今日はシベリウス交響曲第2番を聴きました。
演奏はベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団。
このディスクを聴くのは久し振りのような気がします。
シベリウスの交響曲は色々な指揮者で聴いていたのですが、以前はシベリウスの独特の響きがどうもすっと入ってこない感じがして苦手な作曲家でもありました。最近になって以前苦手だった所が逆に心地よく感じるようになり、比較的良く聴くようになっています。不思議な物です。年齢とともに好みも変わるのかも知れませんね。
ベルグルンド/ヘルシンキ・フィルの演奏は比較的速いテンポですっきりしたフォルムがとても好感が持てます。テンポの変化も恣意的なところが無く自然に呼吸しているように流れていきます。弦の音、特に高音部が瑞々しく響き、まるで北欧の風が静かに吹き込んできたようです。
ああ、良い曲だな。
聴き終わって、ただそんな気分だけを残してくれました。
やはり、とても良い演奏です。
シベリウス 交響曲第2番 ニ長調 作品43
「1901年に完成した交響曲。シベリウスの7曲の交響曲中、最もポピュラーな作品である
。
この作品について最も早い時期のスケッチは、交響曲第1番の初演が大成功に終わった2ヶ月後の1899年6月に書かれたフィナーレの主題であるが、この主題はしばらく放置された。1901年2月から3月にかけて、アクセル・カルペラン男爵の尽力でシベリウスは家族を連れてイタリアへ長期滞在の旅に出た。ジェノヴァ郊外のリゾート、ラパッロに住まいと作業小屋を借りシベリウスはこの作品の作曲を進めた。厳寒のフィンランドに比べ温暖なこの国を彼は「魔法がかかった国」と評し、スケッチの筆は急速に進んだ。また、この国の様々な伝説や芸術作品も彼の創造力を刺激した。第2楽章の楽想はフィレンツェでの印象やドン・ジョヴァンニ伝説にインスピレーションを得たと言われる。また、ローマ滞在中にパレストリーナの音楽に多く触れ、その対位法技法から多くを学んだ。しかし、シベリウスはこの作品をイタリア滞在中に完成させることはできず、フィンランドに戻ってからも筆を入れており、1901年11月にカルペラン男爵宛に完成が近いと知らせている。この時点で一旦完成とした後、年末に再び大幅な改訂を行った。
初演は、1902年3月8日ヘルシンキで作曲者自ら指揮を執り行われた。この初演は、直ちに追加公演が行われたほどの大成功であった。」(Wikipedia 交響曲第2番 (シベリウス) より)