・Ⅸ.リスクアセスメントか、予防原則か?
1970年代の間に、リスクアセスメントと費用便益分析という意志決定手段が、不確実な科学と害を制限するために意志決定する政治的必要性との間にある、ギャップを埋めるために開発された。
しかし、その開発の中で、極度に複雑な生態系と人間のシステムの中で、モデルを作り害を予知するために、科学の能力に大きな信頼をよせた。
技術的なプロセスとパラメーターが良く定義されて分析できる橋の建設のような機械的問題のために、本来、開発されたリスクアセスメントは、極度に不確実で非常に多様なことを予知する役割を担った。
リスクアセスメントを、意志決定の「合理的な科学」として、政府当局や産業界がみなしている。
この中では、決定は、何が分からないか、あるいはできないかを考慮することなく、定量できるものに基づいて行われる。
先に述べたように、これらのことは不確実性の部類にひとまとめにほうり込まれる。
ほとんどの科学者は認めないだろうが、意志決定のためのリスクアセスメントやそのほかの「合理的な科学」的方法は、非科学的あるいは主観的であることが多く、政治と科学仮定に大きく依存している。
二次的なものであったにしても、環境中の害の複雑さを良く理解することの中に、リスクアセスメントの適切な役割がある。
しかし、伝統的に行われてきたように、リスクアセスメントは、人間の健康や環境を守ることを妨害することが多かった。
その場合には、大きな仮定と通常のリスクアセスメントの欠点があった。
リスクアセスメントは「同化能力*」を想定している。
すなわち、人間と環境はある量の汚染を無害にできるということである。
リスクを取り除くことは、全体として、リスクアセスメントのもっともらしい結果ではない。
リスクアセスメントは、リスクを防ぐのではなく、管理し減すために使われる。
このことは、クリーンな生産を始めるためのさらに基本的な努力を妨げる。
* assimilative capacity
リスクアセスメントは問題を解決するよりは、むしろ問題を定量化し分析することに焦点をあわせる。
それは次のようにたずねる。
リスクアセスメントは、どのくらい多くの汚染が安全か、あるいは受け入れることができるか?その問題を喜んで我慢(がまん)できるか?限られた財源をどのくらい向けるべきか?これらの問いは妥当な疑問であるが、彼らはより積極的なアプローチを締め出す。
積極的なアプローチは、どうしたら、有害な被ばくを防ぐことができるか、より安全でクリーンなかわりの方法に向かえるか、解決を突き止めて、順位をつけて、実施できるかといいう、アプローチである。
リスクアセスメントはモデルの不確実性に影響を受けやすい。
現在のリスクアセスメントは、被ばくや量応答関係・動物から人間への推定に関して、少なくとも50の異なる仮定に基づいている。
これらのすべては主観的で恣意(しい)的な要素である。
結果として、リスクアセスメントの定量的な結果は非常に変わりうる。
欧州連合EUは、危険の分析中、ヨーロッパベンチマーク試験で、リスクアセスメントの仮定に対して限界を認識している。
試験の中で、16のヨーロッパ政府は、アンモニア放出事故に関する問題について作業するため、科学技術者のチームを作った。
試験の試験の結果は、400分の1から1000万分の1に渡る、11の異なる結果が出た。
主催者は、「リスク分析のあらゆる段階で、分析者によって多くの仮定が導入され、推定結果はこれらの仮定に強く依存していることを、認識しなければならない」と、結論を下した。
* [Contini, et al. 1991. Benchmark Exercise on Major Hazard Analysis. EUR 13386 EN Commission of the European Communities, Luxembourg]
同時に、現在のリスクアセスメントは多くの変数を、特に多重被ばくや過敏な人間・癌以外の結果を省略している。
リスクアセスメントは、単一化学物質の基準を設定することに適しており、多くの共同体で見られる化学物質の混合物を解析することはできない。
リスクアセスメントが癌以外の影響を考えることはまれであるが、多くの環境による健康問題には、呼吸器疾患や先天異常・神経系の疾患が含まれている。
リスクアセスメントは直線的応答を分析するために設計されており(被ばくが強ければ強いほど害が多い)、そうでなければ窮地に追い込まれる。
例えば、一部の化学物質が人間のホルモンシステムをかく乱する能力は、これらの影響を多量よりもむしろ少量で誘導することを、示している。
リスクアセスメントは、「許容できるリスク」の装いのもとで危険な活動を続けることを許す。
リスクアセスメントは、定量的で、不正確に対して技術的に洗練した、仮定のある、政治的に操られる科学という雰囲気を持っている。
リスクアセスメントは、安全であるか、あるいは被ばく者が許容するという前提のもとで、より大きな汚染と健康の悪化を招く活動の継続を許す。
リスクアセスメントは、不確実性と不十分な証拠に直面して、規制と対策をくい止める。
リスクアセスメントは費用と時間がかかる。
単一のリスクアセスメントは、終えるまで5人で1年を要する。
リスクアセスメントは、被ばくの影響がすでに明らかな場合(上記のダイオキシンの分析を見よ)、リスクを定量化し、ランクをつけようとして、限られた財源を縛り付ける。
リスクアセスメントは、予防に焦点をあてた解決から手段を取り去る。
リスクアセスメントは基本的に非民主的である。
害に曝(さら)されている人が、被ばくを受け入れることができるかとたずねられることは稀(まれ)であり、生物学者サンドラ=シュタイングレーバーは、そのことを基本的人権侵害あるいは有毒な侵害と名づけた。
リスクアセスメントは、伝統的に、一般人の認知や優先順位・必要を含めない。
リスクアセスメントの過程に一般人を含めようとして一部努力がなされているが、科学的分析や意志決定に広範な一般人の関与は、向こう数年では可能性がないと思われる。このための機構は存在しない。
リスクアセスメントの過程は、当局や産業界の科学者や顧問・場合によってはハイテク環境グループに限定されることが極めて多い。
リスクアセスメントで一般人の関与は、一般に、非常に有害な過程にのみ認められている。
リスクアセスメントは責任を悪いところに置く。
全体としての社会は環境中の害を扱わなければならないと仮定されており、この仕事に対する財源が乏しいと仮定されている。
「社会」に全環境保護活動のためには十分な財源がないという主張は、害に対する責任がある者やそれを作り出した人・それから被害を被る人から、注意をそらしてしまう。
もし、手段の不足が要因であるなら、政府の財源を、無限に問題を調べることから、危険な可能性のある活動に対する安全なかわりの手段を突き止めることへ移すのが賢明であろう。
リスクアセスメントは、経済の発達と環境保護との間に、誤った二律背反を持ち出す。
規制当局は、環境問題の意志決定の中に科学と経済政策を関連させながら、リスクアセスメントの「科学的」過程を費用便益分析に結びつけようとすることが多い。
しかし、当局は、だれが費用を負担し、だれが利益を収穫するかという疑問を考えない。
後に続く浄化と健康のための費用を考慮した場合、規制を弱くした場合の費用は、一般に、過剰規制の場合の費用より大きい。
これらの批判を別にして、リスクアセスメントは予防原則の実施に一役を果たすことがある。
基本的には知ることができない被ばくの「安全」レベルを設定するためにリスクアセスメントを使うかわりに、活動の危険を良く理解し、予防のために選択肢を比較するために使うことができる。
また、民主的意思形成法と組み合わせて、有害廃棄物のある場所の浄化と回復のような活動の、優先順位をつけるために使うことができる。
しかし、政策と意思決定の底にある基本は、リスクではなく、予防と防止でなければならない。