図1 化学物質過敏症患者の思い(大カテゴリーのチャート)
1)CS 患者の社会的現状
患者の中には、自分の病気は「説明困難」であり、周囲の人から「受容拒否」されていると感じている人がいた。
また、『症状による対人トラブル』には、「職場トラブル」や「近所トラブル」、「家族・友人トラブル」があった。患者は、これらをCS という病気の【社会的認識不足】が原因であると感じていた。
就労している患者は、化学物質に反応して症状が出ることを、「労働環境の未整備」が原因としていた。
反応症状による「余暇活動制限」や「対人関係の希薄化」を経験し、『社会参加への制限』という認識が生じていた。
また、『病気に伴う経済困難』を感じている人もいた。
使用できる「生活用品の制限」や住宅内外の「空調管理困難」を自覚し、できるだけ化学物質を摂取しないように「食品への配慮」をすること自体が「精神的苦痛」であると感じていた。
これらは、患者の『日常生活困難』として認識され、『社会参加への制限』と『日常生活困難』および『病気に伴う経済困難』は、【生きていく上での困難】になっていた。
しかし、患者は、症状を起こさないために「外部要因排除」と「自己防衛」という『原因物質の排除』に努めていた。
『民間療法』と『原因物質の排除』は、CS 患者特有の【自己対処法】であった。
【社会的認知不足】
ごく普通の芳香剤や香料類が耐えられないなんて言っても分かってもらえず、どうかしていると思われるのがオチだ。
家族、兄妹、親類、友人などには理解できにくく、ひどい言動を浴びた。
この病気であることを変な目で見られることがある。
【生きていく上での困難】
体力があり仕事をしたいが、化学物質や電磁波の少ない環境で仕事をするのは困難である。
今までしてきた趣味やボランティアもできなくなった。
発症以来、自宅の近辺で建て替えが続き、居場所を転々としているため、移動の負担が大きい。
【自己対処法】
有機化学物質の一切入っていない、動物実験も行っていない製品(健康飲料、サプリ、化粧品、日常品(石けん、シャンプー、洗剤など)など)に変更したところ、生活が楽になった。
薬を使うよりも日常生活の中で化学物質を減らすこと、体内から化学物質を排出することに重点をおいている。
自分が反応するものを周囲からできるだけ遠ざけて生活している。
2)患者の病気をめぐる認知状況
患者の中には、自身の病状を『ポジティブシンキング』で捉える「受容型」と「肯定型」が存在した。
それらの患者は、現状を「割り切り」、生活を「工夫」し、「心の余裕」を生み出す『発想の転換』を行っていた。
症状が軽快した患者では、化学物質を避ける頻度が減少したことによる「生活の安定」と「自由の増加」を経験し、『回復の喜び』を実感していた。
これらの患者では、【病気の受容】が出来ていた。
一方、症状による「仕事の継続不安」や、自分と同じ症状を持つ「我が子の成長不安」、あるいは自分の「老後の生活不安」を感じている患者も存在した。
症状を引き起こす物質の増加や症状の多様化が進むのではないかという「反応物質の未知数」や「症状の未知数」に関して不安を感じている人もあった。
症状が深刻な患者は、「死にたい気持ちの増幅」を感じて「死に対するコーピング」をしながら暮らしており、これらの『死の連想』と『未来への不安』は、【情緒混乱】を生み出していた。
また、患者の中には、過去と比較してCS の認知状況が変化しているという【社会的認知変化の実感】を感じている人もいた。
【病気の受容】
基本的なことに対応できれば、病気だからといって全てをあきらめ、悲観するのではなく、できること、できていることに注目し、前向きに考えている。
今の自分の体があるのはCS のおかげである。
自分なりに生活を工夫しようとしている。
【情緒混乱】
10年前に発症した方と電話で話し、仕事ができなくなり、都会にも住めなくなると伺い、自分もいつかそうなってしまうのではないかと考えてしまう。
子どもたちの将来が不安。
生きていくのが辛く、死んだ方が楽だと何度も思った。
【社会的認知変化の実感】
(日本社会には)CS 患者は思っている以上に存在する。
近頃、「SHS」注)が広まってきているため、近所や親族、友人に説明しやすくなった。
家族や友人などは理解してくれようとしている。
runより:ほとんど私の思想に近い事が書いてますね。
立ち向かうとそういう結論に辿り着くもんです、研究も同じです。
アホのNATROMだったらこんな資料自分を肯定するが出てきたら「ほら、自分は正しい」と天狗面してるとこですよ(^▽^;)
NATROMと私の違いですがNATROMは自分に都合の良い資料が無いと記事も書かないという事ですね。