・歴史
世界史
花粉症がいつ頃出現したかについては、花粉が肉眼で見ることができないこともあって明確には判っていない。
紀元前500年ごろのヒポクラテスの著書『空気、水、場所について』の第三節にさまざまな風土病が述べられているが、季節と風に関係しており、体質が影響し、転地療養が効果的であるということから、現在でいうアレルギー(季節的アレルギー)の機序を考えてよさそうなもの、すなわち現在でいう花粉症もあるかもしれないとの考えもある。
ローマ帝国時代の医師ガレヌス(紀元前130年~200年)も花粉症らしい疾患について述べており、紀元前100年ごろの中国の記録にも、春になると鼻水および鼻詰まりがよくあるとのことが示されているという。
西暦1000年ごろのアラビアの医師によって、花粉症らしい疾患とその治療法が記録されているともいわれる。
より近代医学的な記録で最古のものは、1565年(一説には1533年)のイタリアの医師 Leonardo Botallus によるものとされる。
「バラ熱(Rose cold または Rose fever)」と呼ばれる症状で、記録によれば、その患者はバラの花の香りをかぐとくしゃみやかゆみ、頭痛などの症状をおこすという。
原則的にバラは花粉を飛散させないため、花粉症であるとは言い難いが、現在でも Rose fever は「晩春から初夏の鼻炎」様の意味で Hay fever 同様に用いられることがある。
花粉症であることが確かな最初の臨床記録は、1819年にイギリスの John Bostock が、春・秋の鼻症状、喘息、流涙など、牧草の干し草と接触することで発症すると考えられていた Hay fever と呼ばれる夏風邪様症状について報告したものである。
彼自身も長年にわたって症状に苦しめられたというが、有効な治療法は発見できなかったという。
彼は最初これを夏季カタルと呼んだ。
発熱(fever)は主要な症状ではないので、粘膜の炎症を示すカタルの方が適切ではあった。
この報告の後しばらくの間、この症状は「Bostockのカタル」と呼ばれたと言われる(なお、 Hay fever は枯草熱と訳されているが、字義通りに解釈するのであれば、干し草熱とした方が適切であった。
Hay とはイネ科の牧草 grass の干し草を指すからである)。
1831年には同じくイギリスの J.Elliotson により、証明はなされなかったが花粉が原因であろうとの推定がなされた。
そして1872年、北アメリカでブタクサが Hay fever の原因であるという報告がなされた。
ブタクサは Hay ではないが、その当時すでに Hay fever という名称は定着していたと考えられる。
その後、イギリスの Charles H. Blackley によって、 Hay fever は気温の変化あるいは花粉が発する刺激性のにおいや毒素などが原因とする考えが、実験的に否定された。
彼は空中花粉の測定、鼻誘発試験や皮膚試験など、現在でも通用する試験を行ってイネ科花粉症を実証し、遅発相反応にさえ言及した著書『枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実験的研究』を1873年に著した。
これにより Hay fever は Pollinosis (花粉症)と呼ばれるようになった( pollen は花粉のこと)。
これらのことから、自らも花粉症であった Blackley は花粉症の父と呼ばれている。
しかし、アレルギーという概念が成立するには20世紀になるまで待たなければいけなかったため、この段階では花粉に過敏に反応する人とそうでない人がいるということしか分からなかった。
•[http://www.3443.or.jp/esse/h02_bien03.htm 花粉症のルーツ]