これが化学物質汚染の実態だ!! | 化学物質過敏症 runのブログ

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・「出典」:東日本大震災情報よりhttp://home.e06.itscom.net/chemiweb/ladybugs/0311eq.htm#yobo


・■週刊朝日6月24日号(14日発売) 東日本大震災のもう一つの被害 津波で工場から住宅街へ これが化学物質汚染の実態だ!! ボロボロの硬貨 

微量でも飲むと激しい嘔吐 追いつかない検査態

 東日本大震災では、工場が津波で押し流され、工場内にあった様々な化学薬品などが住宅街近くにまで押し寄せた。

被災地に残るヘドロには、こうした有害物質が混じっている危険性がある。日本初の本格的な化学汚染の現場を歩いた。
文と写真・ジャーナリスト井上雅義

 宮城県石巻市釜地区。町工場と住宅街が混在していた港近くの町並みは建物の半分が失われ、がれきの撤去が始まったばかりだった。

半壊したオートバイ修理工場のそばで、一人の男性に出会った。
 「このあたりに取材に来たのは、あなたが初めてだよ。
ここは忘れられた場所なんだ。市役所の職員も来ない。がれきの撤去は始まっているけれど、みな委託業者だからね」
 男性は工場のオーナーの阿部和明さん(56)だった。

津波が来たとき、阿部さんはバイクに飛び乗って運河まで逃げたが、途中で追いつかれた。

近くの街灯に登り、津波が引くまでしがみついていたという。
「津波が引いたので地面に下りたところ、突然、激しく嘔吐したんだ。

うっかり、津波の水を飲んだせいだと思う。まだ水は胸の上まであったが、言葉では表せない異臭がした。あれは化学薬品の臭いだと思う。

この近くは工場が多いから、いろんな薬品が混ざって流れてきたんだと思う」
 5日後、避難所から自宅に戻ると、屋内のあちこちに、津波と一緒に運ばれてきた汚泥が水たまりになって残っていた。

そこで家財を捜していたときのことだ。
「貯金箱の中で、1円玉と10円玉がひとかたまりになって固まっていた。
これも薬品のせいではないか」
 と言う阿部さんに見せてもらった。1円玉も10円玉も、表面に白い物質が付着し、ぽろぼろになって互いにくっついていた。

津波だけでこんなことになるのだろうか?
 石巻市の沿岸部には、製紙会社や化学、製鉄、水産加工などの工場が集まっている。

内陸には町工場もあって、住宅街と混在している。阿部さん宅も海側数百メートルのところに化学工場や製鉄所が並び、約2キロ先には大手製紙メーカーの工場もある。

この工場の薬品倉庫は、津波で屋根と柱だけになって、中にあったはずの薬品の姿は見えなかった。
 今回、津波に襲われた東北の被災地沿岸には、機械加工や化学関係の様々な工場が数多く点在している。
 それらの工場では発がん性があるカドミウムやヒ素など、有害化学物質が製造に使われている。

致死量が0・3グラムのシアン化合物は小さな町のめっき工場でも使われている。いずれも法律で厳しい保管義務が課せられているが、津波被害で何がどれだけ流出したか、住民に広報できている企業はまだ少ない。
被災地を回ると、道路端のあちこちに何らかの化学物質が入っていると見られる袋や、「危険物」の表示が貼ってあるドラム缶が転がっていた。

農薬系と思われる硫化水素臭がするヘドロも数多くあった。
 しかし、被災地の自治体は十分対応できていない。

被災による人手不足に加えて、専門家も分析装置も足らないためだ。
「とてもサンプルを取る人手はありません。津波の汚泥など調査したこともなく、どこが怪しいのかを見分けることも、調査の方法もわかりません」
 気仙沼市の担当者は嘆く。
 多くの薬品は目立つ色や形状がなく、分析装置を使わなければわからない。分析装置は物質の種類や分析方法によって違う。微量でも危険なものが多く、測る場所を誤ると見つけ損なってしまう。

宮城県の担当者も言う。
「県内の大半の検査機関は震災で分析装置が壊れていて、分析は県外の機関に頼むしかないのが実態です」
比較的対応が進んでいる仙台市では、まだ基準以上の有害物質は見つかっていないが、「それは昔から沿岸部に工場が少なかったから」(環境対策課の早坂昇課長)にすぎない。
 肝心の国の調査は、環境省がやっとこの6月末までに有害物質による環境汚染の実態調査を終える予定だ。
 現場ではがれきの撤去がすでに進んでいて、時期遅れの感は免れない。