・侵害受容性疼痛、神経障害性疼痛、心因性疼痛
痛みは様々な観点から分類されています。
痛みの原因の観点から侵害受容性疼痛、神経障害性疼痛、心因性疼痛と分類されることがあります(図2)。
侵害受容性疼痛とは神経末端の侵害受容器という痛みを関知するセンサーが刺激されて起こる痛みです。
火傷、棘が刺さる、打撲や骨折、あるいは炎症により起こった痛みが侵害受容性疼痛なのです。
問題は神経障害性疼痛と心因性疼痛です。
それらには、絶対的な診断基準はありませんが、日本で頻繁に用いられている診断基準は以下の通りです。
侵害受容性疼痛ではない痛みの中で、痛みを説明するに足る異常がある痛みが神経障害性疼痛であり、侵害受容性疼痛ではない痛みの中で、痛みを説明するに足る異常がない痛みが心因性疼痛なのです。
痛みを説明するに足る異常とは理学検査(腫れ、発赤、局所発熱など)、血液検査、画像検査、神経伝導速度などの検査です。
神経障害性疼痛、心因性疼痛には違和感が残ります。
漢字が示すように神経障害性疼痛とは神経が障害されて起こる痛みであり、心因性疼痛とは心に痛みの原因がある痛みです。
しかし、現場で行われている診断基準は症状に基づいているのです。
痛みの原因の観点で定義した痛みが、痛みの症状の観点で診断されているのです。
痛みの原因の観点で定義した痛みは、痛みの原因の観点で診断されるべきです。
逆に言うのであれば、痛みの症状の観点で診断されている痛みに、神経障害性疼痛、心因性疼痛などという痛みの原因の観点から命名されたような用語を用いることは間違っています。
大変残念なことですが、現時点の医学レベルでは、神経障害性疼痛と心因性疼痛を原因の観点で区別することは不可能なのです。
実は、心因性疼痛は医学的に説明のできない痛みとほぼ同義として扱われています。
その結果、身体表現性障害の中の身体化障害や疼痛性障害と同一とは言いませんが、限りなく同一に近い概念になっています。
心因性疼痛と身体化障害/疼痛性障害は成立した過程は異なるのですが、同一とは言いませんが、限りなく同一に近い概念に結果的になっています。
世界標準の医学における心因性疼痛
日本医学では心因性疼痛単独の痛みが存在するという医学理論が有力です(図2)。痛みの専門家であるペインクリニック科の医師の約2/3は心因性疼痛単独の痛みが存在すると信じています[46]。
日本語で書かれた医学書や医学論文には心因性疼痛という用語が頻繁に登場します。
心因性疼痛の英語訳はpsychogenic painです。
正確に言えばpsychogenic painの日本語訳が心因性疼痛です。
しかし、今日の世界標準の医学ではpsychogenic pain単独は存在しないという医学理論が有力です(図3)。
英語で書かれた医学書や医学論文にはpsychogenic painという用語がほとんど登場しません。
全くないとは言いませんが、ほとんど見かけないのです。インターネット上にPubMedという無料の検索サイトがあります。
医師であれば全員が知っているはずの検索サイトであり、キーワードを入れるとその用語を論文のタイトルや要約に含む英語論文をほとんど全て知ることができます。
PubMedに掲載されない英語雑誌は格が低いと見なされています。
そのPubMedにpsychogenic painという用語を入れて調べると、ほとんどpsychogenic painという用語を含んだ英語雑誌は見つかりません。
私は心因性疼痛単独の痛みは存在しないと考えています。
全ての痛みは精神状態によって変動するのです。精神状態によって変動しない痛みが存在するのでしょうか。
「心因性疼痛という用語はなくすか、脳原性疼痛に変更すべき。」という趣旨の英語論文(コメント)を私は某英語雑誌に投稿しました。
査読者の意見として「痛みの専門家の大部分はあなたの意見に賛成するでしょう。」という意見がつき不採用でした。
つまり、当たり前すぎて英語雑誌に掲載する価値がないと判断されたのです。幸い、その論文は別の英語雑誌に採用になりました[47]。
国際疼痛学会は侵害受容性疼痛と神経障害性疼痛の定義は発表していますが、心因性疼痛に関しては何もコメントしていません[48]。
私は、国際疼痛学会の機関誌のPainに「国際疼痛学会はpsychogenic pain単独が存在するのか存在しないのか見解を出すべきである。」という趣旨の英語論文(コメント)を投稿しました。
私の論文は不採用でしたが、痛みの業界の超有名医師から個人的にメールがありました。
「psychogenic pain単独は存在しないと私は考えています。しかし、国際疼痛学会の見解を出すことはできません。」という内容の返事でした。
心因性疼痛に対する治療
