・約半世紀も放置された放射能汚染
全国に「湧き出し」の例は後を絶たない。放置されていた放射性物質が原因で、敷地内が"放射能汚染"されたケースもある。
07年6月、住友軽金属工業の名古屋製造所(名古屋市港区)から、
①硝酸・酢酸ウラニル(ウラン量で144グラム)
②塩化・硝酸トリウム(トリウム量で26グラム)
③棒状の天然金属ウラン(6.2キログラム)
④ペレット状の天然金属ウラン(3・95キログラム)
などが見つかった。
同社の安全衛生室長によると、硝酸ウラニルや塩化トリウムなどの薬品(①と②)は試薬瓶入りで、毒劇物等の保管庫にあった。
天然金属ウラン(③と④)は、実験室の片隅でプラスチックケースや鉄缶に収められた状態だったという。
「人の目に触れないところにひっそりと置かれていました。
弊社の敷地では、昭和30年代に当時親会社の住友金属工業が核燃料に関する研究をしていたことがあり、そのときに研究で使っていたものが一部残っていたと推測しています」(前出の安全衛生室長)
とりわけ、トリウムは、
「ガンマ線を放出するので、保管状態が悪いと、外部被曝する可能性がある」(前出の矢ケ崎氏)
というから危険だ。
さらに、会社が調査すると、放射能汚染された場所が見つかった。
驚きなのは、汚染場所は、ウランが見つかった場所とは、まったく別の建物だったことだ。
汚染濃度は、建物内の床面で最大16マイクロシーベルト毎時、建物外も最大1・1マイクロシーベルト毎時。
早ければ、昭和30年代から約半世紀もの間、放射能汚染が放置されていたことになる。
会社側は慌てて建物を立ち入り禁止にしたが、それまでずっと研修などでこの建物を使っていた。
汚染された建物に出入りしていた従業員を特定し、健康診断をしたところ、異常はなく、外部被曝の線量は、最大でも年間約21Oマイクロシーベルトで、健康上問題なしと判断したという。
今回、現場を取材すると、担当者が口をそろえるフレーズがある。
これだ。
「国が『直ちに影響はない』と言っているから大丈夫」
だが、低線量の放射線を長期間にわたって浴びる危険性の研究を続けてきた肥田舜太郎氏(元全日本民医運理事)はこう言う。
「微量の放射線を浴びても、人体の防衛機能が働くから大丈夫というのは間違いです。
広島、長崎の被爆地で、多数の内部被曝者を診てきましたが、数カ月後から数十年後に発症した『ぶらぶら病』は、低線量放射線の影響と考えるのが最もよく説明できます。
検診で異常は見つかりませんが、疲れやすい、根気がないなどの症状が続くのです」
東日本大震災後、「国の楽観的見通しはウソだ」とわかった。
そのことは、福島原発の爆発後の汚染実態を見れば明らかだ。