なぜ「脱原発」か2 | 化学物質過敏症 runのブログ

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(2)大事故の危険性がある。


 原子力発電所では、原子核の核分裂という反応を利用して熱をつくり、その熱で蒸気を発生させて、タービンを回し、発電機を動かす。熱で蒸気を発生させてからは、火力発電所と同じである。

とはいえ、目に見えないウランの原子核が分裂したときに生まれる熱は、石油や石炭を燃やしたときの熱に比べて、はるかに大きい。

 それこそが、原子力発電の最大のプラス面であることはまちがいないだろう。

だが、しかし一方では、反応をコントロールするのにつまづくと、とてつもない破壊力をもつことになる。

一九八六年にウクライナのチェルノブイリ原発で起きたような炉心の爆発事故となるわけだ。

 原子炉の爆発は、核兵器の爆発よりはずっと規模が小さい。

しかし、とても寿命の長い放射能を大量に放出するという、核兵器の爆発以上のやっかいさがある。

そのため、影響が長くつづき、甚大な放射能災害をもたらす。

 原発の大事故には、爆発事故に加えて、炉心の溶融事故がある。

原子力発電のシステムは複雑で、主な系統だけで数十に及び、ポンプが数百台、電動機が千数百台、計器類は約一万、弁類は数万に達する。

いつ、どこで事故が発生しても、ふしぎではない。

そうした事故によって原子炉を冷やしている水がなくなると、炉心は溶け落ち、気体となった死の灰が飛び出してくる。

一九七九年にアメリカのスリーマイル島原発で起きたような事故だ。

 スリーマイル島原発では、溶け落ちた燃料が原子炉の底で奇跡的に止まったが、さらに原子炉の底を溶かし、格納容器の底を溶かし、地殻までも溶かして、地球の裏側に突き抜けるというジョークが、「チャイナ・シンドローム」として知られている。

実際には、その前に原子炉の底の水と反応して大規模な蒸気爆発を起こすなどして、さらに大量の死の灰をばらまくことになるだろう。


 (3)平常運転時にも、環境の放射能汚染、労働者の被曝を伴う。


 仮に大きな事故は起こさないとしても、原発の煙突からは気体の放射能が、また、排水口からは液体の放射能が、日常的にたれ流されている。

心配するほどのレベルではない、というのが国や電力会社などの言い分だが、放出された放射能のうち寿命の長いものは、確実に周辺の環境に蓄積されていく。

 原発の中の労働実態については、何冊もの本が書かれている。

電気事業連合会の委託で行なわれた労働者のアンケート調査でさえ、「働かされている者は、ゴキブリ以下だ」といった回答があった(行動するシンク・タンク推進グループ『原子力発電所からの“声”』一九八〇年)

 全国の原発では、一年間に五万人くらいの人が働いている。そのうち電力会社の社員は約五千人。原子炉メーカーや部品メーカーの社員も何千人かいるが、大多数は、下請けの人たちだ。

ひとつの原発の修理が終わったら、また次の原発へ、と渡り歩く人が一万人以上もいる。

 現代科学技術の最先端のように思われている原発の中で、元請け-中請け-下請け-孫請け-ひ孫請けと何重にも差別された労働者が、床にはいつくばり、狭いタンクの中に体をよじって入り込み、床にこぼれた放射性廃液をチリトリですくってバケツに入れ、ボロ布でこすって放射能汚染を取り除くといった作業に従事しているのだ。

被曝全体の九五パーセント以上が、電力会社の社員以外の人たちのものである。

 いま日本の原発で働いている人たちのなかから、毎年、数人から十数人、あるいはもっと多くの人が、ガンで死ぬと言われている。

放射線被曝の危険性の評価は研究者によって大きな開きがあって、予測されるガン死者の数にちがいがでてくるのだ。

 原発だけでなく、ウランの鉱山や原発で燃やしたあとの燃料の再処理工場などでも、おおぜいの人たちが放射線を浴びながら働いている。

この人たちの被曝なくして、原発は動かない。