他の医療機関で心因性疼痛と診断されたり疑われた患者さんを私は多数治療しています。そ
の患者さんたちに線維筋痛症の治療、すなわち神経障害性疼痛の治療を行えば全員ではありませんが、痛みは軽減します。
身体表現性障害の場合と同じなのです。
中枢性過敏
脊髄や脳といった中枢神経は痛みなどの刺激が継続すると機能障害が起こることがわかっています。
これを中枢神経の可塑性と言います。
可塑性とは元来は工業界の用語です。
力をある物体に加えてその物体が変形した後、その力をなくした際に変形したままである場合にはその物質には可塑性があると言います。
力をなくした際に変形がなくなる場合にはその物質には弾力性があると言います。
中枢神経の機能障害と記載しましたが、現時点では器質的な異常が見つかっていないというのみであり、器質的な異常なのかもしれません。
中枢神経に刺激が継続的に送られて、脳に機能障害が起こり過敏になる状態を中枢性過敏(central sensitization)と言います[49-50]。
中枢性過敏症候群
実は、中枢性過敏によって起こる疾患群があります。
中枢性過敏症候群(central sensitivity syndrome: CSS)と言います[49-50]。線維筋痛症は中枢性過敏症候群の代表疾患の一つなのです。
中枢性過敏症候群に含まれる疾患(症候群)に何が含まれるのかは確定していませんが、線維筋痛症以外に、慢性疲労症候群、うつ病、不安障害、口腔顔面痛、外陰部痛、化学物質過敏症、むずむず脚症候群などが含まれています。
これらの疾患は互いに合併することが多いのです。
これらの疾患は医学的に説明のできない痛みや諸症状を引き起こします。
今まで医学的に説明のできない痛みや諸症状を線維筋痛症と診断すべきか身体表現性障害と診断すべきかと述べてきました。
さらに正確に言えば、医学的に説明のできない痛みや諸症状を中枢性過敏症候群と診断すべきか、身体表現性障害と診断すべきかということになります。
Sensitivityやsensitizationが感作と翻訳される場合があります。
しかし、現時点では通常、感作とは抗原抗体反応が起こる場合に限定して使用されています。
Central sensitizationやcentral sensitivity syndromeに抗原抗体反応が起こっているのかどうかは現時点では不明のため、感作という用語は現時点では適切ではありません[49-50]。
機能性身体症候群(functional somatic syndrome: FSS)という症候群があります。
痛みや多彩な症状を訴えるが検査で異常がない疾患群を意味します。
実は、機能性身体症候群に含まれる疾患(症候群)は中枢性過敏症候群に含まれる疾患群とほぼ同じなのです[50]。
機能性身体症候群という用語は適切ではないと私は考えています[51]。
一つ目の理由は機能性身体症候群という用語が身体表現性障害と類似している点です。
機能性身体症候群を提唱している人の話や論文では限りなく身体表現性障害に類似した意味で使用されていることがあります。
二つ目の理由は、機能性身体症候群より中枢性過敏症候群の方が病名から症状の原因が分かりやすいのです。
三つ目の理由はほぼ同じ概念に対して二つの病名があるより一つの病名に統一した方が病名の普及上有利なのです。
まとめ
本書では医学的に説明のできない痛みや諸症状の診断、治療が混乱していることを述べました。また、身体障害性疼痛や心因性疼痛は存在しないことも説明しました。日本医学が世界標準の医学に近づくことを願っています。また、慢性痛・リウマチ・ペインクリニックの業界と精神科の業界が一つになって医学的に説明のできない痛みや諸症状の診断、治療が統一されることを願っています。
私に連絡せず、本書をいかなる目的に使用していただいても構いません。ただし、出典は明示してください。
著者紹介
戸田克広(とだかつひろ)
1985年新潟大学医学部医学科卒業。元整形外科医。2001年から2004年までアメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health: NIH)に勤務した際、線維筋痛症に出会う。帰国後、線維筋痛症を中心とした中枢性過敏症候群や原因不明の痛みの治療を専門にしている。2007年から廿日市記念病院リハビリテーション科(自称慢性痛科)勤務。『線維筋痛症がわかる本』(主婦の友社)を2010年に出版。電子書籍『抗不安薬による常用量依存—恐ろしすぎる副作用と医師の無関心、抗不安薬の罠、日本医学の闇—』http://p.booklog.jp/book/62140
を2012年に出版。ブログにて線維筋痛症を中心とした中枢性過敏症候群や痛みの情報を発信している。実名でツイッターをしている。