シックスクール問題の内情 番外編 | 化学物質過敏症 runのブログ

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http://ameblo.jp/keirun/ より


シックスクール問題で最後に強く学校側に言ったこと
テーマ:シックスクール

2010-11-16 15:17:06
「シックスクール問題の真相」



で、その15まで書きました。



中身は11月4日の、転校前の校長とのやりとりが中心で、



その中で、以前のやりとりも書きました。



肝心なことを書いていなかったので付け加えます。



学校長、副校長に強く言ったことです。



「8月の環境懇談会で、大人の男が、恥も外聞も捨て、



泣きながら、長女のことを訴えました。



もう治んなくてもいい 死んでもいいと、飛び降りようとしたのを止めたと、



ひとりの児童が自殺の恐れをあることを訴え、



助けを求めました。



それを聞いて、学校側やPTAは何しました?



無視じゃないですか?



電話一本なかった。



報道関係者の複数の方からは、電話をいただきました。



今どこにいますか?大丈夫ですか?体調はどうですか?



市教委、学校がおかしすぎます。



私たちが、事実を伝えて、市の責任も追及しますから



辛くて大変でしょうけど頑張ってと。



あなたたちは、自殺の恐れがあるとまで言っても、無視したんですよ。



それがあなたたちの姿勢です。



PTAの○○(役員のひとり)など、校長も一緒のときに



うちはけいさんと教育方針が違うんです。



けいさんは、大丈夫かな(学校が)と不安を前面に出すから



○○ちゃん(長女)が大丈夫かな?と不安になって病気になるんです。



うちは大丈夫だから行って来いと送り出すから大丈夫なんです。



そう言っていたじゃないですか。



役員が、そういうことを言うぐらいですから、



PTAが助けてくれるわけないですが、



本当に、心の温かさのない学校でした。」



さすがに、その後は言い訳のしようがなくなったようでした。




大泣きしながら、



大勢の保護者、市教委、学校の教職員がいる中で訴えました。



出席していた人の中で、励まして、心配してくれたのは、



報道陣ばかりで、他の人からは、ほとんど声をかけられるわけでもなく、



孤独感ばかりが増し、本当に心中しようかと思ったぐらい



追い詰められました。



7月から9月頭まで、本当に辛かった。



そのときに助けてくれてのは



このブログを読んでいた多くの皆さんでした。



避難場所を提供して下さった方もいます。



三重県や京都、神奈川など、遠くから



いろいろな対策品等を送って下さった方もいます。



励ましのメッセージ、メール、電話もいただきました。



ありがとうございました。



また、転校前の関係では、



私と以前から交流のあった、一部の保護者の皆さんには



励ましのお言葉等いただき、元気づけられました。

(所属している子供会も含め)



ありがとうございました。



ただ、転校前の学校関係者からは、



市教委、学校の教職員、PTAには、



切羽詰って、助けを求めても、



無視された感じです。



後日、何々をやっていたのですとか、何々で時間がかかっていて



とか、やっていたを強調しますが、



事実は、何もしていただかなかったということです。



言葉一つで良かったんです。



話しかけられることもなかった。



無視されて、いじめられている感覚でした。



ブログをやっていなかったら、もっと孤独だったんでしょうね。