさっていて、勉強させていただきました。腎臓の障害から骨軟化症が起きてイタイイタイ病が発生すると考え、事前にカドミウムによる腎臓の障害を検出できれば、何らかの形でその後の予防にも繋がるだろうと研究に取り組んでいました。
80年代後半にダイオキシン問題について社会的関心が高まったことから、国立公害研究所でも取り組むことになりました。環境健康部門でも何らかのコミットをしなくてはと考え、この分野の研究を行ってきました。その後、世界保健機関(WHO)や欧州食品安全機関(EFSA)、食品安全委員会の汚染物質・化学物質専門調査会の専門家会合に出席してきました。
科学者として
立川 遠山先生は保健学科にいらっしゃったこともあって、最初の段階から、水銀、カドミウムなどの研究に取り組まれ、その後もPCB(ポリ塩化ビフェニル)、ダイオキシン、環境ホルモンなどの研究もされてきました。この数十年、日本の環境医学の最前線にいらっしゃったので、国民会議がお話をお聞きするには適任の方だと思っています。
僕自身は、初めから毒性の問題は難しく、明確な答えが出ないと思っていたので、ppm(濃度)のほうを信頼して、社会に排出されている濃度が低ければ、大きな意味で社会的によいだろうという視点でした。研究の目的は単に論文を書くことではなく、何らかの形で社会を動かすことに直接的に関わらなければいけないと思い、メディアなどにも出るようにしてきました。環境学は社会と一緒にやらなければ、ほとんど意味がないだろうと思いながら研究をしていました。
今、研究はものすごく細分化されていて、先端で接点がないという意味でハリネズミ化しています。しかしそういう風にやらなければ評価されず、研究費がこず、研究も進展しません。環境問題の分野でも、僕が最初にやった頃は法律も化学も一人で一生懸命やらざるを得ませんでした。
専門の細分化は学問と研究の必然であるからこそ、科学者は市民の世界に積極的に出なければなりません。科学者自身の問題としても何をテーマにするかということについては、良くも悪くも社会的な観点が求められます。学者も社会に出たら泥まみれになりますが、そういう活動の中に入って科学者は鍛えられないといけないと思います。科学者も政治的な教養が求められる時代になっています。
遠山 立川先生のグループのお仕事は、遠くから拝見していました。年月を経てデータが蓄積してくると、ppm のお仕事が化学物質と生態系に関わる基本的かつ重要なデータとなっていると感銘を受けています。立川先生が社会の中でご苦労されてこられたことは、公害問題への対応のときから起きていることですね。広い意味での医学を志した人は、人間の福祉とか健康を守ろうという志を持っているはずです。基礎医学は直接的な関係は低いかもしれませんが、臨床医学、社会医学を志した人は全く社会と無関係ということではなく、起きている問題について、社会的な面でも対応をしようという気持ちはあると思います。科学的な知見を基に研究者として誠実に対応することが重要で、どういう立場であるにせよ、そこを捻じ曲げてはいけないだろうと思います。
・環境ホルモンのリスク評価
立川 コルボーンらの環境ホルモン問題の提起以来、続々とこれまでの対処では解決できない発見が続いています。
粗っぽい言い方ですが、十分な証拠がない(よくわからない)中での意思決定という難題です。
中下 遠山先生は、ダイオキシンや環境ホルモンの問題が提起する新しい科学の問題について、どのようにお考えでしょうか。またどのような研究成果がありましたか。
遠山 公害や薬害、いわゆる化学物質による食中毒といった問題では、研究者が加害者側の立場で発言をした場合が極めて多いわけです。しかし、被害者のほうが資金的にも弱いわけですから、やはり被害者側にとっても何らかのプラスがあるような形での研究が重要だと思います。だからといってあんまり被害者に寄りすぎると、自分自身の研究の方向がブレてしまいます。だから、毒性のばく露と影響に関して、できるだけ影響を事前に調べるというスタンスで研究をしています。カドミウムの場合については腎臓障害を事前に評価するための方法を確認する、それからダイオキシン、PCB 関係に関してはごく微量を摂取したときに母体や胎児、子どもへの影響を調べることができるかという観点で仕事をしてきました。そして、非常に低用量かつ胎児期のばく露によって、生殖発生毒性、免疫毒性、中枢神経系、特に記憶、学習といった高次脳機能影響が生まれた後に出てくることを実験によって明らかにすることができました。
