2 多種化学物質過敏症を理解する
2.1 多種化学物質過敏症(MCS)とは何か?
多種化学物質過敏症(MCS)は、広範な身体的、心理的、及び感情的症状によって特徴付けられる不調を述べるために一般的に用いられる用語であり、その原因は極めて低レベルの広範な環境化学物質に暴露することである。
MCSの基礎となる初期の概念はアレルギー学者セロン G. ランドルフによって開発されたが、彼は1950年代に、広い範囲の患者は環境的、職業的、及び家庭内の物質に、ほとんどの人が影響を受けるレベルよりはるかに低いレベルでの暴露により病気になったと主張した。
ランドルフと同僚らは、今日MCSとして最もしばしば言及されるものとよく似た症状を説明するために、アレルギー反応、マスキング、及び不適応の概念的枠組みを開発した。
これらの考え方から議論の多い臨床環境医学という学問領域が進展したが、それは環境的要素を原因とする多種症状をもつ人々に適用される”環境病”の推測的診断に基づいている。
MCSはこの病気を言い表す最も一般的な術語であるが、MCSとして記述される病気に関連する広範な症状を記述するために用いられている多くの他の術語がある。
それらは以下のようなものである。
突発性環境不耐症(IEI)
(Idiopathic Environmental Intolerance)
環境病
(Environmental illness)
化学的獲得性免疫不全症候群(化学的 AIDS)
(Chemical acquired immune deficiency syndrome)
20世紀病
(20th Century disease)
脳アレルギー
(Cerebral Allergy)
化学物質過敏症又は化学物質不耐症
(Chemical sensitivity or intolerance)
環境過敏症
(Environmental hypersensitivity)
毒性脳症
(Toxic encephalopathy)
毒物誘因耐性喪失(TILT)
(Toxicant-induced loss of tolerance)
ある場合には、これらの術語はMCS作用の根底にある原因と様態に関し個人又はグループの特定の見解を反映している。
この理由のために、突発性環境不耐症(Idiopathic Environmental Intolerance / IEI)は、引き起こす原因に関する推論に影響を与えないので、世界保健機関(WHO)を含くむ多くによって賛同されている。
このことはMCS症状のための合意された生物学的ベースの欠如を反映している。
異なる名称でわかるように、ある人々はMCSをひとつの病気の実体としてではなく、環境暴露に関連する広範な症状を記述する集合的な術語として見ている(Alterkirch, 2000)。
もしMCSという一般的ラベルの下に存在する多くの症状があるなら、単一の因果メカニズムと単一の治療体制を捜し求めることは有益ではないので、これは重要な考え方である。
残念ながら、MCSの根底にある原因と病因論に関する合意の欠如、したがってその結果としてのMCSの使用できる定義に関する合意の欠如が、症状の科学的分析/調査及び臨床的認知に対する重大な障害となっている。
2.2 MCS の症状は何か?
MCS対象者によって述べられる症状の範囲は広い。
ラバージとマッカフレー(Labarge & McCaffrey (2000))によってレビューされた文献はMCSに関連する151の症状を特定した。
最もよく報告される症状は表1にリストされており、一般的には3つのグループに分けられうる。
すなわち、中枢神経系、呼吸器系、及び胃腸系に影響を与えるものである。
表1 MCSとして報告された症状の有病率 症状 有病率*
(%)
頭痛51
疲労31
混乱30
うつ29
呼吸困難26
関節痛25
筋肉痛20
吐き気18
めまい14
記憶障害14
胃腸障害14
呼吸器系症状 55
*特定の症状を示すMCS患者のパーセント
ラッカーら(Lacour et al (2005))による最近のレビューは、MCS患者の自己申告において、頭痛、疲労、及び認知障害のような非特定中枢神経(nonspecific CNS)症状の訴えが多いことに言及した。
南オーストラリア州議会でのMCS審議の報告書は、2004年の南オーストラリア保健省の調査に言及しているが、その中での主要な症状は、頭痛、ぜん息又は他の呼吸障害、目、鼻、喉の痛みである。
報告されているその他の症状は、集中力又は記憶障害、むかつき/胃痛、筋肉痛、めまい、発熱、疲労、うつ、湿疹であった。
その審議でなされた他の証言はまた、症状の広い多様性を示した。
同様な広範な症状は、2004年西オーストラリア州議会におけるウェイジラップのアルコア製油所からの排出によるとされる健康被害についての審議において口頭及び書簡で報告された(West Australian Legislative Council, 2004)。
