活動における予防原則 9 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・Ⅷ.不確実性の理解
 
人間が住み生産をしている、開かれた動的環境中では、知識が限られることが多く、科学的確実性に到達することは困難である。

不確実性それ自体様々であり、非科学的であると同様科学的である。

一部の不確実性は、突き止めることができ、減すことができる。

残りはできない。

環境と一般人の健康に影響する判断をする場合、私たちは何を知らないか、そしてなぜかを理解することは、事実を明確にすると同じく重要である。
 
不確実性は次のカテゴリーにわけることができる。
パラメーターの不確実性は、分析するために特定な情報要素がない、あるいは曖昧(あいまい)であることをいう。

パラメーターの不確実性は、さらに多くの情報を集めたり、データを集めたり分析するために、さらに良い技術を用いて、減すことができることが多い。しかし、それが多様性によるものであれば、このような場合に当たらない。環境放出で、個々人は様々な被ばくを受けるだけでない。

人々の害に対する感受性も変化する。危険に対する被ばくを測定し、抑制しようという試みは、集団中の多くの人を適切に守れないだろう。
 
モデルの不確実性は、科学的理論中のギャップ、あるいは、例えば量・応答関係のような、情報ギャップを埋めるために使うモデル中の不正確さをいう。

モデルは現在と過去の出来事を説明するために、あるいは未来を予知するために作られる。

モデルは、モデルを作るのに用いた情報と同じだけ良いものである。

モデルが開かれ、相互依存している環境系に関連した時、モデルは必然的に不完全である。

モデルはさらに、そして一層詳細な情報を取り入れれば改善できる。
 
系統的・認識学的不確実性は、累積的で多様な相互作用する被ばくに関する未知の影響を指す。

系統的不確実性は、大規模あるいは長期間の分析の重要な混乱因子である。
 
煙幕不確実性は、リスクを発生させ、特定の物質や活動の影響を隠すことに利害がある者の戦略をいう。

彼らは、危険を研究することを怠り、影響に関する知識を隠し、あるいは不確実性を作るために研究を計画する。

規制を批判する者は規制を避けるために不確実性を良く使う。
 
政治的に誘導された不確実性は、健康と環境を守る責任をもつ機関の一部が、故意に無知であることを指す。

当局は危険を調べる決定をせず、あるいはその分析の範囲や問題を解決するためのかわりの方法を制限し、その決定で不確実性を重要視せず、定量モデルの中に不確実性を隠すだろう。
 
不定とは、関連する不確実性が大規模で非常に多様なため、不確実性が大きく減ることは決してないことを意味する。
 
無知には2つの面がある。

肯定的には、どのくらい多くのことを私たちが知らないかを、謙虚に認めることである。

否定的には、不確実性を考慮しないで決定をする活動である。
 
例:産業化学物質の毒性検査
 
毒物統制法*の下で、化学産業と輸入業者は、化学物質製造以前に、化学物質の潜在的な健康影響に関連するデータを提出することが、求められている。

環境保護局は、化学物質が市販される前に追加の検査を要求できる。また、会社は、その物質が一度市場で手に入るようになると、実質的なリスクの証拠を提出しなければならない。
* Toxic Substances Control Act
 
1984年のはじめに、米科学アカデミーは、工業化学物質の健康影響に関するデータが圧倒的に欠けていることを、注意した。

アカデミーは、最も大量に一般使用されている化学物質の78%が、「最低限」の毒性検査すらされていないことを、発見した。
 
環境防衛基金*[1977]や環境保護局[1998]が指摘しているように、この状況は約14年後も改善されていない。100万ポンド以上取引されている、3000の生産量の多い化学物質につけいて、研究は次のように述べている。93%は基本的な化学物質のスクリーニングデータがない。

