その12:第9部:化学物質過敏症に関する情報収集、解析調査報告書 | 化学物質過敏症 runのブログ

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6 予防原則との関連づけ
以上のように見たときには、「化学物質過敏症」・「シックハウス症候群」ないし化学物質による健康被害が問題となる局面における民事過失の帰責構造を考えるうえでのあるべき枠組みは、環境法・環境政策の領域において支持を集めている「予防原則」と、その発想の基盤を共有するものであることが明らかとなる。
「予防原則」(precautionary principle)とは、環境政策が論じられる過程で展開されてきたものであって、「環境に脅威を与える物質または活動を、その物質や活動と環境への損害とを結びつける科学的証明が不確実であっても、環境に悪影響を及ぼさないようにすべきである」とする考え方である。この考え方は、環境に対して発生しうる損害が重大で回復不可能なおそれがある場合に、「科学的に不確実なリスク」に対する予防的措置を要請することへと向かうものである34。
化学物質による人体への被害の場面でも、この予防原則の基礎とする理念は、環境の保護・保全(およびこれを通じた――間接的な――人体・人格の保護・保全)にとどまらず、化学物質による健康への直接侵害に対する民事的救済の場面にも、妥当すべきものと思われる。

人体に脅威を与える物質と人体への侵害とを結びつける科学的証明が困難であっても、いったん発生すると回復不可能な重大な損害が発生する場合には、損害発生前のリスクを回避し、または提言するために事前の思慮(Vorsorge)をおこなうべきであるとの観点から、わが国の民事過失論を充実させていくのが望まれるところである。
実際、この「予防原則」に沿った民事過失の法理は、わが国では、これまで、熊本水俣病・新潟水俣病といった大規模公害・薬害事件のなかで生成され、公害事件を超えた展開のための理論面での素地は、既に現在の民事過失論において共有されているところである。
この公害事例への対処を経て充実をみた「予防原則」に基づく民事過失論が、今日、われわれに身近な生活におけるごくありふれた日常のなかで多種多様な化学物質との接触を通じて人体に生じる健康被害についても妥当するように、その理論を強固なものとしていく必要性が高まっている。
他方で、冒頭にも触れたように、「化学物質過敏症」・「シックハウス症候群」ないし化学物質による健康被害では、専門的技術や知見をもたない者が加害者側とて登場する場合も少なくないし、化学物質が日常生活に氾濫するなかで、その数が増加するであろうことは、容易に推察されるところである。

被害予防の必要性を強調するあまり、技術的な回避措置を講じることを期待できない一般市民が加害者側として登場したときには、過去の公害・薬害裁判例にあらわれた被告企業のような専門的知見・技術をもたない一般市民に過大な情報収集義務・結果回避義務などを課して日常生活のなかでの行動を過度に制約することのないようにしなければならない。

共同体社会に存在している一般的生活危険にとどまる不利益について、これを惹起する行為をした一般市民に無条件に負担させたのでは、行為者への結果責任(原因責任)を課すこととなり、市民の合理的行動の自由を否定することになりかねないからである。
この意味では、「化学物質過敏症」・「シックハウス症候群」ないし化学物質による健康被害の場面での民事過失を論じることが難しい理由のひとつは、多種多様な化学物質がわれわれの日常生活に無意識のうちに取り込まれ、一般的生活危険という衣をまとって受容されている点にある。

個々の化学物質がもたらす作用・危険性について、いかに一般生活危険から切り離し、その防除のための行動が必要かを一般市民の認識レベルに沈潜させるかが、化学物質による健康被害を理由とした民事責任の法理を充実させるために、まずおこなわれるべき第一の作業である。
(本稿は棚瀬孝雄編「市民社会と責任」京都大学大学院法学研究科COE 研究叢書所収の「『化学物質過敏症』と民事過失論」の後半部分に大幅な加筆をしたものである。)


runより:これにて本文全て掲載となりましたε-(;-ω-`A) フゥ…

あと60ページほど資料がありますが表なので掲載が難しいですね。

ちょこちょこと編集して掲載しようとは思います、結構大事な内容なのでどうにか読める様にしたいです(^▽^;)