2.3 MCS は他の症候群や疾病と関係あるか?
MCSに関連する症状は、慢性疲労症候群(CFS)、線維筋痛症(FM)、心的外傷後ストレス障害(PTSD)との類似性がある((Aaron et al. 2001; Bornschein et al. 2001)。
湾岸戦争に従軍した海軍軍人の医学的症状を調査したある研究は、他の海軍軍人に比べてCFS、PTSD、MCS及び過敏性腸症候群(IBS)の有病率が高いことを報告した(Gray et al. 2002)。
これらの病気の多くのケースは短期間のストレス因子、最も一般的にはCFSにおける感染、FMにおける物理的な外傷(physical trauma)、PTSDにおける厳しい心理的ストレス、MCSにおけるある環境因子への暴露がきっかけとなるように見えるということが示唆された((Pall, 2003)。
症状におけるこの重複は、ある研究者らにこれらの病気が同じ病因、又は病因の要素を共有していることを示唆させることとなった。
他の症候群と病気は、MCSを引き起こすか又はMCSに罹りやすくすると報告されている。
(下記 表2 を参照:Staudenmayer et al. 2000; 2003b)
表2 MCSと関連があるかもしれない症候群 症候群 可能性ある因子
シック・ビルディング症候群(SBS)
Sick building syndrome ビルの換気不良及び揮発性有機化合物
歯科アマルガム誘因水銀毒性
Dental amalgam-induced mercury toxicity 水銀暴露
電磁波過敏症
Electromagnetic fields sensitivity 電界又は磁界
湾岸戦争症候群
Gulf War syndrome 炭疽病ワクチン、生物又は化学兵器
反応性(上部)気道機能障害症候群(RADS/RUDS)
Reactive (upper) airways dysfunction syndrome 呼吸器刺激物
慢性毒性脳障害
Chronic toxic encephalopathy 感染病原体、代謝又はミトコンドリア機能不全、脳腫瘍、有毒物質への暴露
慢性疲労症候群(CFS)
Chronic fatigue syndrome 感染症
線維筋痛症(FM)
Fibromyalgia 物理的な外傷(Physical trauma)
心的外傷後ストレス障害(PTSD)
Post traumatic stress syndrome 激しい心理的ストレス
過敏性腸症候群(IBS)
Irritable bowel syndrome 食物不耐性とアレルギー、ストレス
シック・ビルディング症候群(SBS)は、特定のビルで働くことに関連する症候群である(Burge, 2004)。
SBSの人は、目、鼻、喉の痛み、頭痛、咳、呼吸困難、疲労、めまい、集中力欠如などの症状を経験する。
SBSの原因は不明であるがビルの換気不良が建材、備品及びを機器含む汚染源からのベーパーの蓄積を引き起こすことの結果であるとしばしば考えられている。
時には、SBS患者の中のある人々は後にMCSになると報告している(Hodgson, 2000)。
水銀に過敏(歯科アマルガム誘因水銀毒性)、又は電磁場に過敏となったと報告する人の場合には、これらの特定の因子に対して明らかに高められた彼らの過敏性は、一般的にMCSと関連する他の環境因子にまで広がるかもしれない。
これとは対照的に、慢性毒性脳障害、慢性疲労症候群(CFS)、反応性気道機能障害症候群(RADS)、 線維筋痛症(FM)、過敏性腸症候群(IBS)、湾岸戦争症候群などの他の症候群が周囲の化学的因子によって引き起こされる又は悪化されるという証拠はほとんどない(Staudenmayer et al. 2003b)。
しかし、これらの疾患とMCSの間には症状に重複がある。
ブチワルドとガリティ(Buchwald and Garrity (1994) )は、アメリカの成人でCFSの30人、FMの30人、MCSの30人について、これらの3つの疾患の間の類似性を評価するために比較を行った。
FMとMCSのグループの人の約80%は、米疾病管理予防センター(CDC)のCFS主要基準に合致し(Holmes et al. 1988)、また、両方のグループは、これらの疾患にとってマイナーな基準として分類されているCFSの症状をしばしば報告した(Interagency Workgroup, 1998))。
ジェイソンら(ason et al. (2000) )は、MCSと診断された90人のうち、13人(14.4%)がCFSの基準に合致し、8人(8.9%)がFMの基準に合致したことを見出した。
他の研究では、イギリスの軍人でMCSと定義された症例のうち同様な比率(15.2%)がCFSの基準に合致した(Reid et al. 2001)。
戦争地域への配備がMCSのと多種疾患の有病率増加に関連していた(ray et al 2002; Thomas et al., 2006; Osterberg et al., 2007)。