・ニュースレター 第52号 (2008年6月発行)
入門・重金属問題―その2
「水銀」について
常任幹事 藤原 寿和
前回からはじまったこのシリーズで今回は水銀を取り上げたいと思います。前回の鉛も歴史的にはたいへん古くて新しい問題ですが、水銀も鉛同様古くて新しい問題といえます。
被害との関連では、水銀は鉛以上に日本の内外で人口に膾炙された物質であるといってもいいかと思います。
それは「水俣病」「ミナマタ」として全世界的に知られることになった有機水銀中毒事件の原因物質であったためです。
●水銀の歴史
水銀は古代においてはその特性や外見から不死の薬として珍重されてきました。特に中国の皇帝に愛用されており、それが日本に伝わり飛鳥時代の持統天皇も若さと美しさを保つために飲んでいたとされます。
また、東大寺の大仏像の金鍍金を行うのに金と水銀のアマルガムを大仏に塗った後、水銀を蒸発させて行われました。
一説には、この際起こった水銀汚染が平城京から長岡京への遷都の契機となったといわれています。
また、水銀の硫化物は辰砂(しんしゃ)と呼ばれ、朱色の顔料として用いられてきました。
始皇帝を始め多くの権力者が命を落としたといわれており、中世期以降、水銀は毒薬として認知されるようになりました。
世界中において有機水銀はかつて農薬として広く使われ、1970年代にイラクでは、メチル水銀で消毒した小麦の種を食用に流用したパンによって有機水銀中毒で400人以上が死亡する事件がおきた。
そして、その毒性から現在は使用が禁止され、代わりに無機水銀などが使われるようになりました。
日本で水銀が工業的に使用されるようになるのは明治期以降で、無機化学工業の進展や農薬として使用される有機水銀化合物の生産に伴って、労働者の水銀被曝問題や環境汚染問題がクローズアップされるようになりました。
その頂点に立ったのがチッソによるアセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)に由来するメチル水銀汚染問題でした。
この問題を境に、日本では急速に水銀の生産・使用の制限が行われるようになり、現在では一部の用途でのみ使用されているだけです。