ぼくが中学校の耐震工事で化学物質過敏症になって七年がたちました。 | 化学物質過敏症 runのブログ

化学物質過敏症 runのブログ

化学物質過敏症 電磁波過敏症 シックスクール問題を中心としたブログです

http://www.japama.jp/oha79_p012_022.pdf


知らないことを「ないこと」にしないでほしい。

ぼくが中学校の耐震工事で化学物質過敏症になって七年がたちました。
中一の夏休み、水泳部の練習で
一番初めに症状が出たのは、中学一年生の夏休みでした。

水泳部の練習中に自分の身体に異変を感じました。

ぼくはそれまで、元気が取り柄の、友だちと遊んで笑って、皆勤賞なんかとるような子どもだった。

病気ともアレルギーとも無縁でした。
中学では水泳部に所属して、その夏休みも練習に行きました。
このころ、中学は耐震工事で、校舎全体をビニールで覆われていました。

練習に行くと、シンナー臭がずっとありました。
たしか、練習は九時からでしたが、泳いでいて気持ちが悪くなりました。

吐き気がすごくこみあげてくる。

それで、その日はコーチにいって帰らせてもらったんです。
自分の体調があきらかにおかしくなったのは、九月の始業から。

教室に入ると気持ち悪いなあと思ったけれど、ちょっと最初はガマンしてました。

でも、二〇分くらいで吐しそうになって、保健室で何時間か休んでいました。早退し、自宅で休んでいると、翌朝には調子がもどります。

毎日、朝元気に登校して、気持ち悪くなって帰って来るという日が続きました。

頭痛、寒気、目眩も学校に行くとひどくなる。

病気になる前の平熱は三七度。それが学校にいると指註2先とかが冷たくなって、体温も三五度くらいに低下していました。

あとは、眠気ですね。症状が出たその日に、かかりつけの病院に行きました。医師の診断は「風邪かな」ということでした。
数日して、母が親類から「化学物質過敏症」という病気のことを聞いて、北里大学病院へ行くことになりました。

「化学物質過敏症」との検査結果が出たのは一一月の上旬のことです。
このころには、手の震えもあって、文字も下手になってました。

診断にはいろいろな検査があり、自分でも気がつかなかった身体の異常が出ていることを知ることにもなりました。

バランス感覚がなくなっている、眼球の揺れもありました。

「おお! 目玉が揺れるんだあ」と、子どもながらにびっくりしましたね。