保土ヶ谷高校シックスクール事故の顛末記 Ⅶ(最終回) | 化学物質過敏症 runのブログ

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・出典;化学物質問題市民研究会
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/index.html

・神奈川県立保土ヶ谷高校シックスクール事故の顛末記 Ⅶ(最終回)
H.Y.(元保土ヶ谷高校教諭・保土ヶ谷高校シックスクール裁判原告)


最終回まで辛抱強く、事故の実態をお読み下さり、心より深く感謝申し上げます。


■県立学校施設整備に伴う室内化学物質対策検討委員会の問題点 
2004年12月22日、職員会議にて「外部組織による調査」を要請した。

12月25日には「東京都立世田谷泉高校等のシックスクール事故に関する委員会の報告書」を確認し、芸術科職員は「対策委員会の立上げ」を管理職Aに要請した。

2005年4月23日、PTA運営委員会が開催され、保護者が閉鎖中の音楽室・書道室を見学。猛烈な臭気に委員多数が激怒した。

同日、管理職Eは北棟3階の生徒の立入禁止措置を決定。

4月25日、西棟5階で異常な有機溶剤臭で多数の生徒が体調不良を訴えた。

教育財務課は緊急対策として西棟5階の封鎖工事を行った。

4 月27日、第一回対策検討委員会開催後、委員全員が保土ヶ谷高校に移動し、芸術科の職員3名の陳述を聞いた。芸術科作成汚染事故経過資料(45頁)を委員会に提出。

委員長から謝罪の言葉はなかった。

西棟5階での高濃度の有機溶剤の発生のため、5月2日健康調査を行った。

体調不良を訴える生徒は308名に達した。

テレビ・新聞で大きく取り上げられた。

教育委員会は保護者説明会を5月7日に開催。

8時間に及ぶ怒りの会議となった。

「5月14日にきちんとした対応策を提出」することを確約して、夜8時に保護者説明会は終了した。

5月14日、学校教育担当部長が対策検討委員長となり、「徹底的に解決する。」と確約し、6月20日、新対策検討委員会が立上がった。

部長の話を聞いて、私も会議室で嬉し泣きをした。しかし、世界的な権威であるT教授は、職員を前にして、「私学であれば校舎の建て替えであるが、公立なので改修工事だ。」と発言した。

県対策委員会は、芸術科の職員(合計70回以上も文書で要望・改善案を提出)には発言を認めなかった。

検討委員会の問題点を以下に明記する。