農薬被爆経路4 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・学校での農薬使用
 
学校で、子どもは残留農薬の含まれているほこりや土・床・机・本・プラスチックなどに触れます。

このことは、子どもがいない放課後や早朝に農薬を散布したとしても子どもには危険であることを示しています。
 
多くの幼稚園・小中学校では校庭の樹木の毛虫駆除のために、早朝あるいは子どものいない時期に農薬を散布します。

使用している薬剤には劇物もあります。

また、ホルモンかく乱物質として疑われている農薬もあります。

岐阜市では昨年(1998年)、環境ホルモンとして疑われている農薬の使用中止を教育委員会が指示しています。
 
学校で農薬を使用した場合、健康被害が発生することがあります。

日本ではほとんど調査がされていませんが、米国では市民組織や政府が学校での農薬使用実態や健康被害を調査しています。
 
 カリフォルニアやニューヨーク・ワシントンのような大都市の学校地域内での農薬使用を、いくつかのグループが調べています。

これらの報告は、危険な農薬が学校内で親や学校職員にほとんどあるいは全く知らされないで、日常的に散布されていると報告しています。
 
1993年、オレゴン州のノース=パウエルハースト学校でアリ駆除のためにクロルピリホスとジクロルボスが散布されました。

その後まもなく、乳児や子ども・妊娠した女性・教師・学校職員が吐き気や嘔吐・下痢・重い頭痛・発疹・めまい・眼のかゆみ・のどの痛みなど訴えました。

この学校は閉鎖され、きれいにされてから、再開校しました。

その後も生徒と職員の健康被害が続いたために早々と閉鎖されました。
 
1992年、ニューヨークのイーストチェスターハイスクールで、コキブリ駆除のために農薬クロルピリホスとダイアジノン・レスメトリンが散布されました。

散布後、学校に戻ると、子どもや教師・職員が頭痛や眼と呼吸器の刺激・吐き気に苦しみました。

この学校は残留農薬をきれいにするため3週間閉鎖を余儀なくされました。
 
1989年のワシントン州ヤキマで、1年生が誤って有毒殺虫剤ダイシストン顆粒数個を食べてしまいました。

少年は死にそうになり、それ以来、少量の農薬被曝に対しても過敏になったままです。
 
ウエストバージニア州で、シロアリ駆除剤クロルデンによって学校が汚染され、小学校の児童と職員が慢性疲労や吐き気・呼吸器疾患・四肢の脱力で4年間以上苦しんでいることが分かりました。

米国連邦政府の研究者がクロルデン濃度が避難限界値の11倍であることを発見した後、1989年に最終的に学校を閉鎖しました。
 
1987年、アリゾナ州ツークソンのホーナーダービス小学校では、近所で散布された有機燐系殺虫剤マラチオン(マラソン)が建物の換気ダクトに吸い込まれて、300人近い児童と4人の教師が教室内で吐き気をもよおし、入院しました。
 
1986年、ハワイのワイアナエ小学校で、クロルピリホスを含むノミスプレーを学校で散布した後、28人の児童と2人の教師に頭痛や胃痛・呼吸困難・吐き気が現れました。

その後、子どもが病気になったのは有効成分クロルピリホスではなく、「不活性」成分キシレン(有機溶剤:有機溶剤については次章)であることが分かりました。