水俣病が歴史から消える? | 化学物質過敏症 runのブログ

化学物質過敏症 runのブログ

化学物質過敏症 電磁波過敏症 シックスクール問題を中心としたブログです

・ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議より
http://www.kokumin-kaigi.org/kokumin03_53_07.html


・ニュースレター 第56号 (2009年4月発行)

水俣病が歴史から消える?
 水俣病の未認定患者の補償と引き換えに、原因企業チッソの分社化を容認する法案が、3月に与党から国会に提出された。

公害健康被害補償法に基づく地域指定の解除も含まれている。地域指定が解除されれば、患者の認定もなくなる。

それは行政上、水俣病問題の終結を意味する。

 さらに、分社化を機にチッソは、社名からチッソを消すのではないかという推測が地元に広がっている。地域指定が解除され、チッソの社名が消えれば、やがて水俣病は歴史から消えるかもしれない。

そんな事態が起きつつある。 ただ、この問題は、他でも取り上げられ始めている。

ここでは、その水俣で取れる大変に美味なイリコの話をしたい。

島村菜津さん絶賛のイリコ
 それは、島村菜津さんが「スローフードな日本!」で絶賛する九州・不知火海の、杉本家のイリコである。

長さは2センチ程で、ほんのり甘い。

水俣の強い太陽と澄んだ蒼い海の滋味が、口のなかで拡がる。

苦味がないので、ご飯茶碗一杯分を軽く平らげていた。

 作っているのは杉本雄(たけし)さん(70歳)と長男、四男の家族である。

雄さんは、昨年他界した栄子夫人とともに、水俣病の歴史を変えた一人として、新聞記者の間では伝説的な存在でもある。 夫婦で漁をし、水俣病にもかかった。

「この病気は治らない。薬を飲めば薬害にやられる」と医者に言われた。

そこで二人は、「医者が治せんなら、自分たちで治そう。食べもので病気になったとですから、食べもので治すとです」と腹を決めた。

 有機水銀で汚れた水俣湾のヘドロ処理作業は、1990年3月に終了する。

94年、魚の有機水銀含有量が規制値を下回る。97年10月からは、漁が解禁になった。

天然塩と天日
 以来、杉本家は、少なく獲ったカタクチイワシの稚魚を、素早く天然塩だけで湯がき、天日で乾す。「人様に毒は食べさせられない」と、添加物、防腐剤を使わない昔ながらの製法が、雑味のないイリコを生んだ。

 杉本さんの家は、水俣市茂道集落の、山が海に迫る入り江にある。

かつて、水俣病を全国区に押し上げた石牟礼道子の『苦海浄土』は、海の描写から始まる。

 「湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして、遊ぶのだった」。

イリコを食べている間、子どもたちの歓声が聞えたような気がした。

カラスに番をさせる
 昨年他界した栄子夫人は傑物で、「縄文を感じさせる女性」(吉本哲郎・前水俣病資料館館長)だったそうだ。

取った小魚―イリコの原料となる―を海辺で水揚げし、並べると、カラスに向かって「番しとけ」と言う。

沖合いを漁の際中、イルカに向かって「オーイ」と呼びかける。イルカがそれに応えて尾を振る。そんな天真爛漫な女性だったそうだ。