性同一性障害2 | 化学物質過敏症 runのブログ

化学物質過敏症 runのブログ

化学物質過敏症 電磁波過敏症 シックスクール問題を中心としたブログです

性同一性の概念は、性分化疾患(生殖器や性染色体などの身体的性別が非定型的な状態)の事例を解釈するため導入されたことに始まる[7]。

人は得てして、身体が男性であれば男性、女性であれば女性、という固定的な観念をもつ。

性別の“完璧な”根拠として内外性器や性染色体を挙げる者もいる。

しかし、では身体や染色体の性が生まれつき曖昧で、明確に性の判定ができない性分化疾患はどう考え得るか。

内外性器も染色体も非定型である事実を前に、人の性別はどこに存在するか。たとえ性分化疾患の当事者でも、男性もしくは女性としての、どちらかの確かなアイデンティティーがあり、本人の自己意識も確かめずに周りの他者がその人間の性別を恣意に決定することはできない。

現に、性分化疾患を患って出生した乳児が、その場の医師によって恣意的に性別を決められて手術を施され、“たまたま”反対の性別にされた当事者が乳児期以後、アイデンティティーとの不一致によって苦悩するという多くの実例があった。

これは性同一性障害にも共通する苦しみでもある。

例えばこの性分化疾患の当事者に対し、他者が「医師が“何となく”であなたをその性別と決めて性器の見た目もそれらしく作ったのだから、その性別で生きろ」などと言えようはずもない。

以上の事例や経緯によって、「身体の性」と「心の性」はそれぞれ別個であり、ひとえに「身体」が人の性別を決定づける根拠とはならないことが明らかとなった。

性同一性障害の当事者は、(例えばMtFに対して)「本当は男性」「実は男性」等といった、身体を基準とした言われ方に対して嫌忌することが多い。

性同一性障害を抱える者は、もし生来から自身の性同一性と同じ性別の身体で生まれてさえいれば、何ら違和感を持つこともなく普通にその性としての人生を過ごしてきたはずであり、人格やアイデンティティーが“途中で変わった”わけではない。

当事者は「(心身ともに)異性になりたい」のではなく、「本当は女性(男性)なのになぜ身体が男性(女性)か」という極めて率直な感覚を胸中に持っていることも多く、当事者自身にとっての「本当の性別」とは、まさしく自分を自分たらしめるアイデンティティーにしたがった性別である。MtFにとっての「本当の性別」は女性であり、FtMにとっての「本当の性別」は男性であり、だからこそその性別としての人生を過ごしているのである。

性同一性がどのように決定されるかは不明であるが、胎児期においてすでに形成される先天的なものとみられており、出生後の幼児期において社会的、文化的に形作られる後天的なものではないとされている。

性同一性障害の原因として、『身体的性別とは反対の性への脳の性分化』が現在では推測されている。
分類 [編集]

医療者において、性同一性障害を大まかに「Primary(一次性)」と「Secondary(二次性)」とに分類することがある。

一次性の場合、小児期または青年期前期に発症し、青年期後期または成人期に受診する。

身体的性別とは反対の性自認を確固たるものとして持っていることが多い。二次性の場合、発症はやや遅く、壮年期や、老年期に近くなることもある。当初は症状が異性装として現れることが多いとも言われる。

性自認が確固としたものでなく揺れていることもある。

FtMは比較的均質であると言われ、一次性に属するケースが多い。

MtFでは症状がより多様であり、二次性も多く見られる。


日本では「中核群」「周辺群」という分類をする医療者もいるが、これもほぼ同様のものであると考えられている。

一部の医療者は、中核群・周辺群を、自性器嫌悪が激しく性別適合手術を強く望むグループと、自認する性の服装・文化的生活・第二次性徴の除去・自己の自認する性の第二次性徴の発露程度までで満足するグループとの分別に、この対概念を用いている。

これらの分類は症例を検討する際にはある程度有用であるとみなされ、多くの論文で言及されている。

一次性と二次性は症状が似ているだけで本質的に異なる疾患なのではないかと考える者もいるが、一方では、症状が表面化した時期が異なるだけで本質的には同じであると考える者もいる。


当事者のなかには、このような分類を適切でないと考える者もいる。過去に、医療者が治療の対象を一次性の中の極めて典型的な症例のみに限定しようとしたことがあるという事情や、それを背景として一次性の当事者の一部が二次性の当事者に対して差別的であったこと、一次・二次という表現が質的相違を示唆するが現に観察されているのは発症が早期か中・後期かという時間的差異でしかないので不適切である(二次性の患者でも性別適合手術まで求め性自認も確固としている者も少なくない)、というようなことが影響している。