43%は基本的毒性データがない。

毒物放出目録に関する51%の化学物質は、基本的毒性データがない。

手に入る情報の大部分は急性毒性だけに基づいている。
* Environmental Defense Fund
 
アル=ゴア副大統領は、これらの3000種の化学物質について基本的なスクリーニングを行うことを、産業に命令したが、ここには人間の被ばくや健康影響・リスクに関するデータは入っていない。

環境保護庁は受け取った情報に基づいて行動する義務はないだろう。
 
不確実性と無知の、様々な形と発生源が、産業化学物質の検査と認可過程に存在する。
 
完全な範囲の健康影響を知ることなく、環境中で使用・放出される化学物質を環境保護庁が認可する活動の中に、無知がはびこっている。
 
特定の化学物質が発達中の胎児や新生児にどのように影響を及ぼすかなどの、人間の被ばくと、様々な毒性の結果に関するデータの欠損中に、パラメーターの不確実性は存在する。
 
データの欠損はモデルの不確実性を誘導する。
 
科学が環境中の有毒化学物質の相互作用と、化学物質の集積的影響を研究しはじめたばかりなので、系統的不確実性が存在する。
 
試験の実施あるいは報告することに関する産業の怠慢と、ほかの要因(病気の作用メカニズム・食事と遺伝・「天然の」発癌物質)に関する議論に焦点をあわせようとすることとは、煙幕不確実性の一つの形である。

例えば、重大なリスクの通知を提出するために、EPAが産業に暫定的に寛容にしたとき、環境保護局は短期間に11,000の届出書を受け取った。
 
政治的に誘導された不確実性は、政府当局が化学物質の試験を実施させない、あるいは命じない場合や、ある物質よりは別な化学物質を調べようと決めた場合に発生する。
 
伝統的な研究科学は、因果関係を主張する前に、ほぼ完成した、完全に支持する情報を集めようとする。統計的に、科学者は、観察した結果が偶然だけによるものではないことが、95%確実であることを望んでいる。

この科学の規範は、残念ながら、人間の健康と環境への害を見る時にも持ち込まれる。

意志決定者が95%の確実性を追究することは、現実には危険が存在しないのに措置(そち)や規制をするという、明らかに、第一種の過誤と呼ばれるものを避けようとしている。

この過誤を避けることに焦点をあわせることにより、意志決定者は、実際に害がある時に何もしない、すなわち、第二種の過誤と呼ばれるものを犯す可能性を増加させる。
 
不確実性は政府当局や産業の力の源となることがある。不確実性は、私たちがまだ十分分からないとか、行っている活動は不合理であるとか、「がらくた科学」に基づいているだろうというために、使われることがある。

しかし、これらのスポークパーソンは、自分たちがどのくらい知っているか、あるいは知らないかを、めったにいうことはない。

産業の代表は、ある製品を実際には検査していない時、あるいは不確実な時、「安全」や「許可された」というような用語を使うだろう。
 
また、不確実性は、害の絶対的な証拠がない場合に行動すべき理由として、産業に対する正当化に直面した場合、政府の弱点でもある。

政府当局にとって、産業の逆鱗に触れるよりも、表面的には客観的で科学的に見える定量的分析により、不確実性を覆い隠す方が、ずっと容易である。

この覆い隠すことは、一般人の激怒をそらす方法でもある。

知識は科学技術知識と同じである。伝統や生活体験を通じて得た知識は、定量化できる知識のために、価値が減らされる。
 
現在、不確実性は、人間の健康や環境のために予防行動をしない理由として使われている。

しかし、ある特定の害がどのようにして人間や環境に影響を及ぼすかを決して分からないことに気づきながら、行動する理由として不確実性を使うことができる。

私たちは、自分たちが知っていることや、それを知る方法、知ることの限界を考える必要がある。

環境や一般人の健康の擁護(ようご)者は、私たちの無知の深さを暴くために、産業や規制当局に難しい疑問をしなければならない。

一度知識の欠如が暴露されると、害の影響に関する情報なしに、人間と環境を害に不必要に曝(さら)すという概念は、不合理であり、予防が論理的であると分かるであろう。