・生物の最適戦略と耐性のコスト
このような耐性の集団間変異のデータから,化学物質の生態リスクについてもう少し定量的な情報を引き出すために,進化生態学で使われてきた「適応度最大化法」という近似を利用します。
生物の形質の進化は十分長い時間がたてば,近似的に最適な状態に達しているという考え方です。
「適応度」とは,個体が繁殖によって次世代に残す遺伝子の量を表す指標で,生物が環境によりよく適応するほど大きな値になります。
化学耐性は,化学物質による汚染がある条件では個体の生存や繁殖を維持できるようにするベネフィット(利得)があるのですが,化学物質に対して強い体質にするためには,化学物質が透過できないように皮膚を強くしたり,化学物質を早く解毒できるよう代謝能力を必要以上に高めたりするなど,汚染が無ければ耐性にはかえってコストがあるのが一般的です。
定常状態では,耐性はこれらのベネフィットとコストの両方を考慮した中で適応度を最大にする程度に留まっていると考えられます。
なぜなら,耐性がこの最適点を越えてしまっては,コストが高すぎてかえって損であり,逆に最適点以下では,ベネフィットの方が大きくなる結果,耐性の高いクローンが選抜されて,集団の耐性値は増加するはずだからです(図4)。
化学物質耐性のコストは多くの生物で報告されていますが,本研究では,できるだけ適応度(個体群の潜在的な増殖率)の尺度で定量的に測定しました。
このためには膨大な数の長期間の飼育実験が必要でした。
その結果,クローンの耐性値は,化学物質の暴露が無い条件では,適応度と負の相関があり,耐性のコストがあることがわかりました(図5)。
・図4 耐性遺伝子のベネフィットとコストを表す模式図(拡大表示)
化学物質の暴露濃度の増加に伴って,生物の適応度(個体群の潜在的な増殖率)は2次関数的に減少する(左図)。
耐性の高い集団は,適応度の減少分が少なく,反応曲線が右側に移動する。暴露が無い条件では,耐性の高い集団ほど適応度が低くなる傾向があり,耐性にコストがあることを示す(右図)。
・図5 カブトミジンコの適応度(個体群増殖)とフェンバレレート耐性値との関係
(拡大表示)
黒丸: 各クローン(同じ遺伝子を持つ個体の集団)の耐性値(T)(常用対数スケール)と飼育実験から得られた適応度の推定値。
*: 耐性の最も高い系統と低い系統から得られた適応度の推定値。
点線は標準誤差。