ネゼ=セガン チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」 甘く酔いしれたい時は・・・ | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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このブログの6月25日の記事でクルレンツィス/ムジカエテルナのチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を取り上げ時、「今まで聴いていたチャイコフスキーとは随分違った音楽という感じがしました。」と書きました。

クルレンツィス/ムジカエテルナ チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」 今日は満腹


その後7月7日にはヤニック・ネゼ=セガン指揮のメンデルスゾーンの交響曲を聴いて「明快なリズム。生き生きと流れる音楽。テンポは速めですが隅々まで音楽的な感性が満ちあふれているようです。よどみなく柔らかな歌。」と書いています。

ヤニック・ネゼ=セガン「メンデルスゾーン 交響曲全集」明快なリズム。生き生きと流れる音楽。


今日は、ヤニック・ネゼ=セガン指揮のチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を聴きました。

交響曲第6番『悲愴』、ロマンス ネゼ=セガン指揮・ピアノ ロッテルダム・フィル、バティアシヴィリ(ヴァイオリン)


クルレンツィスの「悲愴」や同じネゼ=セガンのメンデルスゾーンとは大分イメージの違う演奏です。室内オーケストラによるメンデルスゾーンとロッテルダム・フィルという大オーケストラを使った「悲愴」で、違ってくるのは当然かも知れませんが。

クルレンツィスの「悲愴」に私は「方向性はムラヴィンスキーに似ているか。でもはるかに軽く柔らかな音楽。」と書きましたが、ネゼ=セガンの「悲愴」はカラヤンの方向性に現代的な味わいを加えた感じとでも言うべきかも知れません。方向性は全く違う感じですがどちらも紛れもなく見事なチャイコフスキー。

聴き始めから旋律の歌わせ方がなんともエレガント。瑞々しく美しく。テンポの変化も時に優雅に時に激しく、最終楽章の後半など不覚にも涙が出そうになるくらいです。どこを切り取ってもすべてが音楽的な演奏でした。一時も弛緩した音を聴かせることなど無く、最期まで極上の音楽空間の中に浸り切ってしまいました。甘く香り高い極上の酒に酔いしれた気分。これこそチャイコフスキーの本当の姿かも知れないと思い知らされるようでした。

厳しく激しいチャイコフスキーならクルレンツィス、甘く酔いしれたい時はネゼ=セガン。


「悲愴」の後に収録されているのがヴァイオリンとピアノのための「ロマンス 作品6」と「ロマンス 作品73」
ヴァイオリンが、リサ・バティアシヴィリ、ネゼ=セガンがピアノを弾いています。この演奏も秀逸。美しい演奏です。

 

 

 

Tchaikovsky: Pathetique

1975年カナダ、モントリオール生まれのネゼ=セガンは才能ある指揮者が台頭してきた昨今、その中でも抜きん出た存在としてその活動を拡げています。2008年からゲルギエフの後任としてロッテルダム・フィルの音楽監督、そしてロンドン・フィルの首席客演指揮者も務め、2012年よりフィラデルフィア管の音楽監督も兼務。オペラ指揮にも定評があり、メトやザルツブルク音楽祭でも常連として名を馳せています。『ドン・ジョヴァンニ』全曲、『春の祭典』に続くDG第3弾はチャイコフスキー『悲愴』。カップリングされたバティアシヴィリと共演のピアノ演奏も必聴です。(ユニバーサルIMS)