立川 これまでの医薬品の開発過程では、毒性については成人男子しか対象としていないですね。環境ホルモン毒性は、胎児、乳幼児に最も敏感に出るかもしれないのに、様々な試験が女性、子ども、胎児についてほとんど行われていないあるいは社会的に許容されないということを、毒性学としてどのように考えるべきかという問題がありますね。
遠山 医薬品を開発するプロセスで前臨床試験の後、臨床試験に入ります。人を対象とした臨床試験には、健康な人を対象として薬の安全性と吸収や代謝・排泄等を確認する第1相、少数の患者を対象に薬の有効性と安全性、用量等を確認する第2相、より多くの患者を対象として有効性と安全性を最終的に確認する第3相とあります。立川先生がおっしゃったのは、医薬品で言えば、第1相で成人男子を対象とし、主に健康な男子学生をせいぜい20人程度、アルバイトとして集めて調べます。医薬品ですらそうですから、その他の化学物質に関してはその程度のこともできていません。医薬品の場合でさえ、人種による違いについてきちんと調べられているわけではありません。また化学物質の規制強化を考えると、胎児、子ども、妊婦、そして人種などで感受性が高い場合の影響の検討が必要なのですが、こうした情報はまったくもって不十分です。
立川 動物実験により半数致死量(LD50)や一日許容摂取量(ADI)を調べることは、環境ホルモンが提起したような新しい課題に対してほとんど無力ではないでしょうか。僕は、環境ホルモンのように、極めて複雑な生理機能と関連しているような毒性を問題とするときには、動物実験では意外と何もわからないのではないかと思っています。医療の場では、動物実験とは比較にならないほど膨大なデータが電子的に蓄積されます。これを有効に活用することはできないでしょうか。
遠山 医療の場では、医薬品についての情報を得ることはできますが、日常的に用いられている化学物質関連の情報を得ることは難しいでしょう。
ところで現在、毒性ガイドラインに記載されている実験動物を対象とした毒性試験は、急性毒性や、一対一の因果関係がわかるような用量反応関係がある毒性を調べるシステムとなっています。そのような試験研究機関の試験システムでは、いわゆる環境ホルモンの毒性を明確にできないということはおっしゃるとおりだと思います。
しかし、こうした方法ではなく、学術的な観点からリサーチマインドをもった試験を構築して行うのであれば、最先端の分析方法論や装置により、in vivo(生体内)での影響を検出できると思っています。他方、in vitro(試験管内)で、例えば培養細胞系や精製したたんぱく質、受容体を用いて、シグナル伝達といったことに対して環境ホルモン問題についてアプローチをするという方法も検証されています。米国EPA が中心となって行っているToxCast のようなものです。ただ、僕は個人的にはそういった方法からはほとんど実りのある結果は出てこないだろうと思っています。例えば、池の中に石を投げれば波は立ちますが、その波を見ても悪影響があるのか、どういう意味があるのかわからないですから。
やはりin vivo とin vitro の両方が必要で、個体レベルで検出される影響を見つつ、その影響が出るような条件に基づいて、in vitro の培養細胞とか、もっと微細なレベルでの影響を見ることが環境ホルモンを生物学的、医学的に解明することにつながるのではないかと思っています。
立川 健康維持や老化防止に良いとされ、ガンの予防になるという説もある抗酸化物質が、ガン細胞の転移と成長を促している疑いが生じたという論文が最近『Nature』に発表されました。似た研究が他にも多くあるのですが統計的(大半のヒト)にはプラスであっても一部のヒトにはマイナスとなる。しかし、一人一人についてのプラスかマイナスかはわからない。こうした課題に政策、対策を選択あるいは決定するためには科学者だけでなく広く社会的合意を形成する必要があると思います。
遠山 環境ホルモンのメカニズムだけでなく、生き物がどのくらいその物質にばく露しているかということを様々な地域で様々な動物種を調べることにより、それなりにデータが蓄積してくると、今までに見えなかったものが見えてくるということが明らかになってきているのではないかと思います。
様々な化学物質が市場で使われ、ヒトを含めた生物種の体内に蓄積していることがわかってくると、モデルを考えることができるようになるのではないでしょうか。
立川 問題は複雑ですが、いま世界的にも合意されている対策は、化学物質使用の種類と総量を減らすことです*1。