その10:第9部:化学物質過敏症に関する情報収集、解析調査報告書 | 化学物質過敏症 runのブログ

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この加害企業の過失論の根底には、環境が汚染破壊され住民の生命健康が破壊された段階に至ってはじめて危険が実証されるものであるところ、それまでは危険であることが証明されないのであるから廃液を放出することが許されるとする、いわば地域住民を人体実験に供する考え方が存在する。
被告第二準備書面における過失論はまさにこの人体実験の論理を容認したものである。

安全性を確保するための調査義務を軽視し、予見義務の対象を塩化メチル水銀に限定し、その不可予見性を主張する被告の過失論はまさに公害を容認、助長する論理といわねばならない。

かかる論理を生みだす被告の利潤優先、人命軽視の基本姿勢こそ水俣病を発生させた根本原因である。」また、東京スモン訴訟では、東京地裁が、次のように述べている31。

「医薬品の製造・販売をするにあたっては、なによりもまず、当該医薬品のヒトの生命・身体に及ぼす影響について認識・予見することが必要であるから、製薬会社に要求される予見義務の内容は、(1)当該医薬品が新薬である場合には、発売以前にその時点における最高の技術水準をもってする試験管内実験、動物実験、臨床試験などを行なうことであり、また、(2)すでに販売が開始され、ヒトや動物での臨床使用に供されている場合には、類縁化合物を含めて、医学・薬学その他関連諸科学の分野での文献と情報の収集を常時行ない、もしこれにより副作用の存在につき疑惑を生じたときは、さらに、その時点までに蓄積された臨床上の安全性に関する諸報告との比較衡量によって得られる当該副作用の疑惑の程度に応じて、動物実験あるいは当該医薬品の病歴調査、追跡調査などを行なうことにより、できるだけ早期に当該医薬品の副作用の有無および程度を確認することである。

なお、製薬会社は、右予見義務の一環として、副作用に関する一定の疑惑を抱かしめる文献に接したときは、他の(同種の医薬品を製造・販売する)製薬会社にあててこれを指摘したうえ、過去・将来を問わず、当該医薬品の副作用に関する情報を求め、より精度の高い副作用に関する認識・予見の把握に努めることが要請されるのである。」
さらに、刑事事件であるが、熊本水俣病事件東京高裁判決は、「人が水俣工場の排水中に含有される有毒物質により汚染された魚介類を摂食することによって、水俣病に罹患し、死傷の結果を受けるおそれのあること」を予見することができれば足り、「その有毒物質が一定の脳症状を呈する特定の化学物質であること」を予見することは不要であるとしている32。
これらの事案は、いずれも専門的知見を有する企業が被告となった事例であるが、予見義務の対象が何かという点においては、専門的知見を有する者かそうでない者かという点で区別をする必要がない。

「特定の構成要件的結果およびその結果の発生に至る因果関係の基本的部分」の内容は、当事者のいかんにかかわらず客観的に決まるのであり、当事者の専門的知見の有無・程度は、情報収集・調査研究といった予見義務の有無・程度を左右するにすぎないからである。

そして、上記のように化学物質による人体への作用が問題となった場面で予見義務の対象が柔軟化・抽象化されていることは、本稿で扱っている「化学物質過敏症」にかかる人身被害の事例にも基本的に妥当するものと考えられる。

*31 東京地判昭和53 年8 月3 日判時899 号48 頁。
32 福岡高判昭和57 年9 月6 日高民集35 巻2 号85 頁。*

とはいえ、予見義務の対象を柔軟化・抽象化させるといっても、予見すべき対象が抽象的な危険にすら達していない状況では、情報収集・調査研究といった予見義務を介して予見可能性を肯定することには無理がある。

このことを裏面から示したのが、前述の東京高判平成18 年8 月31 日(8事件)である。

この判決では、問題となった電気ストーブについての「悪臭」の苦情例から、「その店舗において、多種多数の電気ストーブと共に本件同型ストーブの販売に携わる」者に予見義務・検査確認義務を課し、「同型ストーブから異臭が生ずることが通常のことではなく、また、異臭が生ずる場合にはこれと共に化学物質が発生していることを予見し得たものというべきである」との結論を導いた。

この判示部分からは、①本件では「悪臭」という「化学物質の発生」とは直接に関連性がないかもしれない事実から予見義務を介して予見可能性を導いた点で、予見義務の対象を柔軟化・抽象化するという方法が採用されていることが重要であるとともに、②仮に本件に類似の事例で「悪臭」といったような少なからぬ者の五感に作用する事態が生じていなかったならば、被告側に情報収集・調査研究へとうながす契機が存在しないため、本件とは逆の結論(予見可能性なしとの結論)に至る可能性があることに留意すべきである。