モーツァルト ミサ曲 K.337 ケーゲル/ライプツィヒ放送合唱団の火の噴くような激しい演奏 | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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外は吹雪でした。何だか外に出るような雰囲気ではないし、と昨日に続きケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団&合唱団のモーツァルト ミサ曲集を連続で聴き続けていました。

 

印象は昨日記事に書いたこととだいたい同じ。指揮者の明確な意志が隅々まで行き渡った好演。やはりどれも良い曲だなと思います。

全部聴き続けようと思ったのですがやはりけっこう時間はかかります。ミサ曲第11番(KV..258)を聞き終わったところで一度止め、第16番(KV.337)で今日は終わりにしようか、と言う事にしました。

 

モーツァルト ミサ・ソレムニス K.337は1780年に作曲されたモーツァルトのザルツブルグ時代最後のミサ曲で、モーツァルトの完成されたミサ曲としても最後の作品です。普通、ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)とも呼ばれていますが曲の長さはミサ・ブレヴィス(小ミサ)とほとんど変わらない程度の簡略化されたミサ曲です。(ザルツブルグ大司教の指示でミサの時間が制限されていたため本格的な曲は書くことが出来なかったのです。)しかし、そこはモーツァルト。24歳の天才作曲家の作品にふさわしい充実した作品になっています。

 

ここでのケーゲルの演奏はもちろんそれまでの他のミサ曲と解釈などは基本的に変わっていないのだとは思います。しかし曲の演奏が始まってすぐからの熱気の凄さ。これは曲の内容が充実していると言うことなのでしょうか。それも確かにあるかも知れません。しかしそれ以上にここでの指揮者は何かが取り憑いたような激しさで音楽に対しているような気がします。少し速めかなと思われるテンポで始まり火の噴くように激しさを見せたかと思うとテンポが落ち着いたところでは恐ろしく深く沈み込むような表情を見せ、その後はまた強烈な激しさ。そう言ったテンポ設定やディナミークの変化もモーツァルトの音楽を少しも傷つけること無くこの曲の素晴らしさを存分に感じさせてくれます。またその指揮者の指示を一糸乱れずこなしていく合唱のレベルの高さも見事です。(この演奏ではソプラノのソロを白井光子が担当しています。彼女の歌唱もなかなか素敵でした。)

この「モーツァルト ミサ曲 ハ長調 K.337」の録音は1990年の1月とのこと。同じ年の11月にケーゲルは自ら命を絶ちます。指揮者の死やその時の精神状態などを想像して演奏と関係づけるというのは意味のあることがどうかは分かりませんしそのようなことが出来るとも思いませんが、今私が痛切に思うのは、この演奏の延長線上にあったかも知れないケーゲルとライプツィヒ放送交響楽団&合唱団のハ短調ミサとレクイエムを聴きたかったという思いです。どれだけ深く凄まじい音楽が聴けただろう、と。文字通り「死んだ子の年を数える」、で考えてもむなしい話ではありますけれど。

 

明日はまたミサ曲第12番から聴こうかな。

 

 

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