〈患者を生きる:2064〉社会と関わり 前向きに
有機野菜を取り寄せて食べている
■免疫と病気 においが怖い:5
大阪市東淀川区に昨年5月、ギターショップを開いた入江紘司さん(28)は、自然木に囲まれた「自分の城」で、マイペースに仕事を続ける。
今年7月、2年ぶりに主治医の宮田幹夫さん(76)を訪ねた。
東京都杉並区に診療所を開業していた。
診断の結果は、「『化学物質過敏症』は悪くも良くもなっていない」だった。それでも中学・高校での「最悪だった時期」よりはマシだ。
この18年、建材から揮発する化学物質やダニ・カビへのアレルギー性の症状を伴う「シックハウス症候群」に始まり、さまざまなにおいに反応する「化学物質過敏症」と診断され、社会からの疎外感を味わってきた。
「なぜ、あの家に住んだ」「なぜ、俺たち一家だけ」。
八つ当たりし、自宅のふすまにはカッターを刺した跡が残る。
今は、この病気とは一生つきあっていかなければならないと覚悟している。
どれだけの化学物質に反応するのか、自分でも分からない。
とにかく化学物質のにおいがある環境を避ける。
それでも体調を崩したときは汗をかき、代謝をよくして体調をコントロールする。
薬はのんでいない。
11月、雨の日曜日。大阪城の野外音楽堂でのアマチュアバンドのコンサートに参加した。
他のバンドの音響係を任された。聴衆はほとんどいなかったが、弁当も食べず立ち続けた。
役目をこなしつつ、男女の高校生を支えた。
女の子からは「音響を学びたい」と頼まれた。
「弾き語りをしたいが、踏み切れない」と迷う男の子の背中を押した。
「僕の10代は学校にも行けず、めちゃくちゃだった。若い子の力になれることがあれば、やりたいと思う」
病気について、自分からは言わない。
音楽関係者の中には、事情を知らない人もいる。
それでも少しずつ、周りが変わってきた。
バンド仲間がたばこをやめたり、会場が分煙になったり。
そんな配慮がうれしい。
「化学物質過敏症の自分を見て、離れていく人がいてもしょうがない。理解してくれる人に感謝すればいい。社会と関わることで、学校や家などから出る化学物質で不調を訴える子どもたちが、少しでも社会に出やすい環境が広がっていけばいい」
runより:この入江さんですが「化学物質過敏症の子供達」の動画の人です。
今も闘っているんですね・・・。
もう1つ記事がありますがそれは明日になります。