・「線維筋痛症」について
私どもが抱える疾病「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」は原因不明の難治性の全身的慢性疼痛で、ICD10に収載されている疾病です。
眼に見えない痛みが主訴であり、不眠や疲労などの多様な症状も呈します。本邦では、2006年厚生労働省研究班の疫学調査がなされ、有病率は他の国と同程度の人口比1.7%(約200万人)だと発表されています。
この患者数に比して診察や治療をする医師は極めて限られており、入院施設もほとんどないというのが現実です。
発症から1~2年のうちに適切な治療をして寛解した例は多くありますので、早期治療できる体制にしなければならないのに、医療体制はまだまた追い付いていません。
大多数の患者が、自分がこの病気であることを知らず、または受け入れ先を求めてさまよっている数年の間に症状が悪化してしまっています。
200万人という総数を考えると国の損失は膨大であり、医療と福祉の受け入れがない線維筋痛症患者には最低限の生活もいまだに保障されていません。
線維筋痛症患者の「痛みや疲労による生活上の困難」を、生活機能障害として認め、今回の障害者総合支援法対象疾患見直しにおいて、線維筋痛症を新たに指定してください。
2014年5月30日に「難病患者に対する医療等に関する法律」、および「児童福祉法の一部を改正する法律」が公布されました。
発症の機序がいまだに明らかになっておらず、病気による長期にわたる生活上の制約を受ける私たちも、この新しい法律で色々な社会的支援が受けられるのではないかと大きな期待を持っていました。
しかし、結果として線維筋痛症は指定難病にはなりませんでした。それどころか、今回新しく難病患者も支援の対象となった障害者総合支援法の対象疾患からも、線維筋痛症は除外されているのです。
国民を守るのが福祉であるとするなら、せめて福祉的生活支援においては、どんな疾患も等しく救われなければならないと考えます。
身体がつらいのに、周りに認められないことは生きていけないほど辛いことです。
結婚や、仕事を辞めざるを得なくなったあとに、行政によってすら現行の障害者支援制度の枠外に置かれることが、どんなにつらいことが想像してみてほしいのです。
患者は自分の病気を疑い、自分の精神を疑うことになります。線維筋痛症は今でも、“制度のはざまに陥った”疾病なのです。
2011年に改正された「障害者基本法」においては、「障害者の定義の見直し(第2条関係)」が行われています。
従来の3領域の障害や、発達障害に加え、「その他の心身の機能の障害がある者」が明記されました。また、「障害および社会的障壁の有無」を新たな基準として、障害を捉えなお
そうとする視点が反映されています。私たちの機能障害が、社会的障壁とみなされていないことは、この流れに逆行しているのではないでしょうか。
線維筋痛症患者の身体は多くの場合、腫れたり、曲がったり、鉤縮してはいません。
目に見えない耐え難い痛みとこわばりが主訴となるので、障害認定が極めてとりにくい状況です。
しかし、誰もが人間として最低限の医療と福祉を受ける権利があるのだから、症状が固定していなくても、病気が悪化している時期には誰かの介護や福祉機器の利用による日常生活の支援が必要なのは言を待ちません。
痛みや疲労による生活上の困難は、見た目ではわかりにくいものですが、線維筋痛症患者は、同じような症状を抱える関節リウマチ患者以上の痛みを感じて生活しているといわれます。
簡単そうに見える洗濯物を干すこと、階段を昇り降りすること、歩くことなどは軽症でも困難です。
激しい痛みを起こすのは中枢神経の障害と言われており、適切な休養をとったり、ストレスを避けたりすることは治療のためにも必要なのですが、すべてを自分独りでこなそうと無理を重ねるなかで、まるで坂を転がり落ちるかのごとく体調を悪化させていく者が多いのです。
本会が2011年にまとめた独自の調査では、常勤で就労している者はわずか1%にとどまっています。
障害者手帳取得者は全体の15%に過ぎませんし、等級もその症状に比すると軽いものです。
さらに問題なのは「受けたい」「断られた」との回答が45%あることです。
「患者が尊厳を持ってこの社会で暮らしていくための障壁」を評価するための、「客観的指標」はどこまでの正確性と妥当性を持ちうるのか?
私たちの複合的な困難は、いわゆる「医学モデル」のみで障害を評価することの限界を体現しているように思います。
個々の生活ニーズに応える支援のデザインのありかたそのものが問われているのです。
『FM白書2011』より
(線維筋痛症友の会・編)clear
「痛み」「疲労」は客観的基準では測れない、それは明確な診断基準とはいえないのではないか。といわれます。
適切な支援を受けることで、病気の悪化を防ぎ、早期の社会復帰に繋がるのが経験からわかっているのに、私たちはいつまで待てばいいのですか?何とか現状の制度を適切に運用し、本人の努力では抗うことのできない、病気の症状によるQOL,ADLの著しい低下が、介護や支援が必要な「障害」とはみなされていない現状を打開することがまず先ではないのでしょうか。
私たち患者のみならず家族も追い詰められ、最悪の場合は患者自ら命を落とすケースが後を絶たない現実を打開するには、社会全体の理解が必要なのです。
この瞬間も生きる希望を失い、絶望の淵にある患者と家族の命を率先して救うのは国家の責任です。